ファラデー著,竹内敬人訳『ロウソクの科学』岩波文庫

 周到な用意と、その巧みな配列。矢継ぎ早に繰り広げられる実験群を、聴衆の少年少女たちは身をのり出すようにして見入ったことであろう。
 ロウソクの灯りは毎日目にしている。
 燃えているロウソクの上部は「お椀」状になり、その「お椀」が溶けたロウを支える。また、そのロウは芯を伝って燃焼する。炎は静かで安定しているが、炎の輝きは依然として頼りない均衡の内にある。
 ロウソクの精細な作りは、ロウソク職人の創意と工夫の歴史を担っている。
「私は、ロウソク以上に、その働きの最後の瞬間まで、一つの部分がお互いに他の部分の役に立つように条件が調整される見事な例を思いつきません」(33頁)
 ロウソクは脈々として継承された伝統のなかで培われ完成形をみた。ファラデーは順を追って実験を重ねることによって、その内容を解き明かした。
 初読後、間をおくことなく再読した。盛んに炎を上げるロウソクと実験との相関を見失った。再読後には明らかになったが、6回にわたった講演のすべてを理解したわけではない。かといって、私はなんの不自由も感じていない。
 私は、ファラデーによって明かされた帰結をここに披瀝しようとは思わない。結論は二次的であり副次的でさえあるからである。ファラデーは少年少女に、科学的な思考法とそれを立証する手立てを示したかった。科学においては一つの誤ちがすべてをだいなしにする。虚偽を見ぬく子どもたちの嗅覚は鋭い。一つの誤ちがファラデーへの信頼を失墜させる。ファラデーは地歩を固めつつ一歩ずつ前に進んだ。ファラデーが見はるかす道を歩きえたのは、少年少女の、また来るべき科学の行方に夢を託していたからである。私はファラデーの科学者としての矜持とこの心意気に感服する。
 ファラデーは講演の最終項で、動植物による地球上の二酸化炭素の循環について語っている。それは過不足のない自然の摂理を、少年少女が身近に感得するには格好の話題であった。見事にファラデーは掉尾を飾った。
 以上の文章はロウソクの「科学」について述べたものではない。興味のある方は、実際に手に取って読んでいただきたいと思う。第一講は概論風の話題となっているので、第一講だけ読まれても、ロウソクのその精緻な作りの一端をうかがうにはじゅうぶんであろう。