TWEET「阿弥陀仏」
学生時代から「哲学としての宗教」についての書をずいぶん読んできた。が、還暦を過ぎたいま「宗教としての哲学」への転換期か、と感じている。「宗教としての哲学」には実践がともなう。
草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ
我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば
などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。
「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」
という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁)
2024/08/19 以来,「般若心経」をことあるごとに唱えている。ゆったりと丁寧に、声が脳内に反響するようにして、一度に三回ずつ誦んでいる。読経後には平安が訪れるが、それもやがて去る。平安の内にあり続けるために、称名を唱えるように唱えている。いささか偏執狂的である。
山本空外は、
「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」
と明言している。
そして、
『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社
「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ
我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば
などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。
(中略)
前掲『書と生命』冊中にも、良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」
という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁)
と書いている。
なお、山本空外、岡潔は、山崎辨栄(べんねい)上人(浄土宗・光明派)に帰依し、湯川秀樹は山本空外上人に帰依している。こういった慎重さ、保証がなければ、臆病な私は宗教(仏教)には近づけない。
龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会
また、空外先生は、「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダブツの他にない」(137頁)
と書かれている。
「一息でいえる」ナミアミダブツは、行住坐臥唱えることができ優位である。「般若心経」と「ナミアミダブツ」の併用を模索している。
“美”を前にして立ちつくし、身動きできなくなること。私にとって “美”の体験に優る、平安で満ち足りたときはない。
「本堂(阿弥陀堂)」に九体の阿弥陀如来像が並ぶ「浄瑠璃寺(九体寺(くたいじ))」が、いましきりに気になる。
断章が続きます。