TWEET「私の仏道修行」
2024/08/18 から「般若心経」を唱えはじめ、いまでは「私の『般若心経』修行」の観を呈してきた。
願いごとはない。
思いはただ、「般若心経」と一如になることである。
「般若心経」を唱えるかすかな、声ともつかないような、意味をともなわない経文を、前頭葉が聞くともなく聞いている。私の自足した平安な「般若心経」体験である。しかしいまは、それもわずかな時間のことでしかない。
今後、「般若心経」を唱え続けることで、新たな感懐を抱くようになるだろう。それは楽しみであり、望みでもある。
読経後には必ず、決して短くない、瞑想のときが訪れる。無私で満ち足りた時間である。瞑想は不意に訪れ、突如去るものとばかり思っていたが、違った。誦経後に不用意に動くと、瞑想の時間がだいなしになる。
読誦の質が、瞑想の質を決めるような気がしてならない。
「私の仏道修行」を続けます。
断章が続きます。
追伸:「無私」,「自足」の二語は、小林秀雄を解くキーワードである。