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6月, 2018の投稿を表示しています

「P教授と交わした、西野監督のこと」

「負け残り」 西野監督は久々の大物です。 ジーコ以降の監督が全て小物に見えます。 白人からみると、サッカーのルールをここまで巧妙に活用したアジア人は、許せないでしょう。 ご専門の政治的ご発言ですね。 「他力」,「他力」。「他力本願」。西野監督には、「宗教人」、ましてや「博徒」であるよりも、「サムライ」であってほしかった。 すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』_はじめから」

 弟の帰省時(2018/06/01-04)に、 ◇井筒俊彦 『イスラーム哲学の原像』岩波新書 ◇河合隼雄,茂木健一郎『こころと脳の対話』潮出版社 の二冊を渡した。  その翌日には、早速、自身二冊目となる、 ◇井筒俊彦 『イスラーム哲学の原像』岩波新書 が届いた。そこには、これを機に、本書の再読を、という企図があった。  いま、「Ⅶ スーフィズムと哲学的思惟」にさしかかった。話は、 「イスラームの神秘主義、スーフィズムはどのような点で哲学的思惟と結びついていくか」(104頁) におよぼうとしている。 「その最初の、そしておそらく最も偉大な代表者がイブン・アラビーとスフラワルディーの二人であります。」(104頁) との記述もみえ、佳境に入った感がある。  第二テスト(2018/06/25-27)を中にはさんだとはいえ、遅々として進まない読書である。第一テスト(2018/05/28,29)の際に、やむなく中止した、 ◇ 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 の再読は、「Ⅹ」章 244頁の、 「禅を無彩色文化とすれば、密教は彩色文化だ、と言った人がある。」 からいっこうに進展しないままに、今に至っている。まとまったものを読む際には、一気に通読しないとだめである。時間をおけば、鮮度が落ちる。いっそのこと、はじめから読み直した方がいい。  テストのたびに、なぜ子どもたちといっしょになって、あくせく、あたふたしなければならないのか。「転ばぬ先の杖」を突きすぎている。先回りしすぎている。時間がないことを理由に、自戒としていることを軽々と乗り越えている。  今年もまた、夏期講習が、目の前にちらつく季節になった。喧騒の夏はさっさとやり過ごし、静謐の秋に期することにする。

「『サムライブルー』と『赤い悪魔』の一戦によせて」

 西野ジャパンは、決勝トーナメントで、ベルギーとの対戦が決まった。ベルギーは今大会屈指の強豪国である。世界ランク3位にして、優勝の呼び声も高くとは、私の勝手な憶測だが、試合巧者であり、得点力の高さが際だっている。  真剣勝負の「サムライ」と、虚虚実実、海千山千の「悪魔」との対決である。  片や「サムライ」と化し、片や「悪魔」と化した選手たちによって描かれる、一幅のサッカー絵巻を鑑賞することが、私の期するところである、勝負は時の運といえば、西野ジャパンに失礼なのだろうか。

「狭隘なエリア内でのネイマールの本領」

 狭隘なエリア内で、密集した域内で、ネイマールが絡むと、にわかに生起づきます。早く正確なパス回しの、その意思の疎通はみごとです。ネイマールに逆をとられ、バランスを崩した相手は、なす術がありません。意を得たようにボールは動き、敵陣は翻弄されます。ネイマールの突出ぶりがうかがえます。  ロナウド、メッシはゴールハンターですが、ネイマールには少し違ったものを感じています。しかし、三選手に共通していえることは、ポジショニングの上手さです。嗅覚に優れています。

TWEET「ラッシュ時」

 今日定期テストが終わりました。緊張の糸が切れ、だらしなく、また疲弊、消耗しています。  明日からは、父の受診のつき添い「ラッシュ」です。調べると、「ラッシュ」には、「突進」,「奔走」,「にわか景気」の意義があります。いまの私には、「突進」する元気も覇気もなく、「奔走」,「不景気」は常態ですが、せめて「にわか景気」にでもあずかりたいものだと、詮無いことを思っています。  7月21日から夏休みです。夏期講習の時節です。授業「ラッシュ」です。  「ラッシュアワー」は、昔から不得手です。

