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TWEET『レ・ミゼラブル』

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『噫(ああ)無情』  昨日の終業時の画像です。  木屑の山です。

TWEET『むざんやな」

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 2024/11/12 から自宅の解体工事がはじまり、今日 はじめて重機が入りました。 むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす          芭蕉 「無念です」 「作業終了後」    私はさしずめ、「甲の下のきりぎりす」です。

TWEET「いよいよです_2/2」

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 解体工事 前日の今日、最後の最後に、 電気メータと電線を撤去していただきました。  日が暮れようとしています。

TWEET「いよいよです_1/2」

   昭和33年に建てられた木造二階建ての家屋の解体です。四世代にわたって生活した、思い出もあり、思い入れ もある建物です。  一昨日 同敷地内の別棟に引越ました。  以下、岡本建設さんによる解体工事の日程です。 2024/11/12 〜 2024/11/30 長丁場です。  最後に、いつになく入念に掃除をしました。  日付が変わると同時に電気が停まりますが、12日の朝まで旧宅で過ごします。名残は尽きず、感傷的になっています。

TWEET「面壁九年」

 2024/08/18 から「般若心経」を唱えはじめたことは、たびたび書いたが、昨夕、読経後に訪れる「瞑想」の時間が、絶え間なく続き、 戸惑った。はじめてのことだった。しかし、 考えることに支障をきたし、狂気の世界の人になるかもれない、と戦々恐々としていた。  今日は「瞑想」の質が格段に向上し、「常態」と「瞑想」の往還が自在にできるようになった。椿事である。日常生活において、意のままに「瞑想」の時間がもてるということは望外の喜びである。 「般若心経」を唱えることの功徳を思う。 しかし、いまだ表層意識内のことである。  達磨大師の面壁九年にあやかろうといえば、不埒か。  断章が続きます。

TWEET「月がとっても青いから」

   月を見るのが好きだった。 「栂尾・高山寺」 2020/10/31 あかあかやあかあかあかやあかあか(表記は「くの字点」です)やあかあかあかやあかあかや月 山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ  上記の二首はいずれも明恵上人の詠まれた歌です。横書きでしか表記できないのが残念です。  満月の夜でした。明月が山の端から昇るのを、寒さに震えながら待ちました。 「高野山・金剛峯寺」 2021/11/19 「部分月蝕(満月)」 「 今回は部分月食とはいえ月の直径の98%が隠れるため、ほぼ月全体が隠れる皆既月食に近く、 今回と同じように、『 限りなく皆既に近い部分月食』が日本全国で見られたのは、140年前(1881年12月6日)までさかのぼります」 との記載があった。またとない朗報だった。 「栂尾・高山寺」,「高野山・金剛峯寺」前の駐車場から仰いだ月が、特に印象に残っている。  しかし、この一年あまり、夜空を仰いだ記憶がない。月のこともすっかり忘れていた。ところが、2014/09/18 の夕刻過ぎのことだった。月は私の目の前にあった 。満月の夜だった。不意のことにあわてた。この一年あまりの自分の不甲斐なさを思ったとき、「青い月」は、眩しくて見やることができず、あらぬ方(かた)に眼をやった。  月を思う契機となった。はじめから明月の鑑賞はつらい。新月から順を追って、お月見の習慣を取り戻そうと思った。  検索すると、私の望んだ満月は、「中秋の名月」の翌日の月だった。なにか因縁めいたものを感じた。だしぬけに「中秋の名月」でなく、救われたような気がした。  北の夜空の、北極星を中心とした天体ショーも恋しい。  断片が続きます。

TWEET「無為は転落す」

   有為は転変し、 有為は無常であるが、無為 は瞬時に転落する。 無為であり続けることは困難を極める。 「般若心経」を唱えた後に訪れる瞑想中でのことである。雑念が浮かぶと、経文の一節を思い、払拭することにしている。 「般若心経」が説く「空」と、「禅」のいう「無」の相違は、一応 心得ているが、それがたとえ、「生々とし た世界」で あろうとも、「無の意識さえ消失した世界」であろうとも、ともに、我もなく他人(ひと)もなく、鎮まった世界であることに違いないだろう。 「願いごとはない。  思い はただ、「般若心経」と一如になることである。 「般若心経」を唱えるかすかな、声ともつかないような、意味をともなわない経文を、前頭葉が 聞くともなく聞いている。私の自足した平安な「般若心経」体験である。しかしいまは、それもわずかな時間のことでしかない(2014/10/11)」 「思い」はずいぶん改善した。読経の質が瞑想の質を決めることも理解した。  倦まず弛まず孜々(ここ)として、 「私の仏道修行」はいま、緒に就いたばかりである。  断章が続きます。

TWEET「金木犀」

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 今回の自宅の解体工事では、庭もすべてつぶし、更地にする予定でいる。  昨日の午後、玄関を出ると、金木犀の匂いが漂っていた。  今秋が最後である。  金木犀は知ってか、知らぬか、いつになく意気盛んであった。そうと知ってか、知らぬか、「死花」を咲かせているのかもしれない。 「糸に学ぶ―田島隆夫」 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 「結城の在に名人のお婆さんがいて、死ぬ前に寝床の中でひいた」という「死花」(202頁) のことを思いつつ 、しばらくの間、金木犀の香りに包まれていた。  あちこちから金木犀の匂いがする。金木犀の花期である。いままで、そんなことさえ思わずにいた。  札幌では、地植えの金木犀は枯れてしまったという、また家内に置いた金木犀も葉が落ち、数輪の花をつけたのみ、とのことである。  弟の金木犀への郷愁は意外だった。  また、床の間にある、飾り棚の “竹”が欲しい、という。こちらも意表を衝かれた格好である。 「飾り棚の竹」  人の数だけ思い出の品があり、郷愁がある。  解体工事は、11月の上旬に決まった。 追伸:竹には巧みな細工がしてあった。 「ふた節(白い部分)が天井の内にあり、先端には針金が巻きつけてある」 「もぬけの殻(天井部)」 「飾り棚」 「穴の中には釘の先が見える」 「飾り棚をはさんだ継ぎ目。2本の竹から成っていた」 「殺伐としています」  もちろん解体工事はこれしきのことでは済まず、残酷である。  断章が続きます。

