TWEET「般若心経」
昨日の午後、久しぶりに「般若心経」を唱えた。何遍か誦んだ。その後には、脳内にかかった靄が晴れた。思惟することを忘れ、平安の内にあった。考えることの功罪について、いま思いを巡らせている。
◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書
の帯には、
「意味から響きへ、理解から感応へ。
262文字のこころを体感する。
いのちの
全体性へ。」
と書かれている。「意味」や「理解」ではなく、「響き」であり「感応」であり「体感」である。
2023/06/06(鑑真和上の命日)に唐招提寺の本堂で昌和した、いのちの律動の調べとでもいうべき「般若心経」との出会いは尊かった。これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことだろう。たいへんな体験だった。
忘れものを見つけた。それは思い出しさえすればよかった。大切なものは、やはり目には見えなかった。
断章が続きます。