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「パタゴニア_アーバー・パック 26L と戯れる」

   今夕定刻通りに届いた、「 アーバー・パック 26L  Navy Blue」は、 きれいなカラーリングのデイパックです。  「アーバー・パック」のポケットは、一つはフラップの内側にあり、もう一つはフロントパネルにありますが、フロントパネル部のポケットは、荷物が少ないときには、フラップと本体をつなぐ二つのストラップが干渉し、開閉しにくく、荷物が少ない場合、それぞれのポケットにたどり着くには、二つのバックルを外す必要があり、一手間かかります。 ポケットに関しては、いずれの二つのポケットも外に向けて付けられている 「トロミロ・パック 22L」に分があります。  「アーバー・パック」と「トロミロ・パック」の違いを一言でいえば、 「アーバー・パック」は袋であり、 「トロミロ・パック」は自立性が高い、ということです。しかし、袋は自由度が高いともいえ、それぞれに一長一短があって、用途次第ということです。  patagonia のウェブサイトの「サイズチャート」では、 「 アーバー・パック 26L」の方が、 「トロミロ・パック 22L」よりもひと回り小さいように感じましたが、 「 アーバー・パック 26L」は、 「トロミロ・パック 22L」よりも大きくできています。採寸法の相違によるものだと思われます。   「アーバー・パック」には、ウェストベルトがつけられていて重宝しています。チェストストラップをつけました。「アーバー・パック」が背中にフィットし、左右に振られることなく安定しました、荷重が分散され、背負い心地が格段によくなりました。

「一人では勉強できないと決めこんでいる受験生たちの夏」

   夏季講習をはじめるにあたって、この夏休み中 には一日十時間前後受験勉強をするのが当たり前、という話をしました。夏休みになって今日で十日経ちました。聞くと、どの子も家庭での勉強時間は、学校で課せられた宿題の答えを適当に写した以外は、ゼロです。どうやら一人では勉強はできないものと固く決めこんでいるようです。  部活動を引退し、中一・二生の夏休みよりも、お気楽で気ままな受験生の夏をお楽しみのようです。  勉強も受験もあなたまかせで 金次第。すべてはお金でご都合よく解決するものとお考えのようです。こんな子どもたちに加担している自分を思うと情けなくなります。そろそろ引き際かな、と思っています。試練の夏です。

「パタゴニア_アーバー・パック 26L のご注文」

 「アーバー・パック 26L 」は、昨年の秋からPC用のバッグとして、ずっと気になっていました。そして、はやる気持ちを抑えつつ行方を見守っていました。三日前に手にした 「トロミロ・パック 22L 」のデザインの、センスの、また使い勝手のよさに気をよくし、バッグ愛好家の私は、「アーバーパック」の新規購入をいとも簡単に決めました。 「アーバー・パック」と 「トロミロ・パック」の容量、用途、機能はさして変わらず、二つのパックを併用する意味はあまり認められませんが、「山より道具」を標榜する好事家とは、得てしてこういうもので、実用性云々というよりも、所有欲が先走ります。 「アーバー・パック」のクラシカルなデザインに魅かれ、押し切られた格好です。 「トロミロ・パック」は Black を購入しましたので、同じ色合いは避けて、 「アーバー・パック」は Navy Blue を注文しました。メリハリのあるきれいなカラーリングです。 patagonia のウェブサイトの「サイズチャート」には、以下の記載があります。 「アーバー・パック 26L 」 46 x 28 x 15 618g  「トロミロ・パック 22L 」 46 x 32 x 23 467g   表記通りとすれば、「アーバー・パック 26L」  は、「トロミロ・パック 22L 」よりもひと回り小さいような気がしてなりませんが、如何なもの でしょうか。メインコンパートメントの開閉口をドローコードで絞る 「アーバー・パック 26L」の 構造が、サイズに影響しているのでしょうか。  また、 「アーバー・パック」のポケットは、一つはフラップの内側にあり、もう一つはフロントパネルにありますが、フロント部のポケットは荷物が少ない際には、フラップと本体をつなぐ二つのストラップが干渉し、開閉しにくいように感じています。ポケットに関しては、いずれの二つのポケットも外に向けて付けられている 「トロミロ・パック」に分がありそうです。 「アーバー・パック」と 戯れる日を、今や遅しと心待ちにしています。