「札幌南高等学校 野球部の皆さま方へ_これは義務です」

 この一ヶ月あまり、以下のブログの閲覧が毎日にようにある。ぽつりぽつりとではあるが、望外の喜びである。殊に、「マネージャーの皆さん方」に、私の想いが届けば、と願っている。 「慶祝!ご卒業!!_札幌南高等学校 野球部の皆様、またマネージャーの皆様方へ」 「夏の終わりに、『札幌南高等学校 野球部のマネージャーの皆さま方へ』です」 「札幌南高等学校 野球部の皆さま方へ_まとめて」  この夏の、「札幌南高等学校 野球部」の快進撃に期待をよせている。「マネージャーの皆さん方」のために、君たちは勝つべきです。これは義務です。

詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」

木坂 涼「魚(うお)と空」 光村図書出版『国語 1』(70-71頁) 急降下。 鳥が 翼(つばさ)で 海を打つ。 鳥は もう摑(つか)んでいる。 波は 海のやぶれ目を ごまかしている 魚は 海を脱(ぬ)けでる 初めて そして たった一度だけ。 空の高見(たかみ)で もうひとつの空へ のまれる  「海のやぶれ目」の意味が解らない子どもたちが結構います。「もうひとつの空」とは、「彼岸」という意味なのでしょうか。  釣り上げた「ちびっこバス君」を宙づりにすると、「キョトンとした顔つき」をしてぶら下がっていることがあります。はじめてふれた世界に何が起きたのかわからないのでしょう。「ちびっ子バス君」たちにとっては、手荒い洗礼です。水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの攻防です。

詩一篇他_八木重吉「太陽」

八木重吉「太陽」 光村図書出版『国語 1』(70頁) 太陽をひとつふところへいれていたい てのひらへのせてみたり ころがしてみたり 腹がたったら投げつけたりしたい まるくなって あかくなって落ちてゆくのをみていたら 太陽がひとつほしくなった 稚気、ユーモア。また、八木重吉の「よゆう」,「ゆとり」が看取される詩です。そして、武満徹「◯(マル)と△(三角)の歌」を思いました。 武満徹「◯(マル)と△(三角)の歌」 地球ハマルイゼ  林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ  ピラミッドハ三角ダゼ 空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ  小サナ星ダゼ 地球ハマルイゼ  林檎ハアカイゼ ロシアハデカイゼ バラライカハ三角ダゼ 以下、 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON(全) です。

「橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫」と突発的な事態」

 昨日には、 梅雨晴の間に間に_橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫 の閲覧が、59件あった。そのほとんどが、アメリカ在住の方たちによるものだと思われる。内容が内容なだけに不思議な感じがしている。今日も閲覧が続くのだろうか。  この際、 梅雨晴の間に間に_「大野晋、橋本進吉に倣いて」 「拝啓 P教授様_『大野晋_まとめて』です」 も、あわせて読んでいただきたいと思う。このような突発的な事態が再びあるとはとても考えられない。

「ピッチ上で涙に暮れたネイマール」

 今大会 初勝利だった。ブラジルには後がなかった。そんななかネイマールは、自身初得点をあげた。   試合後のピッチには、涙に暮れるネイマールの姿があった。ストライカーとして、また得点シーンを演出するキーマンとして、ブラジル国民の、また世界中のサッカーファンの期待を一身に背負った、ネイマールの重責をみる思いがした。  初戦のスイス戦、また今回のコスタリカ戦では、決定的なチャンスを逸し、両手で顔をおおう仕草が目立った。しかし、その自在なボールさばきや身のこなしからは、ネイマールが負っていた重圧を思うことはなかった。  涙がすべてを払拭したことを願ってやまない。新生ネイマールの融通無碍なプレーに期待している。

「夏至の夜に夏炉冬扇について思う」

 明るい上弦の月が、西の空にかかっている。梅雨時の雨模様の合間をぬっての月見である。  分厚い雲の向こうには、着々と準備を終えた灼熱の太陽がひかえている。雲が払われれば、一気に真夏である。  授業中に脱いだり着たりを繰り返している。暑くなったり、肌寒く感じたり、と着替えに忙しい。子どもたちに「暑くないの?」と聞けば、「暑くない」と言い、「肌寒くないの?」と問えば、「寒くない」と応える。加齢にともなって、体温の調節機能がおぼつかなくなり、それを衣類の着脱で補う必要が生じてきたように思えてならない。  けっして、熱にうなされるほどの授業をしているわけではないのだが、話しはじめるととたんに暑くなる。私の足元には、何着かの上着やらパンツやら靴下やらが転がっている。ストーブも出したままである。  私家にとっては、「夏炉」といい、「冬扇」といい、とりたてて騒ぐほどのことではなく、必要とあれば、季節を問わずなりふりかまわず、ということである。

