内田百閒「長春香」語学学習編

内田百閒「長春香」
千葉俊二,長谷川郁夫,宗像和重 編『日本近代随筆選 2 大地の声』岩波文庫

 「長野初さんは、初め野上臼川氏の御紹介で、私の許(もと)に独逸(ドイツ)語を習いに来た。目白の日本女子大学校を出て、その当時帝大が初めて設けた女子聴講制度の、最初の聴講生の一人として帝大文科の社会学科に通っていた。女子大学では英文科の出身なので、独逸語を知らないから、大学の講義を聴くのに困ると云うので、私に教わりに来たのである。」

「私は自分の教師としての経験から、語学の初歩をゆっくりやっていては、いつ迄(まで)たっても埒(らち)は明かない。当分のうちは毎日来る事、決して差支(さしつかえ)を拵(こしら)えて休んではいけない、時間ははっきりした約束は出来ないから、早くから来て、待っていて貰(もら)いたいと申し渡した。

 語学に限らず、どんな科目でも一気呵成にやることが肝心で、効率的だと心得ています。そしてその通りにしています。百閒先生という強い後ろ盾を得たようで、うれしく思っています。
 しかし、なかなか下記の文章のようなわけにはいきません。今時のお子様方相手にはとても無理です。「復習と予習と宿題」を課すことさえ、私はとうの昔にあきらめましたし、「覚えない前に解ろうとする料簡(りょうけん)は生意気であると」「宣告し」ようものならば、今時のお子様方は早々にご退塾されるに違いありません。百閒先生はおみごとですし、長野初さんは立派です。


 「前の日にやった事は、必ず全部暗記して来なさい。解っても解らなくても、それが何のつながりになるかと云う様な事は、後日の詮議に譲るとして、ただ棒を嚥(の)み込む様に覚えて来ればいい。解らないと思った事でも、覚えて見れば、解って来る。覚えない前に解ろうとする料簡(りょうけん)は生意気であると私は宣告した。
 長野は、そういう私の難題を甘受して、私が課しただけの復習と予習と宿題をやって来た。」

 「勉強家で、素質もよく、私の方で意外に思う位進歩が速かった。間もなく、ハウプトマンのやシュニツレルの短篇を、字引を引いて読んで来るようになった。」

 (60-62頁)