星野道夫「ハント・リバーを上って」

星野道夫「ハント・リバーを上って」
星野道夫『イニュニック [生命]』新潮文庫
 私たちは、この土地を波のように通り過ぎてゆくカリブーの神秘さに魅かれていた。その上でニックは、一頭のカリブーの死は大きな意味をもたないと言う。それは生え変わる爪のように再び大地から生まれてくるのだと…。「追い詰められたカリブーが、もう逃げられないとわかった時、まるで死を受容するかのように諦めてしまうことがあるんだ。あいつらは自分の生命がひとつの繋ぎに過ぎないことを知っているような気がする」
 僕はそんなニックの話を面白く聞いていた。個の死が、淡々として、大げさではないということ。それは生命の軽さとは違うのだろう。きっと、それこそがより大地に根ざした存在の証なのかもしれない。

 僕は以前から気になっていたことを急に聞いてみたくなった。
「ニック、オオカミは殺しのための殺しをすると思うかい? つまり獲物を食べるのではなく、生命を奪うためだけのハンティングのことさ。一度そんな場面に出くわしたことがあるんだよ」
 僕は何年か前、早春のツンドラで見た、生まれたばかりのカリブーの子を次から次へと殺しながら走るオオカミの姿を思い出していた。
「オレはあると思う。きっと、死はやつらにとって芸術なのさ。それは人間のもつ狭い善悪の世界の問題ではないんだ。そして、そのことは少しもオオカミの存在を低くするものではない。それがオオカミなんだ…」

 クリアランス・ウッドは、「人々がまだ狩りをしながら動物のようにさまよっていた時代の、駆りたてられるような狩猟への思い」をもち、皆から「畏敬の念をもって」見つめられている「本物のハンター」,「本物の猟師」である。

「クリアランスが今ここにいたら、オレたちのことを不思議な生きものを観察するような目で見るだろうな。クリアランスには考えられないんだ、なぜそんなことを心配するのかと。そしてその目は、徹底的に相手を見下した眼差しなんだ。なぜだかわかるか?… クリアランスは今に生きているからなんだよ」

 ニックが話していたように、一頭のカリブーを解体してゆくこの男の技はすばらしかった。そこに残酷さなど入り込む余地はなく、自分が殺した生きものをいとおしむかのようにナイフを入れてゆく、一人の猟師を僕は見つめていた。マイナス五十度まで下がる冬の狩りでは、クリアランスは凍えた手をカリブーの血の中に入れて暖めるという。腹がきれいに裂かれた瞬間、カリブーが最後の呼吸をしたかのように、吹き出すような湯気が晩秋の大気に立ち昇った。

 カリブーの身体が少しずつ離され、小さくなってゆくのを見つめながら、いつかニックと話した「おおげさではない死」のことを考えていた。オオカミに追われ、危うく逃げ失せたカリブーが、その五分後には何もなかったようにツンドラの草を食べている。死はあれほど近かったのに、カリブーはもうすっかり忘れているのだろうか。動物たちにとって、死はそれほど小さなことなのだろうか。そのことを、クリアランスは知っているような気がしてならなかった。獲物を追い、その死を奪い続けてきたクリアランスは、自分の命のことを想ったことがあるだろうか。この男は自分の死さえ考えないほど今に生きているのだろうか。僕はそのことをたまらなくクリアランスに聞いてみたかった。


 クリアランスは未分化のままの世界を生きている。言葉によって細分化されていない世界である。「生と死」,「善と悪」といった二律背反した世界ではなく、すべてが未分化のままの混然として一つに溶けあった世界である。
 人は、無為に生きることを意識した瞬間(とき)作為的になるという逆説の中を生きている。しかし、クリアランスには、無為も作為もなく、反省もなく、我に返ることもない。
 クリアランスは「自分の死さえ考えないほど今に生きているのだ」と思う。