中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」

「なぜか患者さんはよくなる」
中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 
 中井久夫先生は当書のインタビュー記事の中で、
「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね」(200頁)
とおっしゃられています。そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。

◇「こんなこと言うでしょ?」の一文には「?」が付されています。
◇「年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる」って。
◇「まあ『それくらいのこと』は『私も言える』『かもしれない』『ですけどね。』」

「年を取ってくると」、「病気」の一々や「病人」の一々がわからなくても「なぜか患者さんはよくなる」と中井先生はおっしゃられています。
 しかし、いったい、
「なぜ」
「患者さんはよくなる」のでしょうか。
「中井久夫という全体」が「全身全霊」を傾けて、患者さんの「つらさ」「悲しみ」「苦しみ」のまるごとを、そのままに受け容れるから、「患者さんはよくなる」のでしょうか。大切したい言葉です。このことにつきましては、「思いついた分」だけ、またの機会に書かせていただきたいと思っております。急ぐ必要はないと思っています。

追伸:「何もしないから治る」のかもしれません。が、「何もしない」ことは一大事です。
追記:河合隼雄さんは、京都大学の最終講義で、
「余計なことをしない、が心はかかわる」
とおっしゃられています。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
講義名は、「コンステレーション ー 京都大学最終講義」でした。

中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」ことの因るところ
◇ 中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」
「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね」(200頁)

茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書
江 村 音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニックがないらしい。でもそれでいいんだと言う。「テクニックなんて全く持ってない。ただハートがすばらしい。あの人が来るだけで、あのハートに酔っちゃうんだ」と言っていました。
茂 木 バーンスタインについては同じような話を僕も聞いたことがある。前に立つだけで音楽が変わっちゃうって言いますね。
江 村 あの人が出てくると棒なんてものは、はっきり言っていらないんだって(笑)。
茂 木 江村さんのご友人の大野和士さんも、先日私が司会をしているNHKの番組( 『プロフェッショナル 仕事の流儀』)に出られたときに、「最後は指揮者は振らなくていいんだ。究極は、じいっと彫像のようにそこにいるだけで音楽が変わるということが指揮者の理想なんだ」と言っていました。(四八-四九頁)