TWEET「病気療養中につき_27」

 2022/12/30 に、帯状疱疹で、「休日夜間急病診療所」を受診するまでは、愉快で呑気だった。そのおよそ2か月後 帯状疱疹の治療を終えたが、後遺症として帯状疱疹後神経痛が残った。また肺炎になり治療後、微熱が続くままに、いまにいたっている。なんらかの病の予兆か、無関心でいいものか、いまだに定かではない。
 今年になり、記憶らしい記憶がない。帯状疱疹のあの痛みの記憶さえ遠のいてしまった。
 長らく疎遠だった、死の予感を覚えている。
 以下の二つの「TWEET」を読むと、忸怩たるものがある。
 奇しくも明日、62歳の誕生日である。

TWEET「美は曇りなき眼が見つける」
2021/03/24
 2021/04/09 に還暦を迎える。16日後に迫った。還暦の後先ということをしきりに考えている。焦燥感がある。準備の捗らないこともあり、おぼろげな行方しかみえないこともある。

 今日の読書は、小林秀雄か井筒俊彦か迷った末に、井筒俊彦の著作を手にした。
そして、
◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫
◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫
「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」
◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫
「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」
の三作品のうちの、
◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫
「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」
を読んだ。
 この世に生を享けたからには、この世の始源・淵源のことについて知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。観想体験もなく、観照体験もなく、つい井筒俊彦の著作群に手が伸びる。読前・読後では明らかに差異が認められる。
 はじめに「焦燥感がある」と書いたが、いままで書き留めたブログを、いかに整理して、
「Kindle Direct Publishing」に載せようかということであって、他愛もないといえば、他愛もないことである。

◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 
上記以外の 3冊の岩波文庫本は、2019/02/15 から順次発刊されたもので、以前は、慶應義塾大学出版会の新しく編まれた全集本で読んでいた。私の嗜好するおよその作品は、岩波文庫本におさめられていて、不思議な気がしている。
 手軽な文庫に、つい手が伸びる。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / 重ねて 折々の記_11』: 〜井筒俊彦編〜」
 2021/04/23
つい今し方、
◇「『本多勇夫 / 重ねて 折々の記_11』: 〜井筒俊彦編〜」
を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。
上梓されました。早速購入しました。

 ことば、言葉、コトバ、いま「ことば」の渦中にある。神、神々、霊、仏、に四囲を囲まれている。
 学生時代からの関心事が一同に会した。
 いくつもの偶然が重なっていまにいたった。
 井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「ことば」が一気に心底にまで達した。思いもよらぬことだった。これ以上の椿事はない。私の趣向のすべてが一括りに括られた。
 井筒俊彦が語るのは哲学である。昇華されたものが、共時的に把捉されているのがうれしい。信仰なき私にとって、井筒俊彦と向き合う、その時々が救いとなっている。
 この世に生を享けたからには、この世の始原について知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。
 私にとって井筒俊彦の著作は「実学」の書であり、実用の書であり、やむにやまれぬ書である。
 そして図らずも、紆余曲折を経て、井筒俊彦の哲学の文章が、次第に読めるようになっていく過程が
◇「『本多勇夫 / 重ねて 折々の記_11』: 〜井筒俊彦編〜」
に記録されることになった。