白川静監修,山本史也著『神さまがくれた漢字たち』理論社

すべては、「神さま」のために。

「目」のはたらき
白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社
「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。
 これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。
(中略)
孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。
 日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。

「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。(30-33頁)

白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉には、はじめてふれました。

「死」の物語
白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社
 人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければならなぬときを迎えます。それが「死」というものでしょう。
「死」それ自体は、形で示されることのないため、「死」の事実を実態として文字に表すことができません。それで、「死」の字は、死者の姿ではなく、代わって、生きている者の死者への対応のありかたを示す字となります。
「死」の左部に記されるのは「歹(がつへん)」残骨(ざんこつ)を象(かたど)ります。その右部には、膝をつき、死者を弔う人の形が配されます。それを草原のなかで行うのが「葬(そう)」です。
 なお、身体をとどめる死者の形を写す字は「亡(ぼう)」であり、また「久(きゅう)」です。「亡(ぼう)」は足を曲げた死者、「久(きゅう)」はうしろより木で支えられている死者をそれぞれ象る字です。この「久(きゅう)」を棺(かん)に入れ、野辺に送ることを示す字が「柩(きゅう)」、すなわち「ひつぎ」にほかなりません。
 この葬礼ののち、おそらく死体は、その野で徐々に腐朽し、そして風化され、やがて骨のみをとどめるものとなります。「死」の字は、そのかろうじて残された骨にたいしてひざまずく人の姿を表した字です。そのことからも、一どめは肉体的な生命を失ったばかりの死者にたいして、二どめはそれよりかなりの月日を経て、風化されたのちの死者にたいして、あわせて二どの葬礼が行われたであろうことが推測されるのです。これを複葬と称しますが、「死」「葬」の字がいずれも、その二どめの葬礼を示すことは明らかです。
 語弊をおそれずにいえば、その一次の「死」にさいして、古代中国の人々がどのような態度で臨んだのかを考えるとき、私(わたくし)たちはさまざまな文献に記された「死」の情景に着目するよりは、むしろ漢字の初めの形に目を凝らすことのほうが、より明確に、その初めの姿を求めうる手段となるのではないかと思われます。漢字はその行為、その動作を、あたかも現実に即した映像として、私(わたくし)たちのまえに、あざやかに開示するものであるからです。ほんとうは、そのことが、ほかのどのような文字からも突出した、漢字の独自性であるといってもよいほどなのです。
「死」は悲傷のことですから、残された者は深い哀しみを訴え、泣き叫びの声をあげます。その、自然に起こる悲嘆の表現を慟哭といいます。ちなみに宮澤賢治は、妹、トシ子の「死」にさいして、その無声の慟哭を発したとのことですが、孔子もまた、その弟子、顔淵の「死」に臨み、「噫(ああ)、天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり。天、予を、喪せり(ああ、天はわたしをほろぼした。天はわたしをほろぼした。)」とくりかえし声を荒げて泣き叫んだと伝えらえます。(99-102頁)

現在、
◇ 
白川静監修,山本史也著『増補新版 神さまがくれた漢字たち』新曜社
が出版されています。
 その内容説明には、「『白川漢字学』のもっともやさしい、最初で最後の、唯一の入門書!」と明記されていますが、はじめに、「もっともやさしい」「入門書」を通して、「白川漢字(文字)学」にふれること。すべてを理解しようとは、決して思わないこと。全般をくまなく理解しようと思えば、すべてを放擲することになるという惨劇が待ちうけているだけです。白川静は大き過ぎます。いい加減な、適当な読書が望まれます。