「紀野一義『空を語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

紀野一義「空を語る」
紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書
「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある。」(126頁)
「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。
 そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁)
「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか。」(63頁)

玄侑宗久さんと同様のことをいっている。「意味を問うことなく、誦んじて読む」ことが肝要であることを再認識した。

「盤珪禅師」
「それからの盤珪(ばんけい)はいつでも『不生の仏心ひとつ』で押し切った。」(140頁)
「見ようの、聞こうのと、前方より覚悟なく、見たり聞いたりいたすが不生でござる、見よう、聞こうと存ずる気の生じませぬが、これ不生でござる。不生なれば不滅でござる、不滅とは滅せぬでござるなれば、生ぜざる物、滅すべきようはござらぬ。ここが面々の(不生にして霊明なる)仏心そなわりたる所でござる。」(141頁)
「盤珪は、人間が先入感によって気を動かしたり、気に特定の癖をつける気癖(きぐせ)というものを起こしたりすることを極力戒めた。そんなことをするから、犬の声が犬の声と聞こえなくなるのだという。
 仏心を愚痴にし変えるな、仏心を畜生にし変えるな、大事の親の生みつけた仏心を、我が欲の汚なさに軽々しく修羅にし変えたりするな、我欲で仏心に気ぐせをつけるな、と盤珪は戒める。」(141-142頁)

「朝比奈宗源老師」
 円覚寺の朝比奈宗源老師の説法も、仏心ひとつであった。老師はいつも、
 「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる」と言われた。朝比奈老師は盤珪禅師を殊の外尊崇しておられた。
(中略)
 老師の「仏心」は、不生不滅の仏心であり、盤珪の「不生にして霊明なる仏心」そのものであった。(145頁)

「エピソード 般若心経」の真骨頂である。
なお、紀野一義の著作に、たびたび登場するインドの聖者、 バグワン・シュリ・ラジニーシの著書、
◆ バグワン・シュリ・ラジニーシ『般若心経 ― バグワン・シュリ・ラジニーシ 色即是空を語る』めるくまーる社
◆ バグワン・シュリ・ラジニーシ『究極の旅 ― バグワン・シュリ・ラジニーシ 禅の十牛図を語る』めるくまーる社
は、学生時代に読んだ。確かに読んだ、という記憶だけが残っている。
また、
◆ 禅文化研究所編『盤珪禅師逸話選』禅文化研究所
は、長年月にわたる積読の最中である。