梅雨晴の間に間に_橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫

川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫 
大野は東大の副手をしながら昭和二十三(一九四八)年四月、横須賀(よこすか)にできた清泉女学院高校の教壇にも立つことになった。
(中略)
今日の清泉女子大学の始まりである。(150頁)

大野晋『日本語と私」河出文庫
 日本語の真実を認識するためにと思って、橋本進吉先生の講演を収録した『古代国語の音韻に就いて』(現在岩波文庫)を取りあげた。
(中略)
私はこれを原稿用紙十五枚に要約する宿題を出した。普段は喜んで勉強する生徒たちが「ワカリマセーン」「イヤデース」と口々に叫んだ。落ち着いて読めば分かり易(やす)い話だ。私は次第に憤(いきどお)ろしくなり、叫ぶ生徒たちに雷を落したかった。しかし女性を激しく叱(しか)ると、何故叱られたかは全く考えずに、ただ「オコッタ。ドナラレタ」というマイナスの記憶だけを永く残すと聞いていた。私はこらえて黒板に大きな字で書いた。「知的鍛錬は厳格なるを要す」。彼女らは静まった。数人は、実に見事な要約を提出した。(161-162頁)

 大野晋の課題は凄まじいが、「橋本先生の厳しさに比べれば、僕の厳しさは百分の一だよ」と述懐している。

 大学の三年次に杉本つとむ先生の「国語学特論」で、橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫 についてのレポートが課せられた。昭和六十二年四月二十一日のことだった。二百字詰原稿用紙十枚以内というものだった。

 川村二郎『孤高 国語学者 大野晋の生涯』集英社文庫 には、
 「橋本先生は『石橋を叩いても渡らない』といわれているんだよ。先生は言語学においても、数学や物理学のように厳密、厳格な立証や実証が必要だとお考えじゃないのかな。君もすぐにわかるさ」
 といった。石垣(謙二)のいったことは、正しかった。(127頁)
 と、書かれていますが、橋本進吉の研究態度が、「厳密」にして「厳格」、「立証」的であり「実証」的であったように、橋本の『古代国語の音韻に就いて』の講演は、橋本の研究の足跡を順を追ってたどるかのように整然としている。講演そのものが一篇の論文の体をなしている。橋本は講演とはいえ、一言半句ともおろそかにはしていない。

 橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫の解説で、大野晋は、
 しかし橋本博士は、一つのきっかけから万葉仮名の用法を精査し、その事実を解釈して、従来気づかれなかった発音の区別が、奈良時代に存在したことを明確にされた。そして、奈良時代の大和地方の言語は八十七の音節を区別する音韻体系を持つものであったことを発見された。これは誰も予想することの無かった事実である。このことが確実になった結果、奈良時代の日本語は、各方面にわたって、その光によって再検討されなければならなくなった。
 一、単語の意味の解釈
 二、単語の語源の説明
 三、文法上の事柄の理解
 四、文献の真偽の識別
 五、東国方言の方言性の認識
これらの事項が、全面的に再吟味されなくてはならなくなった。言ってみれば奈良時代の言語の研究は、この橋本博士の古代音韻の研究という一つのふるいにかけられずには、今後学会の承認を得ることができなくなったのである。(182-183頁)
と、書いている。

 基礎研究とは、遅々として進まない地道な作業の積み重ねであるが、その影響は広範囲におよぶ。「上代特殊仮名遣」の研究に先鞭をつけられ、それをゆるぎないものにされた橋本進吉先生の偉大さを思う。


 橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』は、青空文庫に入っています。ぜひご覧になってください。二時間もあれば読めます。今回読み直す機会がもてたことの幸せを思っています。

以下、
梅雨晴の間に間に_「大野晋、橋本進吉に倣いて」
です。ご参考まで。