「山本空外_良寛の書を語る」

「良寛の道詠に
  草の庵ねてもさめても申すこと
  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
とあるが、良寛の筆致に見入るほどわたくしは「無縁の慈」の深みに感応する」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 10頁)

「江戸期に相次いだ二大書家、いな二大仏者というべきであろうが、慈雲尊者(1718-1804)と良寛和尚(1758-1831)のごとき、いずれもそうであって、(各各一人ひとりのいのちの根源に迫って、その内面化において自己も悟入し、周囲をも照らす自・他平等の自由が深まる)そうした根源に帰入しなければ、いかに臨書しても、外形に終り、したがって書道でなく、書き方でしかない。
 したがって極言すれば、良寛の書を終日臨書するよりも、和尚の晩年を追想できる越後、長岡国上山の五合庵を訪ねたほうがむしろましではなかろうか。当時ほど不便ではないが、それでも和尚の生活を深めた自然の趣を追跡できるからである。書は人なりといっても、その人間も心も形成されるのは生活と自然によるのであり、その生活も自然のなかでしかない。五合庵にいたる奥まった上下する細道を托鉢のために往来すること十四年(1804-1818)、途上の大木に問いかけて、去にし模様を聞かして欲しい気持をおさええないような環境でもある。そこで暫く乞食生活でもすれば、少しは良寛の書を理解できる道も開けるかもしれないが、現代人には至難のことであろう」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 5頁)

現地におもむき、当地でふれ合えば「感応」することもあるだろう。「五合庵」、また一つ行き先がふえた。

「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、
 草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ
 我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば
などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。
(中略)
やはり心の芸術の奥にはいのちの原点に一如の光が照らさなければ、真実の深みはあらわれようがなかろう。書論各観の原点もこれしかないので、こうした論点に言及するまでである。前掲の良寛和尚の道詠にしても、本義はそこにある。そこに根ざせばこそ、良寛の書が他の禅僧のを超絶している。前掲『書と生命』冊中にも、良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも
 「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」
という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない。
(中略)
また慈雲尊者の名著『十善法語』などを見ても、その広深の見識の根ざすところが書跡にもうかがえる。小さな狭い枠を超えて、平等な自然のいのちが筆致に生動しなければ、けっきょく技巧の外形に終るのほかない。(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 39頁)

「良寛の書のごときは、そうした「大慈悲」の書でもあり、この前に立つものをして、「無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂するなり」といえないであろうか。「仏心とは大慈悲なり」という、その仏心こそ主・客の無二を呼吸する、いのちのつながりの原点であるからである。その原点に立つ書論各観でなければ、生ける書とはいえない。自分勝手な書は、死せる書であり、書といえるものは、「自然に肇まる」書のほかにないはずである。すなわち自然のいのちを書いていなければならない。いかにすればそういう書がかけるか。もとより、「能取(グサーハカ)(主)・所取(グラーヒヤ)(客)を離れる」のほかないのである。自分勝手をせず、自然を自然に生きる。自然のおかげ(空(クウ))でしか生きられないのであるから、自然を自然に、自分なりに、したがってひとを羨まず、ひとに誇らず、自分のかぎりをつくして精進する生活さえすれば、そうした仏心は大慈悲であるから、それが書のいのちとして弘法や良寛のごとき書になるまでである。百千のいわゆる説教を聞くよりも、こういう書を前にしているほうが、人間形成にはプラスになるであろう。『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 41頁)

(「唐の懐素上人といい、わが弘法大師といい」)「良寛の書にしてもそのよさを一語にしていえば、そう(「空」を書くと)いえるようである。いな、極言すれば「空」を書かなければ、未だ書道の門前に立つにすぎないともいえないことはなかろう」『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁)

「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 55頁)

◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社
には、良寛の二書が載っている。
◇「二 良寛書 われありと」(拡大)
 「われありと たのむひとこそ はかなけれ 
    ゆめのうきよに まぼろしのみを」
(「み」は「身」の意でした。勘違いしていました。)
◇「三 良寛書 易曰」(拡大)
  「易に曰く、錯然は則ち吉なり。」
 「易曰錯然則吉也
寒暑 善惡 黑白 好醜 大小 智愚 長短 明暗 髙下 方圓(最後の一画ナシ)緩急 増減 浄穢 遅速」

「 百千のいわゆる説教」はご免だが、良寛の書を前に、まず意を思い、意を解す。
◇「三 良寛書 易曰」(拡大)
では、「錯然は則ち吉なり」と保証された、「各各」の文字の、無邪気にくつろいだ格好が愉快である。
 空外先生のいわれるままに、空海の、慈雲の、また良寛の書(のいのち)を前にすることを毎日とし、よく「持(たも)」つことを心がけます。

2022/02/05「追伸」
森田子龍
「良寛のあの細い細い線は、中にきりっと厳しい骨というか芯があって、そこから外に無限にはたらき出しています。無限の振幅があってそれが空間を奥行のある生きた世界にしています」(『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 33-34頁)

2022/02/21
「古筆学の権威として知られる小松茂美さんは」「良寛書の魅力」を、
「独自のものだ、と思います。枯れた、寂(さび)た、わびた風情。言いがたい一つの線の美しさ…。いきなり真似て書いても、こんな字にならない。禅の修行による人間錬成の結果、無欲恬淡(てんたん)に至り得た境地からの自然な流露のままの字です」
と述べている。(荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 126頁)