「前略 Dr.T様,K様_『ふらの 野菜の里』」

父への、野菜ジュース「ふらの 野菜の里」のご贈答、どうもありがとうございました。昨日の午前中に届けられたとのことです。たび重なるお心配りに、感謝しております。 これで、今夏の野菜不足の解消は間違いなく、夏バテ対策は万全です。 遅ればせながらも、お礼まで。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:昨夜は、授業後、コロンビア戦のライブ中継を PC で観戦しました。西野ジャパンの好発進に気をよくしています。

「拝復 Dr.T様_地震見舞いに深謝する」

 いつものように、我が家の二階の揺れはひどく、自室の揺れるペンダントライトを見上げて、茫然としていました。 ちょうど、 TWEET「深夜深更,ネイマールに呼び覚まされる」 を書いている最中の出来事でした。 速報をみると震度2でした。父子、家屋ともに無事です。  昨日の群馬での地震はについては、はじめて知りました。 来週の 月,火,水曜日に、定期テストがあります。今日は、土曜日の「資源回収」の振り替え休日で、中学校は お休みです。今日も昨日も子どもたちは一人も来塾せず、開店休業です。かといって、家を空けるわけにもいかず、軟禁状態です。稀に見る珍事です。受験生諸君が、後々 後悔しないことを祈るばかりですが、受験生にしてこの体たらくとは、惨めです。お気楽にすぎます。 早々の地震お見舞い、どうもありがとうございました。 父にも、その旨伝えておきます。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「深夜深更,ネイマールに呼び覚まされる」

 弟の 2018/06/01〜04 の帰省時に、「2018 FIFA ワールドカップ ロシア」が、06/15 から開催されることを聞いた。危うく見逃すところだった。新聞を読まず、テレビはなく、かといってインターネット上の記事をみる習慣もない私にとっては、大きな救いとなった。  NHK が配信する二分前後のダイジェスト版を、PC で見て楽しんでいる。今朝(AM3:00〜)は、「ブラジル 対 スイス戦」のライブ中継を PC で観戦した。偶然に目が覚めた。ネイマールに呼び覚まされた格好である。ネイマールの創造的なプレーは常に観る者の歓心を得る。ネイマールの華麗な舞いに守備陣が翻弄される。前半だけ見て寝た。  刺青を入れた選手が目立つ。「2002 FIFA ワールドカップ 日韓共催」時、イングランドのベッカムは、腕に刺青を入れていたために、一人長袖のユニフォームを身につけていた。日本の若者への影響を鑑み、長袖のユニフォームを着用することを強要され、「ベッカムヘア」だけが一人歩きした。刺青に関する認識が変った。刺青が日の目を見るようになった。  当然 西野ジャパンは気になるが、それ以上に個人技への期待が優先する。ネイマールに再び三度 呼び覚まされても文句は言うまい。

「拝復 P教授様_神は寛恕し、容認する」

「第一信」 おはようございます。 起き抜けに、早速新聞記事を拝読させていただきました。  「英国界隈の情勢については、P教授に聴け!!」という図式がすっかり定着しましたね。  「神」か、「人」か。寛恕 なる「神」は、採択された結果(妊娠十二週未満の中絶の容認)を享受し、受容することと信じております。 朝早くからの添付ファイルのご送付、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「第二信」 宗教、宗派、ましてや金勘定ばかりに長けた茶坊主たちにはいっこうに関心はなく、いま興味があるのは「哲学としての宗教」です。井筒俊彦です。「世界標準」です。 静かに雨が降っています。梅雨らしい日になりました。梅雨には梅雨の情趣があります。 早々のご丁寧なご返信、どうもありがとうございました.。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

Anniversary「閲覧数が 11,0000 件を超えました」

2015/04/09 に書きはじめたブログの閲覧数が、「11,0077」になりました。 「思えば遠く来たもんだ」(以下、中原中也「頑是ない歌」より引用)という感慨があります。 思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛(きてき)の湯気(ゆげ)は今いずこ いずれもいずれも、「11,0077」の「頑是ない私の歌」です。

