白川静_「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」
白川静著『回思九十年』(平凡社)
狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫
 白川静、一九一0年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。

 かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」

 一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。

 本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。

 「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。

 作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。
(2000・5・24)(116-117頁)


いま思えば、
◇ 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫
との出会いは有意義だった。〈狐〉に化かされるのは幸いかな。