TWEET「大野晋に “御足労”を乞う」

「御足労」,「御苦労」の混同・誤謬を、時折 見かける。 昨日も眼にした。  以下、「御足労」の意である。 『精選版 日本国語大辞典_iOS アプリ』 ご‐そくろう ‥ソクラウ【御足労】 〘名〙 (「ご」は接頭語) 相手を敬って、その人にわざわざ来てもらったり、行ってもらったりすることをいう語。 *錦木(1901)〈柳川春葉〉九 「然うでしたか、其は何とも御足労ゴソクラウでした」 これを機に、以下、「再掲」です。 TWEET「精選版 日本国語大辞典_iOS アプリ」 2022/08/01  もう10年ほど前になるのだろうか。興味本位で電子辞書を買ったが、一覧性に欠け、不自由で、間もなくさしあげてしまった。  カシオの電子辞書には、 ◆「 精選版 日本国語大辞典」小学館  が収録されていて、魅力的だったが、購入するまでにはいたらなかった。  2017/01/17 に、 ◆「精選版 日本国語大辞典」(iOS アプリ) が、リリースされた。発売当初には破格のお値段だった、と知り、また購入したのは、2020/02/23 のことだった。8000円だった。だいぶ出遅れた感を抱いた 。 ◆ 『精選版 日本国語大辞典(紙)』小学館 は、3分冊の大部な辞書で、各冊 16500円の定価がついている。 なお、 ◆『日本国語大辞典(紙)』小学館 は、13巻と別巻1冊からなり、 各巻 16500円である。  その後、間もなく、 ◆「日本語シソーラス 第2版」 (iOS アプリ) ◆「角川類語辞典」 (iOS アプリ) ◆「三省堂 類語新辞典」 (iOS アプリ) をインストールした。作文には、言葉をさがし、言葉を言い換えるために、類語辞典(シソーラス)が不可欠である。  なお、上から三つのアプリは、「物書堂」さんの仕事であり、同じアプリ(「辞書 by 物書堂」)内に移動すれば、横断検索ができ、便利である。  コレクションとして購入したが、 意外にも、使用頻度が多く、重宝している。  また、ネット上の「コトバンク」さんの急進ぶりには、目を見張っている。際限なく成長し、どこ を目指しているのか、不気味な存在である。ただ、不愉快な広告が多いのには、閉口している。 当然、 ◆「精選版 日本国語大辞典」  も表示されるが、やはりダウンロードした「 iOS アプリ」に分がある。  ご自身への「夏季見舞」に

TWEET「私の仏道修行」

  2024/08/18 から「般若心経」を唱えはじめ、いまでは「私の『般若心経』修行」の観を呈してきた。  願いごとはない。  思い はただ、「般若心経」と一如になることである。 「般若心経」を唱えるかすかな、声ともつかないような、意味をともなわない経文を、前頭葉が 聞くともなく聞いている。私の自足した平安な「般若心経」体験である。しかしいまは、それもわずかな時間のことでしかない。   今後、「般若心経」 を唱え続けることで、新たな感懐を抱くようになるだろう。それは楽しみであり、望みでもある。  読経後には必ず、決して短くない、 瞑想のときが訪れる。無私で満ち足りた時間である。瞑想は不意に訪れ、突如去るものとばかり思っていたが、違った。誦経後に不用意に動くと、瞑想の時間がだいなしになる。  読誦の質が、瞑想の質を決めるような気がしてならない。 「私の仏道修行」を続けます。  断章が続きます。 追伸: 「無私」,「自足」の二語は、小林秀雄を解くキーワードである。

TWEET「かつ消えかつ結びて」

 以来、事あるごとに「般若心経」を唱えている。いささか偏執狂的である。  口をついて出てくる経文は、「かつ消えかつ結びて」、時の流れ、 “いま”という刻を感じる。  捕らえどころのない “いま”を手中にするには、「般若心経」に沈潜するしかないだろう。沈潜するとは、「色こそ空なれ」,「空」となれ合う ことである。  私は、「かつ消えかつ結」ばれる経文の一音節を、聞くともなく聞いている。  そしてまた、2023/06/06(鑑真和上の命日)に唐招提寺の本堂で昌和した、いのちの生動の調べとでもいうべきリズムに身を委ねている。 「明の董其昌が『画禅室随筆』のなかで、「いわゆる宇宙、手に在るもの」というゆえんであろう。禅や念仏は、その場合手中に生動する宇宙・自然のいのち(無量寿)を呼吸するパイプにほかならない」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 8頁)  わずか18日間の「般若心経」体験ではあるが、確かにこころに響いている。「いささか偏執狂的」であり続けることに意義がある、と思っている。  断片が続きます。

TWEET 「ヌスビトハギ」

 ヌスビトハギは、可憐な花を咲かせる。  そしていち早く、我が家の庭に秋の訪れを告げる。  が、花期を終え結実すると、 “ひっつき虫”になり、どこにともなくひっつき、たいへんな思いをすることになる。  一昨日と昨日の夕方、花期を迎える前の、 ヌスビトハギを刈った。花を愛で、結実する前に刈るのが風流を解すというものだが、私にはその器用さがない。 全身 “ひっつき虫”に取りつかれた、自分の姿を想像するのはみじめである。 「和名は、果実が泥棒の足跡に似ると言う。奇妙に聞こえるが、牧野富太郎によると、古来の泥棒は足音を立てないように、足裏の外側だけを地面に着けて歩いたとのことで、その時の足跡に似ている由。これは牧野富太郎による説」(ウィキペディア)  泥棒の抜き足差し足、ということか。 「萩(はぎ)の花くれぐれ迄もありつるが月出でて見るになきがはかなさ」  実朝の歌は美しい。  断章が続きます。

TWEET「月あかり」

「うちの店では、すべて純国産の『東海製蝋 』さんの蝋燭だけを置いています」 と、「田辺佛具店」さんに、燭台を求めにお邪魔した際にお聞きした。一年あまり前のことだった。蝋燭といえば「カメヤマローソク」とばかり思っていた私には意外だった。  その後、しばらくの間,「東海製蝋」さんの蝋燭と戯れた。 「月あかり」は、美しい。 「専門店向け。当社の最高級ブランドです」 「品質は高融点、高純度の原料を使った最高品。衣裳(意匠?)は伝統的な風合いと彩りを基調に、あくまで純和風に仕上げました」 「高融点」とは燃焼温度が高く、「高純度」とは、炎は蝋本来の輝きを放つということであろう。  私の手元には、小さな細身の「月あかり十分」しかないが、純白で硬質で、他の蝋燭 との違いは明らかである。炎は細身の蝋燭 と調和し気品があり、直立し揺らぐことなく鎮まっている。また、その透明感のある灯りは上品である。 「 月あかり」の名にふさわしい逸品である。  今回 はじめて 、蝋燭の “灯し比べ”をした。 「月あかり」,「雪だるま」,「華むらさき」,「星のしずく」,「キューブ・テン」, 名は体を表す。蝋燭職人の方たちの想いが名前に反映されていることを知らされた。  父の買い置きの蝋燭と線香がある。「月あかり」を知ったいま、始末屋の私としては、始末するほかない。また、微煙・微香の線香は線香とはいえず、こちらも始末し、たとえば、東大寺参詣時に、興福寺、唐招提寺、室生寺参詣時に求めた線香を焚こうと思っている。  仏壇に供える日用品だからこそ、大切にしたいと思う。  断片が続きます。