「トイレットペーパーの摩訶不思議」

 トイレットペーパーを使う際、私はトイレットペーパーの端っこをつかんでホルダーから引き出し、その端を上にして二つ折りにしてから、カットしています。そして、もう一度折り返し、四枚重ねにしています。こんな風にする と、トイレットペーパーの裏面が表になって、専らトイレットペーパーの裏面ばかりを使うことになります。  幾重にするかは別として、多くの人はトイレットペーパーの裏面を表にして使っているような気がしてなりません。もしそうだとすれば、こんな馬鹿げた話はなく、トイレットペーパーは裏面を表にして芯に巻くべきだと、常々私は一人、厠で息巻いています。  こんなことを思う私は特異な存在なのでしょうか。  表と裏は、近いようでいて、決して交わることはなく、表裏の関係は、私にとっては切実な問題です。  朝から下世話のお話におつき合いしていただき、申し訳なく思っています。

『空の飛びかた』

今年度改定された 『国語 1』光村図書  (198頁) 「読書案内 本の世界を広げよう」 「 夢 未来に向かって」 の分野で紹介されている書名を目で追いながら、気になった書物についてはその紹介文を読んでいました。 『空の飛びかた』 で、はたと目が止まり、紹介文を見やることなく、教科書から目を離しました。タイトルの勝利だな、と思ったり、 山田太一の テレビ・シナリオ、 『飛ぶ夢をしばらく見ない』を思い出したりしながら、一人の時間を楽しんでいました。 教科書の紹介文には、 S・メッシェンモーザー,関口裕昭訳『空の飛びかた』  空を飛びたいと願うペンギンと、その夢をかなえるべく手助けする男のユーモラスで温かな交流を描く。あきらめず挑戦する「ふたり」の姿に、思わず拍手(はくしゅ)を送りたくなる絵本。 と、書かれています。 まず、絵本であることに驚きました。 『空の飛びかた』の教授は、散文では無理だったのでしょう。 Amazon で検索すると、出版社は「 光村教育図書」とあり、 「 光村図書」の 自画自賛なのかな、と思ったりもしました。   買おうか借りようか迷いましたが、結局借りることにして、そして図書館の帰路寄り道をして、つい今しがた読み終えました。 極力抑えた色使いが印象的です。エピローグは心温まります。そして、最終行の一文は愉快です。 『空の飛びかた』がわかった今、私も空を飛べるような気がしてなりません。 追伸: 書の内容を、いつもいつも道徳としてとらえるような、優等生の読み方は避けたいものですね。楽しければそれがすべてです。

梅雨晴の間に間に_「大野晋、縁は異なもの」

川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫 研究者をめざす大学院生などには、こんなふうに語った。 「スジのいい研究ってのはさ、徐々に成果が見えてくるなんてことはなくてね、いきなりドカンと出てくるもんなんだな。その感じは、衝突といった方がいいかもしれないよ」(303頁) 大野晋『日本語と私』河出文庫  見込みが正しいときにはデータが、こちらの見定める線の延長上に飛び込んでくる。私は定家仮名遣の研究などでそれを経験している。タミル語の場合にも同じことが起きた。(273-274頁) 「どんなご縁で」「そうかもしれない」、という耕治人の短編小説の題名を思い出しました。小説の内容とは縁もゆかりもないのですが…。興味深いお話ですね。

「HPをご覧になられての、はじめてのご来客です」

 一昨日の夕方、ウェブサイトで当塾を知ったという、中一生の女の子のお母さんからお電話をいただきました。2015/05/14 にHPを書きはじめて以来、初のご来客です。とうの昔からあきらめきっていましたので意表をつかれました。今夕に体験入学のお約束をし、電話を切りました。  その後早速、今年度改定された教科書を買いに行きました。そして、その帰路 喫茶店でつらつらと眺めていました。  『国語 1」光村図書 の目次を目で追いながら、気になった幾つかの作品を読みました。 中坊徹次「幻の魚は生きていた」 鈴木嘉一「桜守(さくらもり)三代」 は、いずれも今回はじめて掲載された作品で、『国語 1』光村図書 のために書きおろされた作品です。光村図書で国語を学ぶ中一の子どもたちの目にしか触れないことを思うと、残念でなりません。二作品に共通することは、偶発的なでき事があり、思いもよらぬ出会いがあって、今がある、ということです。ご縁があり、ご縁が結ばれるためには着々とした準備があった、ということです。下ごしらえのないところに縁は結ばれないことを、あらためて思いました。  中坊徹次「幻の魚は生きていた」だけでも、コピーしてUPしようかどうか迷っています。禁じ手とは重々承知の上でのことですが、 このまま 埋もれてしまうのはもったいない話で、 鱒釣り愛好家の方々には、ぜひ一読していただきたいお話です。 幻の魚「クニマス」についてのすてきなサイトが見つかりました。 「SALMON MUSEUM / クニマス / マルハニチロ(株)」 脱帽です。白紙撤回です。退散します。

