内田百閒「長春香」お位牌を食す

内田百閒「長春香」
千葉俊二,長谷川郁夫,宗像和重 編『日本近代随筆選 2 大地の声』岩波文庫

 百閒が「南無長野初の霊」と墨書したお位牌をまつり、長春香をたき、先の関東大震災で若くして亡くなった、百閒の教え子長野初の冥福を祈った。
  闇汁を囲んでの、箏曲家 宮城道雄に対する不用意な発言にはヒヤリとさせられるが、それとてこれからはじまる「狂乱」に比べれば他愛のないことであって、
「お位牌を煮て食おうか」
と云う百閒先生の呼びかけに、
「それがいい」
と応じた学生は、お位牌を「膝頭にあてて、ばりばりと二つに折」り、
「こうした方が、汁がよく沁みて柔らかくなる」
という。

「何事が始まりました」と宮城さんが聞いた。
「今お位牌を鍋に入れたところです」
「『やれやれ』と云って、それから後は、あんまり食わなくなった。」
 また、「学生が二人(追悼会の席上である)夜警小屋を持ち上げる様にして、ゆすぶ」り、「ひどい地震」をおこし皆を驚かせた。
 こうして、食べるほどに飲むほどに闇汁を囲んだ初の追悼会は狂乱を極めていった。

(67-69頁)
悲しみの表出は多彩である。