TWEET「お仏壇のお引越し」

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 2024/08/24,「田辺佛具店」さんに、仏壇を移動していただいた。  いたって丁寧な仕事ぶりだった 。専門家にお願いして正解だった。  仏間の背面には、包装紙にくるまれた、3枚の板状のものが立てかけられていた。包装紙を解くと、旧い仏壇の、観音開きの一対の扉と、一対の引き戸が出てきた。祖父と父が作ったものである。30年あまりにわたって慣れ親しんできた仏壇の名残だった。  祖父と父の心中を察すると忍びないが、始末屋の役割を振られた私としては、始末するほかない。  しかし、いくら「即断即決」といい、 「メメント・モリ」 といいつつも、お仏壇だけに、遺品として大切に仕舞っておこうかと思い はじめた。仕舞うのではなく、祖父の手製の文机を、いま 「般若心経」を唱える際の経机として用いているが、その前に据えるのが適当か、と思いつつある。  断章が続きます。

TWEET「早々の台風見舞へのご返礼」

こんにちは。 (愛知県豊橋市では)14時を過ぎたころから、風が出ました。大降りの雨が、東の窓に吹きつけています。縁側の雨戸だけ閉めました。 (台風10号の)進路予想を見ていますが、直撃に近かったり、北寄りだったりと予断を許しません。 (自宅の)解体工事を目前に控えたこの時期に、何事もないことを祈るばかりです。 (愛知県)蒲郡市の土砂災害時には、当地では激しい雨は降っておらず、意外でした。 お心づかい、またご心配、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってくださいね。 ご自愛ください。 勇夫  断片が続きます。

TWEET「阿弥陀仏」

 学生時代から「哲学としての宗教」についての書をずいぶん読んできた。が、還暦を過ぎたいま「宗教としての哲学」への転換期か、と感じている。「宗教としての哲学」には実践がともなう。   2024/0 8/19 以来, 「般若心経」をことあるごとに唱えて いる。ゆったりと丁寧に、声が脳内に反響するようにして、一度に三回ずつ誦んでいる。読経後には平安が訪れるが、それもやがて去る 。平安の内にあり続けるために、称名を唱えるように唱えている。いささか偏執狂的である。 山本空外は、 「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」 と明言している。 そして、 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、  草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。 (中略)  前掲『書と生命』冊中にも、良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも  「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」 という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁) と書いている。  なお、山本空外、岡潔は、山崎辨栄(べんねい)上人(浄土宗・光明派)に帰依し、湯川秀樹は山本空外上人に帰依している。こういった慎重さ、保証がなければ、臆病な私は宗教(仏教)には近づけない。 龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 また、空外先生は、 「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダ

TWEET「氷室神社」

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 2023/06/21 興福寺から東大寺・法華堂に向かう途中、東大寺のほど近くに「氷室神社」を見つけた。興味本意で参拝した。  奈良はかき氷が有名である。 「 奈良時代、平城遷都にともなう勅令によって」「 毎年4月1日より9月30日まで」「 献氷(冬の間に作られた氷を宮中に献上すること)が行われるようになり、奈良の地には氷池や氷室が多く造られました」 「氷室神社」はその本社である。 「氷みくじ」があり、 「 氷の上におみくじをのせると文字が浮かび上がる 」  また、コロナ禍のこととて、 の御札 が掲げられていた。  2023/06/25  駐車場から「女人高野 室生寺」に向かう途中、「喫茶 むろう」さんに寄り、かき氷を食べた。メニューはお任せした。宇治抹茶金時が運ばれてきた。 「鉋(かんな)の歯を使っています」 とのことだった。きめ細やかな薄片の氷が幾重にも重なっていた。急いで食べても頭が痛くならず、不思議だった。店主に聞くと、 「井戸水を使っていますから。皆さん、そう言われます」 とのお応えだった。鉋の歯にも秘密があるように思えてならなかった。  同じ町内にある「餅昌」さんで、かき氷をいただいた際にも頭が痛くならなかった。尋ねると、 「きめ細かな氷に空気が程よく含まれていますから、でも頭が痛くなるときもあります」 と奥さんは笑っていた。  また、「デニーズ」さんのメニューには、 「デニーズのかき氷は、不純物のきわめて少ない最高純度の「純氷」を使用し、やわらかな食感と繊細な口どけにこだわりました」 「純氷とは?」 「非常に純度の高い水を、時間をかけてゆっくりと凍らせた氷のこと」「 ふわふわとした繊細なくちどけをお楽しみください!」 と書かれていた。試食しないわけにはいかなかった。頭は痛くならなかった。店長さんに話すと、店長さんは、こめかみを人差し指で指し、笑みを浮かべていた。はじめて知った風だった。 「氷室神社」参拝以来、かき氷通になったかといえば、そうでもない。  断片が続きます。

TWEET「般若心経」

 昨日の午後、久しぶりに「般若心経」を唱えた。何遍か誦んだ。その後には、脳内にかかった靄が晴れた。思惟することを忘れ、平安の内にあった。考えることの功罪について、いま思いを巡らせている。 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 の帯には、 「意味から響きへ、理解から感応へ。 262文字のこころを体感する。 いのちの 全体性へ。」 と書かれている。「意味」や「理解」ではなく、「響き」であり「感応」であり「体感」である。  2023/06/06(鑑真和上の命日)に唐招提寺の本堂で昌和した、いのちの律動の調べとでもいうべき「般若心経」との出会いは尊かった。これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことだろう。たいへんな体験だった。  忘れものを見つけた。それは思い出しさえすればよかった。大切なものは、やはり目には見えなかった。  断章が続きます。

TWEET「Rider 420」

 2024/03/26,「Amazon」で、「Bryton」のサイクルコンピューター(サイコン)「Rider 420」を購入した。サイコンとは自転車に特化したナビ(ゲーション)のことである。  確かに「Google Maps」は優秀なアプリだが、長時間の使用に耐えない、防水性に欠ける 等、こと自転車にかぎっていえば、使い勝手が悪い。 「Rider 420」の画面上では、出発地と目的地が一本の線で結ばれる。背景はない。後はトレースしていくだけである。いたってシンプルであるが、自転車では、このシンプルさが優位に働く。 「Rider 420」は、通行量の少ない路を指し、勾配の緩やかな坂道を示す。はじめての道、道幅数メートルの抜け径を指示することもある。やはり 「Gooole Maps」とは設計思想が違う。  裏道・裏街道を走るの は楽しい。思わぬ見つけものもある。  常に裏道を歩いてきたつもりでいたが、まだまだ裏には裏があることを知った。  断片が続きます。      

TWEET「風に吹かれて」

 ペダルを回せば風が生じる。私はこの風に吹かれるのが好きだ。下り坂はもちろん、平坦な道でも、私はあまり自転車をこがない。移動は慣性にまかせて、風を感じている。  今日の午前中には、買い出しに、いつもと同じ道をいつもと 同じ順路で、「(フォールディング・eBike)Vektron S10」に乗っていった。風に吹かれることが目的だった。たいへんな時間がかかったのは当然のことである。  酷暑の最中(さなか)に吹く風は熱風であるが、それでも風に当たりたいと思う。風に吹かれていたいと思う。  断章が続きます。