「パタゴニア_トロミロ・パック 22L と戯れる」

 昨夕、予定通りに パタゴニア「 トロミロ・パック 」BLACK 22L   467g が届きました。  黒地にえんじ色のジッパー。同じくえんじ色のハンドルとアイスアックス用のループ。また、裏地の鮮やかな赤色。前面と左右側面のこげ茶色のタブ、とその色使いはおしゃれで品がよく、   patagonia のロゴマークも映え、縦横比も絶妙で、 見ていてうれしくなります。  フタとフロントパネルのポケットは思っていた以上に大きく、 フロントパネルのポケットには、500ml の山専ボトルが立てた状態で納まります。また 「 底から浮かせた、 パッド入りコンピューター・スリーブ」は、便利で安心感があります。  内側にはコンピュータースリーブの他には何もなく、シンプルな作りになっていますので、普段使い用にトレキング用にと多目的に使えます。  モンベルのチェストストラップをつけました。 トロミロ・パックが背中にフィットし、左右に 振られず安定しました 、両肩で支えていた 荷重が分散され、背負い心地が格段によくなりました。

「パタゴニア_トロミロ・パック 22L のご注文」

 手持ちの THE NORTH FACE の「HOT SHOT 」26L  は、「底から浮かせた、 パッド入りコンピュータ・スリーブ」を備えており、またポケットもたくさんあって、 重量が 1135g と重いことさえ除けば、普段使い用のデイパックとしては、申し分のない、完成度の高いバックパックです。   普段使い用 に、また散策用にと、一回り小さい20L前後のデイパックを探していました。そして、あちこちのサイトを見てまわった結果、 パタゴニア「 トロミロ・パック 」BLACK 22L   467g を購入することに決めました。   トロミロ・パックは  HOT SHOT と同様に、「 底から浮かせた、 パッド入りコンピューター・スリーブ」を備えています。重量は  HOT SHOT の1/2以下と軽く、 大げさでなくコンパクトにまとまっています。一昨日注文しました。デザインや色づかいがおしゃれで 、今夕手元に届くのを楽しみに待っています。  使い勝手や詳細は、後ほど「追記」として書き加えます。

TWEET「梅雨どきの夏季講習」

 当地域では小・中学校は、八月二十一日から夏休みになりました。    明日から夏期講習です。夏休み以降に、土・日講習やら秋季講習やらは、御免こうむりたく、他所の数倍の授業時数を予定しています。子どもたちに宿題や課題を課したところで、到底まともにやってくるとは思えず、予習も復習も、すべてまる抱えですので手間も暇もかかります。父の受診日以外の予定は未定で、子どもたちの都合如何です。例年細切れの時間割になってしまうのが普通です。夏に一通りの受験準備を終える予定でいますが、子どもたち次第 の時間割であって、子どもたちの出来如何の授業ですので、年によってばらつきがあります。  梅雨明け後にも、「梅雨晴の間に間に」のブログを書き継いでいます。後いくつかのブログを予定していますが、夏期講習がはじまると、それも遅々として進まず、誠に申し訳なくも、私の梅雨明けは、とんでもなく遅れそうです。