「学校教育の場での『読む』ことの訓練について」

 多くの、文章を読めない子どもたちがいる。要因は、 私情 をはさまず、文脈にそって読まない、読めないことにある。 ひとりよがりの読み方をすれば、似て非なる文章を自ずから創作することになる。答案を書く際にも、文章中の言葉を使って書くのが原則である。   学校教育の場で「読む」訓練が十分になされているとはとても思えない。たくさん の子どもたちが、文章が読めないままにおろそかにされている。   出口 汪(ひろし)氏の 以下の文章は、なにも受験にかぎられたことではない。 「読む」ことの難しさは心得ているつもりであるが、文章を順序立てて、論理的に読むことは、「読む」ことの基本であり、学校教育の場で教えられてしかるべきことである。「読める」ことと「読めない」ことの差異は大きい。子どもたちの今後を思ったとき、はかりしれないものを感じている。 ◇国 語 ◇出口 汪『システム中学国語 公立高校編』 水王舎 ◇出口 汪『システム中学国語 論理入門編』 水王舎 ◇出口 汪『システム中学国語 古文・漢文編』 水王舎 ◇「実況中継本」といわれる参考書です。対話形式で話し言葉で書かれています。出口汪さんは受験現代国語の世界で大きな足跡を残されています。 ◇「国語はセンス・感覚の教科」ではなく「論理の教科」である、と出口さんは書かれています。 ◇以下、出口汪『New 出口現代文講義の実況中継 ③』語学春秋社(大学入試用の実況中継本です)よりの、引用です。 「論理とは、物事の筋道のことである。筆者は自分の主張を筋道を立てて説明する。読解とは、その筋道をありのまま理解することであり、それを無視して、自分勝手に読み、自分勝手に答えるから、本来論理の教科である現代文が一転してセンス・感覚の教科になるのだ。現代文ほど成績の上がりにくい教科はないというのがそれまでの常識だったが、それは論理の教科をこともあろうに正反対のセンス・感覚の教科に取り違えてしまったからに他ならない。 もう一度断言しておく。 現代文ほど成績の上がりやすい科目はない。そして、そこには一貫した方法があり、正しい方法で一定の訓練さえ積めば、誰でも高得点を取ることが可能である。」 ◇ぜひ文章の論理的な読み方を身につけてください。日常生活においても論理的に思考することは大切です。出口汪さんのこのシリーズには他にも『論理完成編』『難関高

「レオ・ヴァイスゲルバーと井筒俊彦の言語観」

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  先の引用にあったレオ・ヴァイスゲルバーは井筒俊彦が深い関心を寄せた二十世紀ドイツの言語学者である。(222頁)  さらに、ヴァイスゲルバーは、人間と母語の関係に着目する。母語が世界観の基盤を形成し、誰もこの制約から逃れることはできないことを強調する。すなわち全人類は不可避的に言語共同体的に「分節」されている。人間の基盤を成す共同体はまず、「言語共同体」であることを避けられない。彼はこれを「言語共同体の法則」あるいは「言語の人類法則」と命名し、人類が生存する上での不可避な公理だと考えた。(227頁)  わざわざ日本語に訳さなくても、英語はそのまま理解すればよいという楽観論は、ヴァイスゲルバーの理解と共に、井筒によって退けられる。外国語を読むとき、それにどんなに熟達していても、人は母語に置き換えて理解している。意識では、横文字を理解しているつもりでも、深層意識では、仮名と漢字、あるいはその元型のイマージュによって、意味を捉え直している、というのが三十数ヶ国語に通じたといわれる井筒自身の言語観である。井筒によれば言葉とは magico-religious な実在に他ならない。magic の訳語も単なる「魔力・魔術」では内包する超越性が表現できない。(241頁)  いま着々と進行している、英語教育尊重、日本語教育蔑視の教育の愚かさを思う。日本語の確かな「基盤」のないところに、性急なことをしても何もはじまらないことは、火を見るよりも明らかなことである。私たちは、「日本語共同体」の内にあることに思いをいたすべきである。内実をともなわない英語を話せたところで、それはいかほどのものであろうか。  その非を指摘する有識者は多い。錚々たる面々である。「ゆとり教育」での失態と同じ轍を踏むのは、あまりにも愚かである。いつの時代も犠牲者は子どもたちである。後々 頭を下げれば済むような問題とはわけが違う。