TWEET「毒には毒を」

2024/08/11 には、 TWEET「(クロスバイク)シャイディク TR-X」 を書き、その翌日には、 TWEET「( フォールディング・eBike) Vektron S10」 を書いた。 「Vektron S10」を折りたたんで遊んでいると、急に出かけたくなった。そして、自転車での気ままな散歩(ポタリング)を楽しんだ。 昼下がりの最も暑い時間帯のことだった。 気づくと、施錠を忘れ、草履ばき、財布もスマホもチェーンロックもなにかも持たず空手だった。喉を潤すこともできず無防備だった。  帰宅後,「Vektron S10」から「シャイディク TR-X」に乗りかえた。今回はポタリングではなく、田辺仏具店さんに仏壇の引越しをお願い することと、故あっての連日の お墓参りという明らかな目的があった。  帰路、500ml のミネラルウォーターを セブンイレブンで買い 、店先で飲み干した。  毒を以て毒を制す。  酷暑を以て酷暑を制す。  酷暑対策には、酷暑の内に積極的に身を置くという懐柔策もあることを知った。  移動手段としてだけの自転車ではとてもできない荒業だった。遊び心のあるバイクを選択し正解だった。  断片が続きます。

TWEET「私の文章作法」

 私の「文章作法」を端的にいえば “無作法”ということになる。  文章の題名から梗概までを、常に仰向きに寝て考えている。ものぐさであり、無作法である。  こうして粗筋でき上がると、やおら起き上がり、後は PC に向かって文章にするだけである、かといえば、そう上手くはいかない。文章は思いもかけない方へ飛び火し、展開していく。その度に煮詰まり、無作法に無作法を重ね、天を仰ぐことになる。  文章が次第に形をなしてくると、さすがの私も居ずまいを正さざるを得なくなる。文章を概観する必要が出てくるからである。  結びの一文を考える際に、仰向きになることはまずない。無作法と縁を切る時節である。  その後には、 際限 のない推敲が待っている。時を稼ぐこと。力みのない、弛緩した体で臨むことが「私の推敲作法」である。  断章が続きます。

TWEET「Vektron S10」

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 2024/03/12,「スポーツデポ 豊橋店」で、「tern」のフォールディング・eBike(折りたたみ式・電動アシストユニット付きスポーツバイク)「Vektron S10 マットブラック」を購入した。2台目のバイクである。    店長さんのHさんご夫妻も乗られ、サイクリストの聖地「しまなみ海道」や「浜名湖一周」等々のサイクリングを楽しまれているという安心感があった。「10万円キャッシュバックキャンペーン」中のことだった。 前項の  TWEET「シャイディク TR-X」 で、「変速機さえ調節すれば、上り坂でも、ほとんど脚に負荷がかからない」と書いたが、所詮「仕事の原理」からは免れることはできず、ペダルをくるくる回す必要がある。しかし 「Vektron S10」は、平坦な道を走るかのように、ハイギアで上り坂を登ることができる。   “脱クルマ” を目指しているが、暑いの寒いの、雨だの風が強いだのといっていて は到底かなわない。  酷暑のいま、玄関に2台の真新しいバイクが、お行儀よく並んでいる。それは、中古自転車の展示コーナーでも見るかのようである。  断片が続きます。

TWEET「シャイディク TR-X」

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 2023/05/12,「モンベル 浜松店」で、クロスバイク「シャイディク TR-X アイボリー」を購入した。  詳細は後日に譲るが、駆動部の摩擦係数はゼロにちかく、変速機さえ調節すれば、上り坂でも、ほとんど脚に負荷がかからない。「バイク」と「自転車」とは似て非なる乗り物だと感じた。 「駐輪する際には、必ず『サイクルライト』を取り、TR-X は前輪を外せますので、前輪と車体を『チェーンロック』で留めてください。そうしないと盗まれます」 とAさんは言った。 「それだけですと、自転車ごと盗まれる恐れがありますので、道路標識や駐車場の柵などに、別の『チェーンロック』で 留めて(地球ロックして)ください」 「それでもチェーンカッターで、『チェーンロック』を切られたり、部品を盗まれたりします」 Aさんの説明は微に入り細に入りしていたが、 「では、どうすれば盗まれないんですか」 と聞くと、 「運だけです」 との明快なお答が返ってきた。  運を味方につけるには心がけ次第、ということか。  そこそこのクロスバイクなので、そこそこの心がけで間に合うだろうと勝手に決め込んでいるが、私には、その「そこそこ」が難しい。  断章が続きます。

TWEET「変食」

 同じ道を同じ順路で、毎日車で巡っている。私の買い出し、私の生活道路・私の塩の道である。  毎日同じものを仕入れ、同じものを食し、という食生活を送っている 。この極端な偏食は数か月の間続くのが常である。そして、新たな “変食” がはじまる。  が、インスタント食品、惣菜、調理パンの類は口にしない。これでも少しは健康に気を使っている。ちなみにいまの食の内容は、 ◇「鞍馬にぎり」の「うめ」× 2個  ◇「北海道八雲町牛乳(生乳100%使用、成分無調整)」 ◇「小岩井 生乳100% ヨーグルト(400g)」 ◇「国産(中粒納豆)」(全国納豆鑑評会 最優秀賞・第25回 R2.2.21 熊本大会) である。  それに嗜好品として、 ◇「ファミリーマート」の「アイスコーヒーM」と 「Peace SUPER LIGHT」 が加わる。  栄養のバランスを欠くことは承知しているが、いまのところ健康体でいる。栄養素には補完作用があるのだろうか。  それに加えて、 鯨飲馬食。たとえば 「小岩井 生乳100% ヨーグルト(400g)」を、1日に3つ、4つと食す日がある。お通じはよくなるが、下痢をしたことはない。他の食物についても、ときに暴飲暴食をしている、といえば変食も本物だろう。  私は変食を礼賛しているわけではない。ただ世の中には、 変食を満更でもないと考えている輩がいる ことを、知っていただきたかっただけのことである。  断片が続きます。

TWEET「杞憂」

  書を読まなくなって久しい。  趣味の書ではなく、主に人間一般の、また全般の実学の書を読みついできただけにこの痛手は大きい。が、書に手が伸びないので、書を手にしようがない。  自宅の解体工事のことが心に重くのしかかっている。もう少し正確にいえば、地震による倒壊とその被害を恐れている。杞憂だと、笑わば笑え。いくら笑われようが、杞憂ならばそれで結構である。  心の平安を欠いては書は読めない。  書を読まないことによる自責の念だけはもたないように気をつけている。  断章が続きます。 追伸:  2024/08/08 16:43ごろ、宮崎県で最大震度6弱を観測する強い地震があった。ブログを書き終えた直後のことである。とてもひと事とは思えない。  お見舞い申し上げます。  その後 間もなく「南海トラフ地震臨時情報」が出された。