梅雨晴の間に間に_橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫

川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫  大野は東大の副手をしながら昭和二十三(一九四八)年四月、横須賀(よこすか)にできた清泉女学院高校の教壇にも立つことになった。 (中略) 今日の清泉女子大学の始まりである。 (150頁) 大野晋『日本語と私」河出文庫  日本語の真実を認識するためにと思って、橋本進吉先生の講演を収録した『古代国語の音韻に就いて』(現在岩波文庫)を取りあげた。 (中略) 私はこれを原稿用紙十五枚に要約する宿題を出した。普段は喜んで勉強する生徒たちが「ワカリマセーン」「イヤデース」と口々に叫んだ。落ち着いて読めば分かり易(やす)い話だ。私は次第に憤(いきどお)ろしくなり、叫ぶ生徒たちに雷を落したかった。しかし女性を激しく叱(しか)ると、何故叱られたかは全く考えずに、ただ「オコッタ。ドナラレタ」というマイナスの記憶だけを永く残すと聞いていた。私はこらえて黒板に大きな字で書いた。「知的鍛錬は厳格なるを要す」。彼女らは静まった。数人は、実に見事な要約を提出した。 (161-162頁)  大野晋の課題は凄まじいが、「橋本先生の厳しさに比べれば、僕の厳しさは百分の一だよ」と述懐している。  大学の三年次に杉本つとむ先生の「国語学特論」で、橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫 についてのレポートが課せられた。昭和六十二年四月二十一日のことだった。二百字詰原稿用紙十枚以内というものだった。  川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫  には、  「橋本先生は『石橋を叩いても渡らない』といわれているんだよ。先生は言語学においても、数学や物理学のように厳密、厳格な立証や実証が必要だとお考えじゃないのかな。君もすぐにわかるさ」  といった。石垣( 謙二 )のいったことは、正しかった。 (127頁)  と、書かれていますが、橋本進吉の研究態度が、「厳密」にして「厳格」、「立証」的であり「実証」的であったように、橋本の『古代国語の音韻に就いて』の講演は、橋本の研究の足跡を 順を追ってたどるかのように整然としている。講演そのものが一篇の 論文の体をなしている。橋本は講演とはいえ、一言半句ともおろそかにはしていない。  橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩

「愛」を「大切」と訳した、室町時代における宣教師たちの見識

大野晋『日本語の年輪』新潮文庫  「愛」という言葉は、古くから日本に入って来ている中国語であり、言葉の上だけから見れば、日本語の中で「愛する」という言葉が使われたのは、実はそんなに新しいことではない。 (中略)  もっとも、これらの例は、親が子に対していう場合、姫君が虫を可愛(かわい)がった場合など、小さい物を愛玩(あいがん)し、いとけないものを大切にするという意味であり、「彼女は彼を愛していた」というような、成人した女が男を愛していたという例はない。  室町時代の末に日本に来てキリスト教を広めようとした人々は、キリスト教の愛、神の愛を説こうとしたときに、愛という言葉を避けて「大切(たいせつ)」という言葉をもっぱら使った。それは、当時すでに「愛」という言葉にしみついていた、そういう「小さいものを可愛がる」というような意味から遠ざかろうとしたためであろうと思われる。  女と男が互に平等な人間として、愛し合ということが、果して、現在の日本のように、相手の人格を尊重するという程度の考え方で出来ることなのかどうか。ヨーロッパで、男女が愛し合うというときには、その証人として「神」が大きな役割をしている。 (中略) キリスト教の神は、唯一(ゆいいつ)絶対の審判官である。その保証のもとにおいてのみ、対等な人間の愛がありうるとされている。 (中略) キリスト教の神の観念を消化せずに、果たして、ヨーロッパ風の「愛」が日本人にわかるようになるかどうか。 (102-103頁)

「大暑の日に思う」

検索すると、 「一年で一番暑い日」とあります。 「打ち水」、「涼をとる」という言葉も見つかりました。 「立秋」を経て「処暑」(2016/08/23)に至るまでには、およそ1か月あります。処暑のころには暑さも峠を越します。この猛暑も、あと一月の辛抱です。 「処暑」は、「北海道では一足早く二学期が開始される頃」との記載もあります。私にとっては、夏季講習の仕上げの季節です。真価の問われる時節です。

