「山本空外『書道通観』_2/2」

昨日(2022/01/31)、
◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社
◇ 山本空外「書道通観」(17〜27節)
を再読した。
 初読に比すれば、ずいぶん明らかになったとはいえ、いまだに保留にしたままの箇所がある。
 なお、「23〜26節」の「筆法・各論」では、「執・使・転・用・結」について論じられているが、書道と無縁な私にとっては、とりわけ不分明な内容となっている。が、
「しかし書道は思想というよりも、行(ギョウ)じていくうちにかかる書のかける人間になるところに重点があり、したがっていかに分けて述べていても、畢竟するに筆端に帰一せしめられて、その筆者の心の深さに支えられなければならない。(14頁)
「自然の妙有に同じ、力運の能く成すところに非ず」(15頁)
「意前筆後」(「意は筆前に在り、字は心後に居る」(李華))」(15頁)
と、空外は結論づけている。

「こうした書論ないし書道史をいくら詳述したところで、それだけでは噂のくり返しに終るまでである。ここでの重点はかかる形式論でなく、鍾繇(しょうよう)『宣示表』などの古榻(星鳳楼帖)や王羲之『天朗帖』の初拓『群玉堂』中零本、祝枝山旧蔵)などのごときを親しく前にしてはじめて、前掲書論の生動するところに感応する深まりにほかならない。いずれもわたくしの秘蔵で、こうした類の古拓に親しむだけで、臨書はしないのである」(20節 6-7頁)

本誌には、「鍾繇書」,「王羲之書」の古拓の図版が掲載されている。楷書で書かれた「鍾繇」の、整然と文字が並んだ書は気高く優美であるが、「王羲之」の、書体は不明であるが、書は殺気立ち真剣勝負になり、長時間の鑑賞には耐えられないものとなっている。「血法」,「いわば書から血の出るような生きた筆致」とは反対に、殺伐の気を感じる。

「わたくしが臨書をしないのは、「形似」の弊を思うからでもある。唐宋八家の一にえられる蘇軾(そしょく)(1036-1103)も、「画を論ずるに形の似るを以てするは、見、児童と隣りす。詩を賦するに此の詩を必ずとするは、定めて詩を知る人に非ず」と論じて、「詩・画本一律」の観点のもとに、「形の似るを以てする」のを童見に準ぜしめながら、「形似」を越えた心境を重視しており、これはもとより書論にも相通ずるが、その根ざすところをたださなければ、書道が詩・画と同様に鑑賞に傾いて、みずからかような書のかける(行(ギョウ)ずる)主体性に立ち難いのではなかろうか。(21節 7頁)

において、私は、「自然の妙有に同じ」,「『自然』との主体的一如(無二)」,「無二的人間の形成」,「唯法而任運の『自然に肇まる』」,「各各性」,「重層立体的な無二性」、これらが、「書論序観」を成すキーワードになっている、と書いたが、「『形似」の弊を思う」空外の心境が理解される。

「禅家の所謂我を学ぶ者は死すと。
 既に以て醜と為す。然るに似たる者すら猶得べからず。況んや真なる者をや」と。
 ここに禅家(田能村竹田(チクデン)(1777〜1835))の悟入を以て「形似」を超越すべきゆえんをおさえようとする論点は、やはり棋道の達人の言といえる。しかも竹田はそのいう通りの「真なる者」をかきえているのであるから、単なる論者と相違する」(7頁)

この文に続き、珠玉の「蘇東坡居士讃仏偈」が掲載されているが、今回は割愛させていただくことします
梅原猛 先生は、中国史の中に登場する人物では、誰がいちばんお好きですかね。
白川静 一人だけですか。ず〜っと歴史的にみていって…
梅 原 ええ。
白 川 やっぱり、蘇東坡(そとうば)かな。
梅 原 蘇東坡ですか、ああ。どういうところでしょうかね。
白 川 彼はね、非常に才能もあり、正しいことを言うとるんだけれどもねえ、何遍も失脚してね、海南島(かいなんとう)まで流されたりして、死ぬような目に遇(お)うて、それでも知らん顔してね、すぐれた詩を作り、文章を書き、書画を楽しんでおった。

また 3頁には、「わたくしの郷里広島の先輩 頼山陽の(1780-1832)が禅応寺に禅智師を訪うた際の詩」が載っているが、この七言律詩出色の出来ばえである。

「その「今」とはすでに鍾繇・王羲之の昔より現今にいたるまでそのときはいつでも今なのであるから、歴史的現実は絶えず今でしかないが、その絶えざる今を今たらしめるものが真の「古」でもあり、かくして時間を超えて永遠の今が生動する筆致にならなければならない」(16頁)

こういった内容にははじめてふれた。空外先生にはいつも教えられる。