井筒俊彦「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと_井筒俊彦 読書覚書」

「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」
一昨日と昨日の両日で、「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」(3-96頁)を拝読いたしました。2018/02/06 に紀伊國屋書店から届き、と時を同じくして、以降、忙しなく、気忙しく、落ち着かない日々を過ごし、恨めしく『第九巻』を眺めるばかりでした。
河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社
 『明恵 夢を生きる』は、1987/04/25 に出版され、間もなく読みました。学生時代のことです。明恵上人をはじめて知り、井筒俊彦を知り、はじめて華厳の世界に触れました。そして、井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』を買いました。『明恵 夢を生きる』には、白洲正子『明恵上人』新潮社 からのいくつかの引用がありますが、白洲正子の作品に親しむようになったのは、その後数年経ってからのことです。また、その前年には、河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店(1986/05/15)を読みました。
 大切なことをそのままに、疎かにしてきたような気がしてなりません。手元にある本を見直します。「第七章 事事無礙」(272-298頁)を読みました。「華厳の世界」(284-290頁)の項に引かれた井筒俊彦の文章は明晰です。もう一度読み直すことからはじめます。
 井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。学術論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。
 井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。

長年来の望みが一つかないました。「コスモスとアンチコスモス ー 東洋哲学の立場から」、「『コスモスとアンチコスモス』後記」へと歩を進めます。詳細は再読後に、ということにさせていただきます。


下記、

「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」
です。