梅雨晴の間に間に_「大野晋、橋本進吉に倣いて」

大野晋『日本語と私』河出文庫 「橋本先生の演習に出ないなら、東大の国文学科に来た意味がない」 「橋本先生は何万という万葉仮名の分析から、奈良時代の日本語には母音がアイウエオの五個ではなく、八個あったことを発見されたという。その研究は『万葉集』の一語一語の研究に影響を及ぼすという。」(129-130頁)  大野晋は、一高の先輩である大学院生の石垣謙二に背中を押され、東京大学・国文学科・国語研究室で、橋本新吉の「国語学演習」を履修することにした。 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫   (前略) 木曜日の午前十時から正午までの二時間が演習の時間だった。  橋本は角張ったいかめしい顔立ちで、武人の趣がある。最初にこういった。  「私の演習は、毎週、宿題を出します。ですから、アルバイトで忙しいような人は他の 演習を取って下さい。」 (126頁)  橋本進吉の宿題は質、量ともに並はずれたものだった。戦前の海軍の七曜表の「月月火水木金金」どころではではなく、 「 私(大野晋)は『木木木木木木木』という毎日を送っていた。  一つ一つの言葉の意味や読み方を決めるにはどんな技術が要るのか。出来れば用例を何十と集めて、文脈に従って一つずつ意味を推定する。意味を出来るだけ細かく区分する。細かく分けた上でグループにまとめる。そのグループに共通な意味を抽出し、類似の単語との違い目を見る。意味や読み方の年代的な移り変りに気をつけて、その時期を見定める。その結果をギリギリに絞ってまとめ上げる。(橋本先生の演習で学んだ単語研究の原則は、そのまま私の中に定着し、以後の私の日本語研究の基本的方法の一つとなった。それは今も私を支配している。 (中略) それのみならず現在の私の単語研究もまたほとんど同じ根本資料を使い、同じ姿勢で進めている。今の方が多少材料の幅は広く、組合わせ方は少し複雑になっているが)」( 大野晋『日本語と私』河出文庫、 134-135頁) 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫   この年の三月(昭和18(1943)年)、卒業を半年後にひかえた大野は、橋本の最終講義を聴いた。  橋本はいつもの三十三番教室で、いつものようにゆっくりと、噛んで含めるように「国語音韻史の研究」を

「H29年度以降の愛知県公立高校入試・問題例を解いた感想_追記」

「平成29年度以降の愛知県公立高等学校入学者選抜 (全日制課程)における学力検査及び問題例について」 以下、追記です。 国語「2つともできて2点。」(文章の推敲問題) 数学「2つともできて2点。」(図形の証明問題) 社会「全てできて2点。」(正しいものをすべて選ばせる問題) 理科「(2) 正しく書けていて2点。」(グラフの作図問題) 英語「賛成又は反対の立場が,その理由とともに明確に示されていて2点。」(自由英作文)  国語、英語ともに、「表現力(作文能力)」を問う問題が例示されています。それはさておき、各教科 1問2点問題ばかりが掲載されており、意外に思っています。従来通り1問1点問題が、22題 出題されるものとばかり思っていました。新入試制度下においても、今まで通り、 出題数は各教科 20題で変わらないような気がしています。問題数が現行通りで、試験時間が各教科 5分長くなると考えたとき、やはり、正解にたどり着くまでに 時間を要する、「思考力」が試されるのだと思っています。  これでようやく「愛知県公立高入試」も全国水準に近づくのかな、という感を抱いています。愛知県教育委員会のすることは、いつもいつも他府県の顔色ばかりをうかがっていて、意気地なく、不甲斐なく、おもしろくありませんね。 他府県の後追いばかりしていて、美しくないですね。  「愛知県公立高入試」は、 全国で47番目に難しいといわれていた時代が、どれほど長く続いたことか。そして、その後も同じ轍を踏むばかりで、情けないお話です。 以下、ご参考まで。 「H29年度以降の愛知県公立高入試・問題例を解いた感想」

TWEET「梅雨明け宣言」

「18日昼前、気象庁は、九州南部・北部、四国、中国、近畿、東海が梅雨明けしたとみられると発表した。  九州南部は平年より4日遅かったが、四国は平年と同日、九州北部は平年より1日早く、中国、近畿、東海はいずれも平年より3日早かった」。 気象庁の なんとも歯切れの悪い物言いですが、早速。 暑中お見舞い申し上げます。 喧騒の夏、狂騒の夏のはじまりですね。 すてきな夏になるといいですね。 すてきな夏にしたいものですね。 では、では。 暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「いよいよシーズンインか?パタゴニア アセンジョニスト・パックの大躍進」

 このごろになって、 「パタゴニア_アセンジョニスト・パック 25L と戯れる」 の閲覧数が急増しています。本格的なアウトドア・シーズンの到来ということなのでしょうか。私は、アセンジョニスト・パック(ザック)を手にしたことの喜びと、動画の中の STEVE HOUSE の、そのあまりにも手際のいいパッキング術への賞賛を 書いたまでのことであって 、製品情報云々については触れておらず、購入時の参考になるとはとても思えません。  閲覧数急増の勢いに乗じて、私も 「パタゴニア_アセンジョニスト・パック 25L と戯れる」 を読み返しました。待ち受けていたのは、予想通りのことで、急いで推敲しました。ままならぬ文章に、ヒートアップし、暴発寸前です。  ちなみに、その後、 Chartreuse( CHRT)カラーの 「 アセンジョニスト・パック 45L」を購入しました。こちらはいまだに日の目を見ることなく、惰眠を貪っています。 では、では。 この夏のアウトドア・ライフを存分にお楽しみください。

