TWEET「無為は転落す」
有為は転変し、有為は無常であるが、無為は瞬時に転落する。無為であり続けることは困難を極める。
「般若心経」を唱えた後に訪れる瞑想中でのことである。雑念が浮かぶと、経文の一節を思い、払拭することにしている。
「般若心経」が説く「空」と、「禅」のいう「無」の相違は、一応 心得ているが、それがたとえ、「生々とした世界」であろうとも、「無の意識さえ消失した世界」であろうとも、ともに、我もなく他人(ひと)もなく、鎮まった世界であることに違いないだろう。
「願いごとはない。
思いはただ、「般若心経」と一如になることである。
「般若心経」を唱えるかすかな、声ともつかないような、意味をともなわない経文を、前頭葉が聞くともなく聞いている。私の自足した平安な「般若心経」体験である。しかしいまは、それもわずかな時間のことでしかない(2014/10/11)」
「思い」はずいぶん改善した。読経の質が瞑想の質を決めることも理解した。
倦まず弛まず孜々(ここ)として、「私の仏道修行」はいま、緒に就いたばかりである。
断章が続きます。