TWEET「紫煙をくゆらす」

 いまだに紫煙をくゆらせている。いつの間にか嫌われ者になり、片隅に追いやられた。  いずれ煙草は覚醒剤扱いの薬物に指定されるだろう。もしそうなれば潜航するのは明らかである。いかがわしい組織から法外な金額で購入し、人目を避けて吸う。反社会的で隠微な世界である。  法によって私たちは護られている以上、法を遵守するのは当然のことである。やはり禁煙するしかないだろう。  ぐるりを見渡せば、喫煙以上に健康を害するものは幾つも見つかる。私たちにとって最も健康に悪いのは “生きている こと”であると思っている。中学生を対象とした個人塾を営んでいたころには、皆さんにとって最も健康に悪いのは “学校に行くこと”です、と言って憚らなかった。  いまでもこれらの持論に変わりはない。  断片が続きます。

TWEET「作文の練習帳」

 断片・断章を書き 連ねているが、これらは作文の練習帳である。書かなかった空白の時間の埋め合わせ、私のリハビリである。  形容詞を極力避け、素っ気ない文章を書くように心がけている。 “間”を “含蓄”を大切に思うからである。  盛夏の青空を自由に翔けることができるようになるだろうか。失墜し花と散るかもしれない。行方は不分明である。  断章が続きます。

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され、79年になります。  原爆はいまだに、 “抑止力としての核 ” として使用され続けています。  私は、 “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治に、キリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は、所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。汎用性が高いとは、専門性に欠け、空手で虚ろ、という意味です。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作は、いまなお新しく、身につまされます。「永遠の今」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っております。

TWEET「政治的手法」

  私は 政治に疎い。  しかし時に、政治的手法に、キリスト教的倫理観は通用しないことくらいの認識はある。  政治は必要悪だと思うこともある。必要とあらば悪にも手を染める。反省もなく、必要悪を盾にとった為政は危険をはらんでいる。認識の差異が各種紛争の火種に なる 。  また、政治はゲームだと思うこともある。海千山千の政治家たちによる、虚々実々の駆け引き、落とし所を探る交渉はゲームさながらである。  当ブログではじめて政治について触れた。所詮私の出番ではなかったような気がしている。  断片が続きます。

TWEET「炎暑のささやき」

 近年の盛夏の陽光には閉口している。  エアコンを点けた部屋に閉じこもるしかない。室内は適当な温度・湿度に調整され、いつの季節よりも快適な空間をつくり出している。何をするにもよい時節である。そのことを忘れてはならないと思う。  炎暑の口車に軽々しく乗ると、ただ暑いだけの夏に終わってしまう。  断章が続きます。

TWEET「庇を貸して」

   宅地内に、NTTの電柱と丁内の街灯のポールが立っている。いずれも好意でお貸ししたものである。自宅の解体工事の妨げになるため、撤去をお願いしているが、おいそれとは話が進まない。NTTの電柱に関しては、!0〜20万円の撤去料が発生するとの理不尽さで、恩を仇で返されたような感を抱いている。また、NTTは、解約後も電話線を残したままにしておくというから、見上げたものである。  善意から敷地内に電線や電話線を通すことも止めた方がいい。  庇を貸して母屋を取られることにもなりかねない。  断片が続きます。  

TWEET「 “タニヤマ”さん」

私が電話口で、 「そのことは谷山さんにおうかがいいたしました」 というと、少し間があって、 「あっ、 “タニヤマ”さんね」 というお答が返ってきた。  谷山さんが平板化して “タニヤマ”さんになった。  ついに名前まで平板化する時代になった。平板化すれば名前が変わる。由々しき問題である。  ご自身の名前を平板化し、口に出して言ってみてほしい。違和感をおぼえるのは当然だろう。しかし、絶えず耳にするうちに、我知らず口にするようにもなり 、ついには改名することになる。言葉は恐ろしい。  昨夕、全日本ピアノ運送さんからお電話をいただいた。ピアノは、見事に “ピアノ”に平板化していた。 “ピアノ”と言われると、子どものおもちゃのピアノを思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。  断章が続きます。

TWEET「外向する」

  内向しなければならない気の流れが、外に向かって発散している。これでは思考することは困難である。  これは一重に自宅の解体工事の準備に慌ただしい毎日を過ごしていることに起因している。解体の準備はいまの私の仕事、と割り切れば、気も晴れようが、その内容に感情が色濃く反映されているから厄介である。  この気の重い、鬱鬱とした生活から解放され、せめて静謐の秋を迎えられることを願っている。  断片が続きます。

TWEET「健康」

  電線・電話線の、また街路灯、テレビアンテナ・アンテナ線の撤去の工事に立ち会った。 確かな仕事が、手際良く進められていく。 私の頭の内で は  “健康”という言葉が去来していた。  引きこもりがちで、不健全、非社会的な生活を送る私にとっては、刺激的だった。  明日から四日続けて工事の立ち合いがある。彼らの仕事ぶりを眺めつつ、 “健康”について思いを巡らせたいと思っている。   “健康”と “健康的”とは意味合いが違う。もちろん、私の関心は “健康”にある。  断章が続きます。

TWEET「始末屋」

 市に委託した「耐震診断調査」の結果、倒壊する可能性が高く、自宅を解体することに決めた。  昭和33年築の4世代の家族が暮らした家であり、25年間にわたって、中学生を対象とした個人塾の教室として利用した家屋でもある。思い出があり、思い入れがある。  解体工事前には、家内を空にする必要がある。いま盛んに物を運び出している。  私は始末屋であって、決して片づけ屋だとは思っていない。  惜別の念があり、名残がある。  不埒、不束、不始末は、法外と気をつけている。  2世代にわたって河合楽器の協力工場を営んでいた。自宅の ピアノは1968年製のアップライトである。自社製の部品も使われている。そのピアノを、タケモトピアノさんに5万円を支払って、引き取ってもらうことになった。2時間かけてきれいにした。2024/07/30 引き取りの予定である。  始末屋の作業には、常にやるせなさが付きまとっている。

「メメント・モリ」

 市に委託した「耐震診断調査(2023/12/19)」の報告書を、2024/01/18、建築士のSさんが、 自宅まで届け、説明してくださった。詳細で大分な書類群だった。  震度6弱の地震に対する耐力を「1〜1.5」とすると、拙宅 の耐力は「0.21」だった。「倒壊する可能性が高い」とのコメントが付されていた。躊躇うことなく、その場で解体することに決めた。  地震での死因のおよそ半数は圧死である。私が圧死するのはかまわないが、他人(ひと)に危害がおよぶと取り返しがつかない。  家屋の解体工事に際しては、家内を空にする必要がある。相続税・申告が終わるのを俟って、汗みずく、埃まみれの毎日が始まった。  以来、「読み書き」はなく、ブログも更新していない。  捨てるのは難しい。「即断即決」。迷いは禁物である。間もなく、「即断即決」とは「捨てる」ことと同義語 であることを知った。 「メメント・モリ」(「 死を忘れるな」という意のラテン語)。 生あるものは死す。 死はすべての人・もの・こととのお別れの時節である。  私はこの解体を、「我が 死に支度の嚆矢」と捉えている。 追伸: 「即断即決」,「 メメント・モリ」 の二語は、P教授から授かった。感謝している。