梅雨晴の間に間に_大野晋『日本語練習帳』のことども

 2015年発行の 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫 には、「二00万部を超えるミリオンセラーとなる」との記録がある。大野晋『日本語練習帳』岩波新書 がなぜここまで発行部数をのばしたのかは、今もって謎である。「梅雨晴の間に間に」読みなおしたが、決して読みやすい文章ではないし、これほどまで多くの読者の興味をひくような内容とはとても思えない。一級の国語学者が書いた、専門領域に触れた本がなぜこれほど読まれ続けているのか、不思議でならない。一過性の日本語ブームのひと言では、かたづけられない数字ではあるが、ブームとはえてしてこういうものなのだろうか。  『日本語練習帳』の印税は、大野晋のその後の学究生活を支えた。それは最晩年の学究生活だったために、その意義ははかりしれないものであった。  『日本語練習帳』は1999年1月に岩波書店から刊行された。  大野が『日本語練習帳』の印税も使ってインドからタミル語の専門家を学習院大学に招き、(十日間の)シンポジウムを開いたのは、平成十一(1999)年十月二十六日のことである。来日したのはタミル大、マドラス大、ジャフナ大の教授クラスの研究者など、十一人だった。 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫(335頁)  シンポジウムが終わる直前、前タミル大学学長、アゲスティアリンガムが特に発言を求め、 「正直にいおう。私は大野先生の仮説について、東京にくるまで半信半疑だった」  といってから、次のように語った。 「しかしシンポジウムの十日間、同じイスに座って討論を聞くうち、私の疑問は一日ごとに取り除かれていった。この仮説は理論的に、実際的に、科学的に見て、受け入れられなければならないものであるという結論に達した。日本語はタミルからきたという、少なくとも九十パーセントの確信を私は持った」  タミル語研究の第一人者のこの発言以降、大野は、 「僕の仮説が学会の定説になるには百年かかるだろうと思ってたけど、これで百年待たなくてもよくなったよ。七十五年後には、定説になっていると思うな」  と話すようになった。  しかし大野はその後も、仮説の検証を怠ることがなかった。 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫(337頁)  伊藤若冲の言葉、

「浴衣と白装束との切っても切れない関係」

 豊橋祇園祭は吉田神社の大祭です。豊橋三大祭の一つです。吉田神社は手筒花火発祥の地として知られています。  昨夜は一万二千発の打ち上げ花火が奉納されました。自宅から豊川河川敷の花火の発射地点までは1Kmとは離れておらず、その人いきれと喧騒たるや身のおきばもなく、今年もそそくさと遁走しました。  逃避行中の車窓から、何人かの浴衣姿の、高校生かと思われる女の子を目にしました。薄明時に見る白地に赤、白地に紺の図柄をあしらった浴衣はいかにも妖しくはかなげで、白装束そのものでした。今生の見納めと意を決して、死装束をまとっての、彼、彼氏との一世一代の花火見物と、そんな風に私の目には映りました。見れば顔色も悪く、足取りもおぼつかなく、年若き娘との死別を思ったとき、いたたまれない気持ちになりました。   ふりほどけぬままに、今も昨夕の浴衣姿が頭を占めています。白装束は死出の旅の正装です。彼女たちは私に、「死出の旅の準備を急げ」と告げているのでしょうか。もしそうだとすれば、若い娘たちからのこんなにありがたい忠告は他になく、早速 準備を急ぐことにします。

