「早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社」
昨夜(2022/02/25)深更に目を覚まし、未明には、
◆ 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社
を読み終えた。
「本書は、NHKテレビ人間大学特別シリーズ「わたしの良寛」として放映された番組を基に」「何の打合せもなく」、執筆されたものであり、重複した内容も各所にみられる。
学生時代、「シナリオ文学」ばかり読んでいた時期がある。
早坂暁については、
◆ 早坂暁『山頭火 ― 何でこんなに淋しい風ふく』日本放送出版協会
◆ 早坂暁『円空への旅』日本放送出版協会
◆ 早坂暁『乳の虎・良寛ひとり遊び』
の三冊を読んだ記憶があるが、『乳の虎・良寛ひとり遊び』に関しては、シナリオが見つからず、1993年放送の「 NHKテレビドラマ」を視聴したにすぎなかったのだろうか。
その検索中に本書と出会った。古書である。
『倉本聰コレクション』はいうにおよばず、
◆ 山田太一『早春スケッチブック』新潮文庫
が、強く印象に残っている。倉本聰と山田太一は当代の双璧だった。
「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」(西江雅之『「ことば」の課外授業 ― “ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社)「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできないが、「ありがとう」の「ことば」は無数にある。
当時もいまも、「言語」と「ことば」の関係には興味がある。
井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。近年では「コトバ」への関心が加わった。
言葉づくしである。
「本書には、仏道修行に励む良寛の姿がみられないが」と書いたが、その間隙を栗田勇が埋めてくれた。秀作である。
栗田は若き日の良寛を、「非常に繊細な、感受性の強い青年」(70頁)だった、「良寛の孤独感と苦悩はただごとではな」(69頁)かったといい、良寛を「ひとりの鋭い精神的な思想家」(69頁)だった、と総評している。
栗田は、「大愚(たいぐ)」,「天真(てんしん)」,「任運(にんうん)」の三語の「良寛さんの言葉を手がかりに」して、良寛の境地の深まりを論述している。(69頁)
「任運」とは「任運自在」のことで、「天真」とは、「天真にして妙なり、迷悟に属さず」の意である。「思慮分別を捨て切ってしまって、悟りも迷いもない」(98頁)「悟り」もないことが肝心で、一遍上人は、「ついには捨てる心さえ捨てろといって」(100頁)いる。
「良寛さんは、(「法華経」中の)特に常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)だけを、自分の生き方の模範にしたいと言っておられます。
「常不軽菩薩品」より
斯(こ)の人未来に斯の人無く、
斯の人已(すで)に去りて斯の人無し。
不軽老、不軽老、我れ人をして転(うた)た至惇(しじゅん)を仰(あお)がしむ。
不軽を讃歎して覚えず全身草に入る。
朝(あした)に礼拝(らいはい)を行じ暮にも礼拝す。但(た)だ礼拝を行じて此(こ)の身を送る。
南無帰命(なむきみょう)常不軽、天上天下唯(た)だ一人。
清風颯々凛々(せいふうさつさつりんりん)たり。
「ここではっきりしているのは、「礼拝」ということです。(中略)
◆ 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社
を読み終えた。
「本書は、NHKテレビ人間大学特別シリーズ「わたしの良寛」として放映された番組を基に」「何の打合せもなく」、執筆されたものであり、重複した内容も各所にみられる。
学生時代、「シナリオ文学」ばかり読んでいた時期がある。
早坂暁については、
◆ 早坂暁『山頭火 ― 何でこんなに淋しい風ふく』日本放送出版協会
◆ 早坂暁『円空への旅』日本放送出版協会
◆ 早坂暁『乳の虎・良寛ひとり遊び』
の三冊を読んだ記憶があるが、『乳の虎・良寛ひとり遊び』に関しては、シナリオが見つからず、1993年放送の「 NHKテレビドラマ」を視聴したにすぎなかったのだろうか。
その検索中に本書と出会った。古書である。
『倉本聰コレクション』はいうにおよばず、
◆ 山田太一『早春スケッチブック』新潮文庫
が、強く印象に残っている。倉本聰と山田太一は当代の双璧だった。
「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」(西江雅之『「ことば」の課外授業 ― “ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社)「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできないが、「ありがとう」の「ことば」は無数にある。
当時もいまも、「言語」と「ことば」の関係には興味がある。
井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。近年では「コトバ」への関心が加わった。