「紀野一義『空を語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある。」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか。」(63頁) 玄侑宗久さんと同様のことをいっている。「意味を問うことなく、誦んじて読む」ことが肝要であることを再認識した。 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(ばんけい)はいつでも『不生の仏心ひとつ』で押し切った。」(140頁) 「見ようの、聞こうのと、前方より覚悟なく、見たり聞いたりいたすが不生でござる、見よう、聞こうと存ずる気の生じませぬが、これ不生でござる。不生なれば不滅でござる、不滅とは滅せぬでござるなれば、生ぜざる物、滅すべきようはござらぬ。ここが面々の(不生にして霊明なる)仏心そなわりたる所でござる。」(141頁) 「盤珪は、人間が先入感によって気を動かしたり、気に特定の癖をつける気癖(きぐせ)というものを起こしたりすることを極力戒めた。そんなことをするから、犬の声が犬の声と聞こえなくなるのだという。  仏心を愚痴にし変えるな、仏心を畜生にし変えるな、大事の親の生みつけた仏心を、我が欲の汚なさに軽々しく修羅にし変えたりするな、我欲で仏心に気ぐせをつけるな、と盤珪は戒める。」(141-142頁) 「朝比奈宗源老師」  円覚寺の朝比奈宗源老師の説法も、仏心ひとつであった。老師はいつも、  「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる」と言われた。朝比奈老師は盤珪禅師を殊の外尊崇しておられた。 (中略)  老師の「仏心」は、不生不滅の仏心であり、盤珪の「不生にして霊明なる仏心」その

「山本空外_木魚のある心象風景」

山本空外「ナムアミダブツこそは平等往生の観点から 世界文化の最高価値の民主的結晶である ー 法然上人 弁栄上人に学んで 念仏生活 ー」 「アミダさまとは大自然そのものであり、アミダさまによって永遠に人生を全うできるようにしてもらっていることに目覚めると、人間として生まれることができて、今、生きられるのは大自然のおかげであるとわかる。また死んでいってもアミダさまの世界である」 「人間は一息ごとに生きられているので、生きているということは、今のこの一呼吸でしかない、次の一呼吸もとはいえない」 「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダブツの他にない」 「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」 「もとのインド語のナムアミダブツは、人間のくらしの中で一方的に損とか得とか、善いとか悪いとか、つまるつまらぬということはないという意味だから、目先でいかなるマイナスとみえることの中にも、人間一人ひとりが生まれ甲斐を全うし、それぞれなりに人生を実らすことのできるかぎりないプラスがある。  目先の損得でうろうろせずナムアミダブツで大自然の息吹きにふれて永遠の今を生きよう」 (JOBK(NHK大阪第一放送)「こころの時代」抄録 一九九五年(平成七年)四月十一日〜十二日) (龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 137頁) 空外先生は、「ナムアミダブツ」は「日本の宗派仏教で説く念仏ではない」と明言されている。それは前掲した、以下の引用からもうかがえる。 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、  草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというの

會津八一「学規」

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昨夜、P教授から、 ◇ 會津八一「学規」 を読んでください、との SMSが届いた。 「Aizu Museum 早稲田大学 會津八一記念博物館蔵」 学規 一ふかくこの生を愛すへし 一かへりみて己を知るへし 一学芸を以て性を養うへし 一日々新面目あるへし 秋艸道人 流麗な筆の運びである。 法隆寺では、 「いかるが の さと の をとめ は よもすがら                      きぬはた おれり あき ちかみ かも」 また、中宮寺では、 「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の                       あさ の ひかり の ともしきろ かも」 そして、唐招提寺では、 「おほてら の まろき はしら の つきかげ を                       つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ」 の歌碑との出会いがあった。       P教授から贈っていただいた、 ◇ 植田重雄『秋艸道人 會津八一の生涯』恒文社 が、読みかけになっている。そろそろ通読する時期か、と思っている。

白川静「また、明日。 また、あした」

2021/02/11、P教授から、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 「文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった」 と書かれている。 見栄えのする表紙だった。 早速、Amazon に注文した。 そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 「白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした」 と書かれている。 息の長い仕事を成し遂げる秘訣がここにある。

「早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社」

昨夜(2022/02/25)深更に目を覚まし、未明には、 ◆ 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社 を読み終えた。 「本書は、NHKテレビ人間大学特別シリーズ「わたしの良寛」として放映された番組を基に」「何の打合せもなく」、執筆されたものであり、重複した内容も各所にみられる。 学生時代、「シナリオ文学」ばかり読んでいた時期がある。 早坂暁については、 ◆ 早坂暁『山頭火 ― 何でこんなに淋しい風ふく』日本放送出版協会 ◆ 早坂暁『円空への旅』日本放送出版協会 ◆ 早坂暁『乳の虎・良寛ひとり遊び』 の三冊を読んだ記憶があるが、『乳の虎・良寛ひとり遊び』に関しては、シナリオが見つからず、1993年放送の「 NHKテレビドラマ」を視聴したにすぎなかったのだろうか。  その検索中に本書と出会った。古書である。 『倉本聰コレクション』はいうにおよばず、 ◆ 山田太一『早春スケッチブック』新潮文庫 が、強く印象に残っている。倉本聰と山田太一は当代の双璧だった。 「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」(西江雅之『「ことば」の課外授業 ― “ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社)「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできないが、「ありがとう」の「ことば」は無数にある。  当時もいまも、「言語」と「ことば」の関係には興味がある。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。近年では「コトバ」への関心が加わった。  言葉づくしである。 栗田勇「騰々、天真に任す」 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社 ◆ 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 「本書には、仏道修行に励む良寛の姿がみられないが」と書いたが、その間隙を栗田勇が埋めてくれた。秀作である。  栗田は若き日の良寛を、「非常に繊細な、感受性の強い青年」(70頁)だった、「良寛の孤独感と苦悩はただごとではな」(69頁)かったといい、良寛を「ひとりの鋭い精神的な思想家」(69頁)だった、と総評している。  栗田は、「大愚(たいぐ)」,「天真(てんしん)」,「任運(にんうん)」の三語の「良寛さんの言葉を手がかりに」して、良寛の境地の深まりを論述している。(69頁) 「任運」とは「任運自在」のことで、「天真」とは、「天真にして妙なり、迷悟に属さず」の意である。「思慮分別を