梅雨晴の間に間に_西行「虚空の如くなる心」

白洲正子『西行』新潮文庫 「そらになる心」についての解釈には二つの説があるが、白洲正子は、「うわの空になって落着きのない心は、春の霞さながらである(岩波古典文学大系)」「と解したい」と述べている。 (22頁) 「虚空の如くなる心」については、以下の如く である。 〈原文〉 紅虹(こうこう)たなびけば虚空(こくう)いろどれるに似たり。白日かゞやけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本明かなるものにもあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虚空の如くなる心の上において、種々の風情をいろどると雖(いへど)も更に蹤跡(しょうせき)なし。此の歌即ち是れ如来の真の形体なり。 (14頁) 〈白洲正子訳〉 美しい虹(にじ)がたなびけば、虚空は一瞬にして彩(いろど)られ、太陽が輝やけば、虚空が明るくなるのと一般である。わたしもこの虚空のような心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で、さまざまの風情(ふぜい)を彩っているといっても、あとには何の痕跡(こんせき)も残さない。それがほんとうの如来(にょらい)の姿というものだ。 (15頁) 「そらになる心」から、「虚空の如くなる心」に到達するまでには、どれほどの歳月がかかったことだろう。この二つの「心」には雲泥(うんでい)の差があるが、まったく似ていないとも言い切れない。 (21-22頁) 「そらになる心」が、「虚空の如き心」に開眼する、その間隙(かんげき)を埋めようとして、私は書いているのだが、西行の謎(なぞ)は深まるばかりである。わからないままで、終わってしまうかもしれない。それでも本望だと私は思っている。わからないことがわかっただけでも、人生は生きてみるに足ると信じているからだ。 (22-23頁) 白洲正子の本領である。

梅雨晴の間に間に_「西行と明恵 その二」

白洲正子『西行』新潮文庫 〈原文〉 紅虹(こうこう)たなびけば虚空(こくう)いろどれるに似たり。白日かゞやけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本明かなるものにもあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虚空の如くなる心の上において、種々の風情をいろどると雖(いへど)も更に蹤跡(しょうせき)なし。此の歌即ち是れ如来の真の形体なり。 (14頁) 〈白洲正子訳〉 美しい虹(にじ)がたなびけば、虚空は一瞬にして彩(いろど)られ、太陽が輝やけば、虚空が明るくなるのと一般である。わたしもこの虚空のような心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で、さまざまの風情(ふぜい)を彩っているといっても、あとには何の痕跡(こんせき)も残さない。それがほんとうの如来(にょらい)の姿というものだ。 (15頁) 言葉もなく、ただ沈黙するばかりである。

梅雨晴の間に間に_「西行と明恵 その一」

白洲正子『西行』新潮文庫  明恵上人(みょうえしょうにん)の伝記の中に、次のような一節がある。多少わかりにくいが、現代語に訳すと光を失うので、先(ま)ず原文で読んで頂きたい。 (14頁) 以下「原文」です。 明恵上人の伝記中の一節(原文)  大体の意味は、ーー世の中のありとあらゆるものは、すべて仮の姿であるから、花を歌っても現実の花と思わず、月を詠じても実際には月と思うことなく、ただ縁にしたがい興に乗じて詠んでいるにすぎない。美しい虹(にじ)がたなびけば、虚空は一瞬にして彩(いろど)られ、太陽が輝やけば、虚空が明るくなるのと一般である。わたしもこの虚空のような心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で、さまざまの風情(ふぜい)を彩っているといっても、あとには何の痕跡(こんせき)も残さない。それがほんとうの如来(にょらい)の姿というものだ。それ故(ゆえ)わたしは一首詠む度に、一体の仏を造る思いをし、一句案じては秘密の真言を唱える心地がしている。わたしは歌によって法を発見することが多い。もしそういう境地に至らずに、みだりに歌を勉強する時は、邪道におちいるであろう、云々(うんぬん)とあって、終りに一首の歌をあげている。      山深くさこそ心のかよふとも    すまで哀はしらんものかは  「山深く」の詠は、新古今集雑(ぞう)の部に入っており、山深くわけ入って、どんなに想像をたくましうしようとも、実際に住んでみなくては、その哀れを知ることはできないと、歌の道の奥深さにたとえるとともに、同じような生活をしている明恵に共感をよせたのであろう。 (15頁)  だが、明恵上人の伝記のこの部分は、史家の研究によると、あとから挿入(そうにゅう)されたものだという。 (中略)  かりに誰かが伝記の中に書き加えたとしても、その誰かはよほど西行を理解していた人物で、芸術と宗教の相似というか、それらの共通点について熟知していたに違いない。その上優れた文章家でもあった。 (16頁) 明恵の遺訓の中に、このような言葉がある。   「この数寄(すき)たる人の中に、目出度き仏法者は、昔も今も出来(いでく)る   な り。詩頌(しじゅ)を作り、歌・連歌にたづさはることは、あながち仏法にては   な けれども、かやうのことにも