「こんなときにこそ,『四隅の時間』を惜しんで『四上の読書』です」

 2018/06/25,26,27 に第二テストが行われます。今日が、13日前にあたります。2018/05/28,29 に行われた第一テストから、体勢を立て直すことができないままに、二週間が経ちました。  福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波文庫 を100頁ほど読み、そのままにしてあります。読書らしき読書といえば、それだけです。数の内には入りません。 「本を読む場所」 (41-50頁) 倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房  「私の読書法」 (131-140頁) 倉田卓次『続 裁判官の書斎』勁草書房   今回は「四隅(しぐう)の時間」を惜しんで、「四上(しじょう)」の読書です。裁判官時代の倉田卓次の一日の「四隅の時間」は、「平均四十分」であって、「平均四十分」にしてこの豊かさですので、驚きもし、また考えさせられもします。  なお、「四隅の時間」とは、「旅行鞄にものを詰めるとき、もう入らぬと思っても、四隅にはまだ小物をつめるスペースは必ずある。余暇利用も、休暇をまとめて取ることばかり考えず、この四隅の小さな時間の利用を心掛けよという教え」のことであって、「四上」とは、「 文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」 「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』」に、「馬を車に改めた上、『路上』を加えて『四上』とし」た、と倉田卓二は書いています。 私に欠けているものは、寸暇を惜しんで、ということです。 以下、 夏目漱石「Do you see the boy」 P教授曰く「文章がやせ細るだろ」_「四隅の時間」を惜しんで「四上」の読書です。

TWEET「米朝の歴史的会談」

 今朝 起きぬけに、父のご機嫌をうかがいにいくと、テレビの画面には、「米朝歴史的会談」の文字があり、騒然としていました。  落語家の「桂米朝」が、「歴史的会談」にのぞむとは、いったいどういうことなのかと、寝ぼけ眼の、ぼんやりした頭は混乱するばかりでしたが、しばらくすると、「米朝首脳会談」だと分かりました。  新聞を読まず、テレビはなく、かといってインターネット上の記事を見る習慣もなく、 遁世を決めこんだ私の、朝一番からのとんだお笑い種でした。

「拝復 Dr.T様_闇夜の恐怖は,『ヒト,野犬,イノシシ,そして警察官』です」

 近ごろのみかんは、糖度が高くて、みかんらしくないという人たちがいます。確かに、昔 小学校の運動会で食べた、初物のみかんは、青くて、酸っぱかったですよね。  蒲郡は、いまや「温室みかん」の産地としてつとに有名です。  一人 P池の闇の中に潜んでいて、怖いものの筆頭は、「ヒト」です。次に、「野犬」,「イノシシ」, 「警察官」,「自分」 の順ですが、 時折 巡回してくる「お巡りさん」たちは、皆さん 善良な方たちばかりですので、危害を加えられる心配はなく、さして怖くはありません。常に正義の味方ですが、時にその正義とやらが曲者で、正義だけを楯にして、ものを言われると、身の置き場所がなくなり、困惑します。  螢狩には、授業のない日に行っています。今月末には定期テストが組まれていますので、あと数えるほどしか 行けそうにありません。シーズンオフには、ルアーを泳がそうと、たくらんでいます。  無法者の暗躍する季節のはじまりです。 お忙しいなか貴重な時間を割かれましての、ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「四日遅れの芒種の夜の螢狩_野分前の乱舞を期して」

 小雨の降るなか、野分前の乱舞に期待を寄せて、昨夜 螢狩に行ってきました。水面(みなも)には絶えずさざ波が立ち、時折強風が吹き、螢は風裏に退避していました。  気もふれんばかりの、無数の螢の明滅の最中に 身を置くことを期待しての道行きでしたが、夢は、風狂は、はかなくついえました。愚かでした。 帰宅後 調べると、「螢 がよく見られる条件」として、 ◇風がなく、湿度の高い温かな日 ◇雨が降っていないこと ◇月明かりがなく、曇っている日 ◇夜8時〜9時頃(この時間帯に最も見られます) の四項目が、あがっていました。すべてにおいて、該当していませんでした。  野分前に螢は乱舞する、という私の思いつきは、空振りに終わりました。狂喜、粋狂は、またの機会におあずけです。  岸辺から遠く離れることなく、いまにも消え入りそうな淡い光を放ちながら、行きつ戻りつする一匹の螢を見つめていました。調べると、「 メスは1匹で、500~1000個ものクリーム色の卵を水辺の湿ったコケなどに、真夜中から夜が明けるまで光りながら上手に産みます」との記述がありました。  やはり産卵中の螢でした。あの灯(ひ)は、お慶びの、祈りの、産みの苦しみの灯(あかり)だったのでしょうか。  世代から世代へと命がひき継がれる舞台に目を凝らしていました。