言葉づくしである。
栗田勇「騰々、天真に任す」
早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社
◆ 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫「本書には、仏道修行に励む良寛の姿がみられないが」と書いたが、その間隙を栗田勇が埋めてくれた。秀作である。
栗田は若き日の良寛を、「非常に繊細な、感受性の強い青年」(70頁)だった、「良寛の孤独感と苦悩はただごとではな」(69頁)かったといい、良寛を「ひとりの鋭い精神的な思想家」(69頁)だった、と総評している。
栗田は、「大愚(たいぐ)」,「天真(てんしん)」,「任運(にんうん)」の三語の「良寛さんの言葉を手がかりに」して、良寛の境地の深まりを論述している。(69頁)
「任運」とは「任運自在」のことで、「天真」とは、「天真にして妙なり、迷悟に属さず」の意である。「思慮分別を捨て切ってしまって、悟りも迷いもない」(98頁)「悟り」もないことが肝心で、一遍上人は、「ついには捨てる心さえ捨てろといって」(100頁)いる。
「良寛さんは、(「法華経」中の)特に常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)だけを、自分の生き方の模範にしたいと言っておられます。
「常不軽菩薩品」より
斯(こ)の人未来に斯の人無く、
斯の人已(すで)に去りて斯の人無し。
不軽老、不軽老、我れ人をして転(うた)た至惇(しじゅん)を仰(あお)がしむ。
不軽を讃歎して覚えず全身草に入る。
朝(あした)に礼拝(らいはい)を行じ暮にも礼拝す。但(た)だ礼拝を行じて此(こ)の身を送る。
南無帰命(なむきみょう)常不軽、天上天下唯(た)だ一人。
清風颯々凛々(せいふうさつさつりんりん)たり。
「ここではっきりしているのは、「礼拝」ということです。(中略)
「南無帰命」というのは、命をすべてこれに帰するということです」(101-104頁)
意表をつかれた。
2021/12/14 に、
◆ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書
を再読した。最終章には、「常不軽菩薩」についての記述がある。
「我、深く汝を敬う。あえて軽慢(きょうまん)せず。ゆえはいかん、汝らは皆、菩薩の道を行じて、まさに仏と作(な)ることを得べければなり」と。
しかも此の比丘、専ら経典を読誦せずして、ただ礼拝を行ず。
(中略)
この比丘菩薩は、常に「我、あえて汝らを軽んぜず」と呼びかけたので、「常に軽んぜざる者」(常不軽)」(219-220頁)と呼ばれた。
「或は杖木(じょうもく)・瓦石(がしゃく)をもってこれを打擲(ちょうちゃく)すれば、避け走り、遠く住して、なお高声に唱えて言わく、我、あえて汝らを軽んぜず、汝ら皆まさに作仏すべしと。(平楽寺版四九0頁)」(225頁)
「常不軽の呼びかけに対して、返って来たのは敵意や増悪だった。
それが常不軽をとりまく人間関係だった。常不軽はどんなに憎まれても、罵(ののし)られても、打たれても、人間の本来の清浄な命を讃歎せずにはいられなかった。それを相手に教えずにはいられなかった」(226-227頁)
良寛の認めた「大愚」は、常不軽菩薩にきわまった。仏教界の椿事である。「専ら経典を読誦せずして、ただ礼拝を行」じたところに魅かれる。「大愚」が「大愚」を嗅ぎわけた。大愚良寛の汚名(美名)返上である。その後 良寛の心中には常に常不軽菩薩があり、「礼拝」の毎日を送ったことだろう。
読書が少しずつ進めば、結節点が結ばれることを知った。
意表をつかれた。
2021/12/14 に、
◆ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書
を再読した。最終章には、「常不軽菩薩」についての記述がある。
「我、深く汝を敬う。あえて軽慢(きょうまん)せず。ゆえはいかん、汝らは皆、菩薩の道を行じて、まさに仏と作(な)ることを得べければなり」と。
しかも此の比丘、専ら経典を読誦せずして、ただ礼拝を行ず。
(中略)
この比丘菩薩は、常に「我、あえて汝らを軽んぜず」と呼びかけたので、「常に軽んぜざる者」(常不軽)」(219-220頁)と呼ばれた。
「或は杖木(じょうもく)・瓦石(がしゃく)をもってこれを打擲(ちょうちゃく)すれば、避け走り、遠く住して、なお高声に唱えて言わく、我、あえて汝らを軽んぜず、汝ら皆まさに作仏すべしと。(平楽寺版四九0頁)」(225頁)
「常不軽の呼びかけに対して、返って来たのは敵意や増悪だった。
それが常不軽をとりまく人間関係だった。常不軽はどんなに憎まれても、罵(ののし)られても、打たれても、人間の本来の清浄な命を讃歎せずにはいられなかった。それを相手に教えずにはいられなかった」(226-227頁)
良寛の認めた「大愚」は、常不軽菩薩にきわまった。仏教界の椿事である。「専ら経典を読誦せずして、ただ礼拝を行」じたところに魅かれる。「大愚」が「大愚」を嗅ぎわけた。大愚良寛の汚名(美名)返上である。その後 良寛の心中には常に常不軽菩薩があり、「礼拝」の毎日を送ったことだろう。
読書が少しずつ進めば、結節点が結ばれることを知った。