「山本空外_木魚のある心象風景」

山本空外「ナムアミダブツこそは平等往生の観点から
世界文化の最高価値の民主的結晶である
ー 法然上人 弁栄上人に学んで 念仏生活 ー」
「アミダさまとは大自然そのものであり、アミダさまによって永遠に人生を全うできるようにしてもらっていることに目覚めると、人間として生まれることができて、今、生きられるのは大自然のおかげであるとわかる。また死んでいってもアミダさまの世界である」
「人間は一息ごとに生きられているので、生きているということは、今のこの一呼吸でしかない、次の一呼吸もとはいえない」
「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダブツの他にない」
「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」
「もとのインド語のナムアミダブツは、人間のくらしの中で一方的に損とか得とか、善いとか悪いとか、つまるつまらぬということはないという意味だから、目先でいかなるマイナスとみえることの中にも、人間一人ひとりが生まれ甲斐を全うし、それぞれなりに人生を実らすことのできるかぎりないプラスがある。
 目先の損得でうろうろせずナムアミダブツで大自然の息吹きにふれて永遠の今を生きよう」
(JOBK(NHK大阪第一放送)「こころの時代」抄録 一九九五年(平成七年)四月十一日〜十二日)
(龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 137頁)

空外先生は、「ナムアミダブツ」は「日本の宗派仏教で説く念仏ではない」と明言されている。それは前掲した、以下の引用からもうかがえる。

『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 
「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、
 草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ
 我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば
などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。
(中略)
前掲『書と生命』冊中にも、良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも
 「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」
という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁)

思えば、空外先生が、「宗派仏教」という、小さな狭い枠内に住していたはずもなく、認識を新たにした。誤ちは正すにかぎる。

「木魚のある風景」
「『相伝えて云う、魚は昼夜常に醒む。木に刻して形を象り、之を撃つは昏惰を警むる所以なり』(『百丈清規』巻下、法器章木魚条註)とは木魚の一説明で、もと集合のためにも打撃されたが、今は各自の心身覚醒の法器としても用いられている。わたくし自身このために五十数年使用しているが、なるほど『昏惰を警むる所以』が単に身体上のことにとどまらず、心底にまで及んで、利害打算の妄執から離れて、心を澄浄ならしめる法器となっている。木魚の一打一打に念仏をあわせて、いのちの根源に通う心の尊さは、そのまま運筆の際にも支えになっており、その心で書くので、わたくしとしてはいわゆる『自然に肇まる』書を行(ぎょう)ずることになる。心の文化の重点は人間形成になければならず、それでこそいかに時代は移っても、永遠に人びとの心に訴えうる芸術として実るのであろう」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 4頁)

「念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで」ある。(『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 12頁)

「明の董其昌が『画禅室随筆』のなかで、「いわゆる宇宙、手に在るもの」というゆえんであろう。禅や念仏は、その場合手中に生動する宇宙・自然のいのち(無量寿)を呼吸するパイプにほかならない」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 8頁)

いま「木魚のある心象風景」を思っている。

  伊勢にまかりたりけるに、大神宮にまゐりて詠みける
 榊葉(さかきば)に心をかけん木綿(ゆう)しでて
 思へば神も仏なりけり

 何事(なにごと)のおはしますをば知らねども
 辱(かたじけな)さの涙こぼるゝ

 西行は宗教についてもまた自由な考えをした。辱く思い、数寄心にかなうことがすべてであった。西行は無碍の世界に遊んだ。 西行が到達した地平は「真空妙有」であると理解している。

「知恩院」を訪ね、参拝、墓参後、購入しようと考えている。辱く思い、数寄心にかなえば本意である。見やれば、「宗教哲学」にぐるりを囲まれた感を抱いている。「哲学的信仰」である。その尊さを思う。