白川静「[ サイ]の発見」
2021/02/11、P教授から、
◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
の画像が添付されたメールが届いた。
表紙には、
白川 静「序文」
「第一章 初めの物語」
「第二章 からだの物語」
「第三章 (さい)の物語」
(中略)
「白川静」と言えば、[ (サイ)]の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、
◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
の画像が添付されたメールが届いた。
表紙には、
文字があった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
と書かれている。
見栄えのする表紙だった。
早速、Amazon に注文した。
そして、昨日(2021/02/15)、到着した。
また、裏表紙には、
白川静の日常。
時間は静かに流れ、
淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。
それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。
また、明日。
また、あした。
見栄えのする表紙だった。
早速、Amazon に注文した。
そして、昨日(2021/02/15)、到着した。
また、裏表紙には、
白川静の日常。
時間は静かに流れ、
淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。
それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。
また、明日。
また、あした。
と書かれている。
当書評には、吉本隆明の文が引用されている。
「白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。
かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」(2000・5・24)(116-117頁)
吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかないところは目をつぶって、とにかく通読することにする。
「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」
白川静著『回思九十年』(平凡社)
狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫
白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。当書評には、吉本隆明の文が引用されている。
「白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。
かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」(2000・5・24)(116-117頁)
吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかないところは目をつぶって、とにかく通読することにする。
白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社
また、用意が必要になる。白川 静「序文」
「第一章 初めの物語」
「第二章 からだの物語」
「第三章 (さい)の物語」
「序文」と各章を、
「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁)
と書かれた一文に至るまで熟読する。
準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。
ちなみに、本書の内容紹介には、
「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」
との一文がある。理論社の児童書である。
「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁)
と書かれた一文に至るまで熟読する。
準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。
ちなみに、本書の内容紹介には、
「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」
との一文がある。理論社の児童書である。
「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
「白川静(しらかわしずか)」ー 大き過ぎる。(中略)
「白川静」と言えば、[ (サイ)]の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、
「口」には二つの意があり、口耳の “口”に対して、もう一つ、神への申(もう)し文(ぶみ)(人が神に願事(ねぎごと)をするために書かれた手紙)を入れる “器”という意味があった。
それが白川静、曰(い)うところの[ ]である。
それが白川静、曰(い)うところの[ ]である。
この[ ]の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
そればかりではない。その[ ]という “器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。
民族 ー そう「白川民俗学」が「白川文字学」を支える。三千年前の人々の暮らし、それは神々と人々とが交通していた時代の出来事。
それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁)
文字があった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
私にとって、これほどうれしい文句はなく、明日からはしばらくの間、「白川静詣で」をする予定である。
いつにもまして乱脈な文章になってしまった。ご寛恕を請う次第である。
それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁)
文字があった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
私にとって、これほどうれしい文句はなく、明日からはしばらくの間、「白川静詣で」をする予定である。
いつにもまして乱脈な文章になってしまった。ご寛恕を請う次第である。