「『空こそ色なれ』,そして『空外』」

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会(150-152頁)には、『空外漢訳心経』と『空外梵本心経和訳』が載っている。いずれも、山本空外による、サンスクリット原典からの漢訳であり、邦訳である。  日本では、玄奘三蔵漢訳の『般若波羅蜜多心経』が、「古来最もよく知られ、読まれている」が、訳本に異同が認められるのは、いわずもがなのことである。なお、 「八世紀後半」に 「法隆寺に伝わった『般若心経』サンスクリット写本」が、現存する世界最古のものである。 「あの小さい ( 玄奘三蔵漢訳 )の お経に「無」が二十一遍も出ている。サンスクリット原典の『般若心経』にあって 漢訳本で略している「無」が、もう七つある。また「空」は、漢訳本に七通りありますけど、さらにサンスクリット原本では五遍たさないといけない。」(587頁) 玄奘三蔵の漢訳は読誦することを目的としていて、声調を念頭においたものに違いないが、それにしても意外だった。  玄奘訳の「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。 受想行識亦復如是。」の、「 舎利子」の後に、空外訳には、「於此世界 色空空色」の文句がある。そしてそれは、「この世界においては 色は空にして 空こそ色なれ」と邦訳さ れている。 「漢文では「空こそ」の「こそ」が表わせない。それで「空色」と書いてある。漢文では無理ですけれども、日本語なら「空こそ色」と訳せるでしょう。それでわたくしが『般若心経』を訳しかえた。」(578-579頁) 「『空・おかげでないと、色ではない』というのが『般若心経』の考え方です。」(305頁) 「おかげでないものはひとつもない。それを『空こそ色なれ』というのです。 だから、『 空こそ色なれ』という『般若心経』の一句は、世界を照らすような光です。」(342頁)  また、空外訳ではその後、「空不異色色不異空」と続くが、玄奘訳の「色不異空。空不異色。」とは、順序が逆になっている。そして空外先生は、「空は色に異らず 色は空に異らず」と邦訳している。原典では、いずれの場合も、「空」が重視され、強調されている。 「空外とは、『般若心経』にいう「空(くう)こそ色(しき)」という意味」(578頁)であることをはじめて知った。「空こそ色なれ」とは、空外先生の思いの丈の表れである。 「空」とは、「 簡要にいえば、生きられていることへのおか

「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_新春に『四国遍路』を渉猟する_2/2」

今日(2022/01/14) の午前中、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を読み終えた。三度(みたび)目の読書だった。 「本書はあくまでも解説ではなく、『般若心経』の訳のつもりである」(214頁) 「今回も原稿段階で臨済宗妙心寺派教学研究委員の皆さんに厳正な校閲を頂戴した」(219頁)そして、その後には八名の方の芳名が連なっている。  宗久さんの真摯な執筆態度は、明らかに自覚されるが、雲、「空(くう)」をつかむような話が散見され、行きつ戻りつしたものの、ついには覚束ないままに通読した。 「わからなくていいんです。意味は気にしないよう、何度も申し上げたでしょう」(174頁) 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁)  後になり、先になり、意味が執拗に追いかけてくる。いまそれを云々しようとは思わない。よく「持(たも)」つことだけを心がけている。 追伸:今日の夕方、山本空外先生関連の図書、 ◆ 山本空外著,龍飛水編集『いのちの讃歌』無二会 ◆ 龍飛水『二十世紀の法然房源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 全6冊がそろいました。 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 は、はじめて 「日本の古本屋」 で購入しました。またはじめて、ハードカバーの「日本放送出版協会」の書籍を手にしました。初めてづくしの「本書」から読むことにします。勝手知ったる「浮気」しながらの読書です。

「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_師走に『四国遍路』を渉猟する_1/2」

昨夜(2021/12/19)、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を再読し終えた。  本書は「般若心経のすゝめ」であり、またその実践法である。  一切が無化されていくなかで、ひとり「私」が、とり残された格好である。依然障りある身の「私」が、いつまでも残る。「仕立て上げた『私』」は、執拗でありその根は深い。  意味を問うことなく、誦んじて読む「般若波羅蜜多(心経)」は、「呪文」であり「真言」であり、その声の響きは、「からだ」や「いのち」、はては「宇宙という全体」と直接つながっていると、玄侑宗久さんは説く。そしてまた、「呪文」を「実践」し、よく「持(たも)」つことによって、「仕立て上げた『私』」という殻は「溶融」し、次第に薄くなる、「その薄くなった殻を透かして、私たちは『空』という」「実在」「に気づいてゆく」、という。  師走も半ばを過ぎ、一条の光明が射した。「命なりけり」である。ひと続きの命の不思議さを思う。  座右の書となった。座右の書ばかりが増え、身辺が雑然としてきた。うれしい悲鳴である。 ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 を味読し、次に進みます。 2022/02/03 追伸: 山本空外先生は、  「空」とは難かしくいえば「縁起」のことで(竜樹『中論』四)、これを説明して、「無自性の故に空なり、空亦復(またまた)空なり」といわれる(青目、長行釈)。自性がないということを詳論すれば際限もないほどになるが、簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる。そのことを心に決めて、その覚悟で(書を)書けば「空」を書くことになろう。それでわたくしも南無阿弥陀仏と称名中に揮毫している。(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁) と書かれている。 『空』とは、「簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる」と、空外先生は書かれているが、格の違いを感じている。

永井荷風「日記作法」

永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本)新潮社 「日記というものはつまらない記事のあいだにときどき面白い箇所がある。そういう風にしなくては味がありません」と荷風は語る(中村光夫『《評論》永井荷風』)。」  四十二年の長きにわたって書き続けられた『断腸亭日乗』。「日乗」は「日記」のことだ。連綿とした日々の記録でありながら、読む者を決して飽きさせない。本人が言うところの「面白い箇所」を巧妙に仕立てながら、さらりと書いてのけた荷風一流の「味」が魅力なのだ。(97頁)  詩人の田村隆一は、日記を長く続けるコツは感想を書かないことだと言っている。後で読み返すと自己嫌悪に駆られることが多い。だから日記というものは大抵あとで焼却されたり、どこかに放り込まれて行方不明になってしまうのだ。そうならないためには、その日の天気や、会った人、読んだ本など、事実だけを淡々と書くべきだ、という。なるほど荷風が『断腸亭日乗』を書き出したのは、満三十八歳。以来七十九歳の生涯を閉じるまで、延々と書き続けられたのは、素っ気ないほどの記述の仕方にあったのかもしれない。(88-89頁)  荷風が目指したのは、成島柳北の日記。荷風によれば、「学者でもあり、政治家でもあり、それに粋人ですから着物のことでも、食べ物のことでも実にくわしく書いてあります。柳営の虫干しのことや、そのあとで食事をいただく献立までくわしく書きとめてある。明治になつてから向島へ家を建てる普請の入費、大工の手間から材木の値段まで明細につけてありますよ」(『荷風思出草』)(97頁)  柳北同様、荷風も日々の大事から雑事までのあれこれを、執拗に書き記した。読者は私生活をのぞき見るように荷風の行動を追い、暮らしぶりに思いを馳せることができる。(97頁) 「荷風」とは、「蓮池を吹く風」であることを知った。

「幸田露伴『断腸亭日乗』を称する」

永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本)新潮社  荷風の転居と前後して、幸田露伴も病身ながら、伊東から市川の菅野に移り住んでいた。露伴は荷風の『濹東綺譚』を読み、「涼しい文章だよ」とある編集者相手に褒めたという。そして娘の幸田文に、これは読むようにとすすめた唯一の小説だった。(72頁)

