小林秀雄「国語伝統の底流」

小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫
「宣長が注目したのは、国語伝統の流れであった。才学の程が、勅撰漢詩集で知られるという事になっては、和歌は、公認の教養資格の埒外(らちがい)に出ざるを得ない。極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した。しかし、意識的な文化の企画には、言わば文化地図の塗り替えは出来ても、文化の内面深く侵入し、これをどうこうする力はない。生きて行く文化自身の深部には、外部から強いられる、不都合な環境にも、敏感に反応して、これを処する道を開いて行く自発性が備っている。そういう、知的な意識には映じにくい、人々のおのずからな知慧が、人々の共有する国語伝統の強い底流を形成している。宣長はそう見ていた」(321-322頁)

「言語伝統は、其処に、音を立てて流れているのだが、これを身体で感じ取っていながら、意識の上に、はっきり描き出す事が出来ずにいる。言語は言霊という自らの衝動を持ち、環境に出会い、自発的にこれに処している。事物に当って、己れを験し、事物に鍛えられて、己れの姿を形成しているものだ。」(322頁)

「言霊」という言葉は万葉歌人によって、初めて使い出されたものだが、「言霊のさきはふ国」とか、「言霊のたすくる国」とかいう風に使われているので明らかなように、母国の言葉という意識、これに寄せる歌人の鋭敏な愛着、深い信頼の情から、先ずほころび出た言葉である事に、間違いない。」322頁)

「言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の網の目と合体して生きる者にとっては、自由と制約との対立などないであろう。この事を、彼(宣長)は、「いともあやしき言霊のさだまり」と言ったのだが、この言語組織の構造に感嘆した同じ言葉は、その発展を云々する場合にも、言えた筈である。」323頁)

 宣長の見識を、小林秀雄が達意の文で綴った。それは以下の、レオ・ヴァイスゲルバーが命名した、「言語共同体の法則」と同等の内容のものである。

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会
「レオ・ヴァイスゲルバーは井筒俊彦が深い関心を寄せた二十世紀ドイツの言語学者である」(222頁)
「ヴァイスゲルバーは、人間と母語の関係に着目する。母語が世界観の基盤を形成し、誰もこの制約から逃れることはできないことを強調する。すなわち全人類は不可避的に言語共同体的に「分節」されている。人間の基盤を成す共同体はまず、「言語共同体」であることを避けられない。彼はこれを「言語共同体の法則」あるいは「言語の人類法則」と命名し、人類が生存する上での不可避な公理だと考えた」(227頁)

 宣長は『古事記』の内容をそっくり信じ、「同じ向きに歩いた」
 井筒俊彦は、宣長の、小林秀雄の、あるいはレオ・ヴァイスゲルバーの「公理」包括する形で、自らの実存的経験を体系化した。井筒は「存在はコトバである」といい、また「言語アラヤ識」を深層領域に措定するに到った証左に、私が思いをいたしたのは、当然の成り行きだった。