TWEET「病気療養中につき_28」

 通読することを旨とする。初読後、間もなく再読、と決めてから、積読するままになっていた大部の作品を読み、また理解するようになった。その代表例が、
◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下)』新潮文庫
である。初読、また再読に 25日を要した。特に初読は困難な道のりだった。立ち止まり、耳を澄ませて待つことを覚えた。貴重な読書体験だった。

 ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。

   九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古
   古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし

 また、小林秀雄は、『本居宣長』を、昭和四十(1965)年、六十三歳の夏から雑誌『新潮』に十一年あまりにわたって連載した。その後一年をかけて推敲し出版した。小林秀雄は、十二年を超える歳月をかけて、本居宣長と対峙した。

 これらの歳月を思えば、25日はかすんで見える。恥いるばかりである。


「稗田阿礼の『声』と本居宣長の『肉声』と、また小林秀雄と井筒俊彦と」

小林秀雄『本居宣長 上』新潮文庫
「宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も多くなると思う」(24頁)

『本居宣長をめぐって』 小林秀雄 / 江藤 淳
小林秀雄『本居宣長 下』新潮文庫
小林 それでいいんです。あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人(本居宣長)は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです。(388頁)
(中略)
江藤 宣長は『古事記』を、稗田阿礼が物語るという形で、思い描いているのですね。『古事記』を読んでいる宣長の耳には、物語っている阿礼の声が現に聞えている。(391頁)

 また、『本居宣長』は、小林秀雄の「肉声」が、活字の体裁をとったものである。本居宣長は、稗田阿礼の「声」を聞き、小林秀雄は、本居宣長の「肉声」を聞いた。そして、語った。これらはひと続きの口承である。
 「言霊」の意味することが自覚できるようになったのは、ひとえに「井筒俊彦」に因る。緒に就いたばかりのおぼつかない読書ではあるが、前後では明らかさが違う。「読書百遍義自ずから見(あらわ)る」、「義自ずから見る」まで読もうと思っている。

そして下記、小林秀雄による。井筒俊彦「深層意識的言語観」待望論であり、またその口惜しさである。

若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会
「私の感謝」と題する小林(秀雄)への追悼文で遠藤(周作)は、この批評家の営みは畢竟、「言語アラヤ識」の世界を歩くことだったといい、次のように書いた。
 言霊の働きはやがて人間の言葉をこえたものを目指す。仏教の唯識論の言葉でいえば言語的な阿頼耶識にぶつかるのだ。私は言語的阿頼耶識をあの「本居宣長」に感じ、今後の小林さんがその信じる認識をどの方向におむけになるか、心待ちに待っていたのである」
(中略)
『意識と本質』の読者である彼(遠藤周作)はもちろん「言語アラヤ識」の一語が井筒(俊彦)独自の述語であることを知っている。同時代における小林の高次な理解者たり得た人物の一人に井筒がいることを遠藤は暗示している。(160-161頁)

大江健三郎 井筒宇宙の周縁で 『超越のことば』井筒俊彦を読む
若松英輔(編),安藤礼二(編)『 井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生 増補新版』河出書房新社  
「僕(大江健三郎)はかって故小林秀雄氏の『本居宣長』の古代、冥界についての考察を、レヴィ=ストロース教授の世界になぞらえたことがある。実際的な手段として小林氏が構造論を採用していられたならば、かれの天才的なレトリックをもってしてもなお不確かさの残った記述をとらえやすいものとなしえただろうと思う。いいかえれば、それは小林氏の宣長研究を言語論として徹底させる方向にいったであろうし、そこには本当に新しい展望が開かれもしたはずと、井筒氏の論文を読む眼を宙にあそばせて考えるのである」(039頁)