「永井荷風_破蓮」

永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』新潮社 「破れた蓮の葉はひからびた茎の上にゆらゆらと動く。長い茎は動く葉の重さに堪へず已に真中から折れてしまつたのも沢山ある。揺れては触合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、然し云はれぬ情趣を含んだ響が伝へられる。」 (92頁) 荷風が見て取った、蕭条たる景色の美である。 以下、孫引きです。 「余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう」(漱石『草枕』)

「荷風散人」

   『濹東綺譚』が手元にある。あるというのは、あたためてきたということであり、読んだということではない。荷風との交友はいまだ緒に就いたばかりである。  荷風は、江戸の情緒を求め、下町を歩いた散人であり、けっして高踏的ではない。 ◇  永井永光 , 水野恵美子 , 坂本真典『永井荷風   ひとり暮らしの贅沢』 (とんぼの本) 新潮社  のとびらには、浅草ロック座の楽屋でのことであろうか、四人の裸体の踊り子に取り巻かれ、ご満悦な荷風の写真が載っている。彼女たちは皆若くもなく、美しい姿態の持ち主たちでもない。  「三島由紀夫は『一番下品なことを、一番優雅な文章、一番野蛮なことを一番都会的な文章で書く』と『永井荷風[文芸読本]』の座談会で語っている」(31頁) (昭和二十年八月六日 広島市へ原子爆弾投下) 「昭和二十年八月初六、陰、S氏広嶋より帰り其地の古本屋にて購ひたる仏蘭西本を示す、その中にゾラのベートイユメーン、ユイスマンの著寺院などあり、借りて読む、」(36頁) (昭和二十年八月十五日 終戦) 「出発の際谷崎(潤一郎)君夫人の贈られし弁当を食す、白米のむすびに昆布佃煮及牛肉を添へたり、欣喜措く能はず、食後うとうとと居眠する中山間の小駅幾箇所を過ぎ、早くも西総社また倉敷の停車場をも後にしたり、農家の庭に夾竹桃の花さき稲田の間に蓮花の開くを見る、〈以下略〉」(47頁) 「昭和二十二年 一月初八。雪もよひの空くもりて寒し。小西氏の家水道なく炊爨盥漱(すいさんかんそう)共に吹きさらしの井戸端にて之をなす困苦いふべからず。〈以下略〉」 「一月廿一日。晴。北風寒し。井戸端の炊事困苦甚し。」 「二月廿五日。晴れ。今日も暖なり。井戸端の炊事も樹下の食事も楽しくなれり。〈以下略〉」(49頁) 「昭和二十四年六月十五日。晴。〈中略〉帰途地下鉄入口にて柳島行電車を待つ。マツチにて煙草に火をつけむとすれども川風吹き来りて容易につかず。傍に佇立みゐたる街娼の一人わたしがつけて上げませう。あなた。永井先生でせうといふ。どうして知ってゐるのだと問返すに新聞や何かに写真が出てゐるぢやないの。鳩の町も昨夜よんだわ。〈以下略〉」(61頁) 「年は廿一二なるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なることそゞろに惻隠の情を催さしむ。」(62頁)  『断腸亭日乗』は「死の前日まで、四十二年間に亘って綴られた」(

永井荷風「余も其時始て真の文豪たるべし」

永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本)新潮社(35-36頁)  司会者から「この頃露伴全集を読んでいるようですね」と話を向けられると荷風は「文章がうまいですね。とてもわれわれじやあれだけ書けませんよ」と答え、谷崎も「どこを開けてみても、たいがい退屈しないな、『露伴全集』だったら。鷗外さんもだけれども、露伴、鷗外だね、退屈しないのは。どいうわけかな」と続ける。特に、荷風は鷗外の熱心な読者というだけに留まらなかった。信奉者ともいえるほど心酔し、鷗外の居住まいや精神、すべてにおいて崇拝していた。自分の一生を終えるなら鷗外の命日、七月九日に死にたいとまで口にした。 大正十一年七月十九日。 帝国劇場にて偶然上田敏先生未亡人令嬢に逢ふ。上田先生の急病にて世を去られしは七月九日の暁にて、森先生の逝去と其日を同じくする由。〈中略〉余両先生の恩顧を受くること一方ならず、今より七年の後七月の初にこの世を去ることを得んか、余も其時始て真の文豪たるべしとて笑ひ興じたり。  荷風の亡骸の傍らには、鷗外作品の中でも最も熟読した『澀江抽斎』のページが開かれたままになっていたという。 文学者にならうと思つたら 大学などに入る必要はない。 鷗外全集と辞書の言海とを毎 日時間をきめて三四年繰返し て読めばいゝと思つて居ります。    『鷗外全集を読む』より

「山本空外『書と生命 一如の世界(対談)』_2/2」

  今日(2022/02/07)昼すこし過ぎたころ、 ◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 の再読を終えた。 本誌は、 「昭和五一年九月一二日放映 NHK教育テレビ ー 宗教の時間」 の筆記録である。時間的制約のなかでは、意をつくせず、時間的枠内のなかでこそ、最優先に伝えたい内容があり、私たち読者にとっても悲喜こもごもの対談となっている。  なお、森田子龍氏は 墨美社長である。 「そのまま          ー 煩悩即菩提 ー」 山 本  ここまで来て、人間というものについて考えをまとめてみたいのですが、先ず聖徳太子の   世間虚仮、唯仏是真 ということばが思い浮かんでまいります。  相対的・日常的な世界「世間」は、すべて虚仮であり迷妄である、とされ、そこを超えた一如の世界を「仏」としてとらえ、そこだけが真実だとされています。  相対次元と一如の世界とを明確に位置づけ、断固たる自信をもって評価を下されているわけです。(12頁) 「僧侶がいい書を残した」 山 本  でも空海にしても慈雲にしても良寛にしても日本の書道史では僧侶が手 本を示しておられるということはありがたいことだと思いますね。 森 田  書がいいということは、一如の人間に、先生のお言葉でいえば、主客を離れた無二的人間になっているから、つまり無礙自在に自分まるまるを生きているから、その人の書がいいということでしょう。それ以外に書がいいといえる理由はありえないと思うんです。 山 本  そうですね。(34頁) 「形を通し形を超えてその奥で          光るもの ー いのちの根源」 山 本  そうですよ。だから形式も大事だけれども、形式にとどまらずにもう一つ奥で光るというか動くというか、いのちの根源に取り組んで自分でなければ実らせないような人生を、書なら書のなかで、茶道なら茶道として、生かしてゆくことが本当の芸術とか文化といえるのではないでしょうかね。 森 田  そうだと思います。もう一歩を進めて今の形式的な問題、外側の問題をただ無視するのではなくて本当に外にとらわれない一如の自分が、そういう形式の意味を内から生かして出てゆく、それがないといかんわけですね。 山 本  そうですよ。わが国の書論の本に『鳳朗集』というのがありまして、「筆法は