「閲覧数と推敲の切っても切れない関係」

 一昨日書いた、 「拝復 Dr.T様_いまとなっては後の祭りです」 のブログの閲覧が、89件あります。おそらくその半ば以上は、自らの閲覧によるものです。推敲、更新を繰り返すたびに、閲覧数が膨れあがります。  確かに、手を入れれば、文章はすくっと立ち上がってきますが、数十回を優に越える推敲には、さすがに気持ちも萎え、「下書き」にもどして後日を期するか、いっそのこと「削除」してしまおうか、との思いにかられることもあります。  この四年たらずの間に、1727のブログを「公開」し、114の「下書き」があります。1727のブログの「公開」とは、1727の「不面目」ということであって、114の「面汚し予備軍」ということです。  作文を書くことは依然おもしろく、楽しくもありますが、それは難行でもあります。「公開」という「惨状」ということを、痛く感じています。

「返礼、二題」

 いただいた「Amazon ギフト券」で、父の扇風機を購入させていただきました。昨年の夏には、かがんで、扇風機のスイッチを操作した際に、転倒し、座骨を四か所骨折しましたので、リモコン付きのものを購入しました。  つい今しがた届きました。どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.  「蒲郡の温室みかん」です。冷蔵庫で冷やしてお召し上がりください。たくさんのお礼をいただいた、せめてものお返しです。  フルーツパーラー「銀座千疋屋」さんでは、結構なお値段がついていることと思われます。「蒲郡(がまごおり)クラシックホテル」へご一緒しましたよね。あの「蒲郡」産です。 一昨日梅雨入りしました。肌寒く、湿度も低く快適です。 早々のご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「三晩空けての螢狩です」

 昨夜、P池に螢狩に行ってきました。昨晩は一人での道行きでした。  例年ですと、山の湧水の、池に流れ込む辺りの灌木に、たくさんの螢が見られるのですが、今夏の螢は神出鬼没です。気ままです。  螢の明滅を眺めながら、闇の中に一人たたずんでいました。  水面近くを舞う螢は産卵しているのでしょうか。間近まで飛んでくる螢もあり、その際には、透き通った蛍光色の光がはっきりと見てとれます。  P池は立ち入り禁止です。たとえ警察官に詰問されるようなことがあるにしろ、事情をお話すれば、無粋なことには発展せず、お咎(とが)めなく、放免の身になることと、信じております。  三十分ほどで、心身がすっかり鎮まりましたので、帰路につきました。  梅雨時に見られるいっ時の風物詩です。近日中にまた出向く予定でいます。

「拝復 Dr.T様_いまとなっては後の祭りです」

 ご心配にはおよばず、近年の梅雨時は、昔日のような「むさくるしさ」はなく、肌寒く、湿度も適度で快適です。  ご高齢の方々は、蒸し暑いことを、「いきる」といいます。馴染みのない三河弁です。 ◇いきる【熱る・熅る】 ① 熱気を帯びる ② 息まく。勢い込む。 ◇ほてる【火照る・熱る】 このあたりの動詞が訛ってできた訛言(かげん)、訛語かと思われます。死語に近い方言です。 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 のコピーの一頁目をファイルに入れ忘れ、申し訳なく思っています。また、Hに、白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 を読むように薦めてください。この夏一番の推薦図書です。思わぬ展望が開けるかもしれません。  昨夜、中一生の男の子と女の子から、学年順位 9位と10位の成績が記された個票を、そっ気なく渡されました。当の子どもたち自身が、そして誰にもましてご両親が、最も驚かれていることかと想像しております。  二人の学力からすれば、取り立てて騒ぐほどの椿事でもなく、私は終始 平然としていましたが、「常に結果を出すことを強いられた、厳しい世界の住人だった」ことを、うかつにも、創塾 22年目にして、今さらながらに気づかされた次第です。しかし、時すでに遅く、往時に比し気力、体力ともに衰え、戦意も喪失しがちで、いまとなっては後の祭りです。  二人には、各教科 基本だけ押さえて、30番くらいの順位で遊んでいれば、それで構わないから、決して無理だけはしないように、と伝えておきました。 今日は、11:40 から江崎さんにてリハビリです。その後、昼食です。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「悲劇です。端(はした)役者のたわ言です」

 グリコの「ポッキー」,ブルボンの「ブランチュール」。かしわ堂の「みそ落下せん」,船岡製菓の「生姜つまみ」。そして、地元 杉本屋製菓さんの「ハイミックスゼリー」。  父の間食用にと買った菓子類が、いつの間にか私の主食にとって代わり、早ひと月あまり。体重が 4kg ほど増え、今なお止みません。「肥育」下にあります。中性脂肪急増中です。「肥育」の先に待ち受けているものを想像するとぞっとします。  『注文の多い料理店』の改訂版です。トラジェディーの序幕です。どんな結末が待っていようとも、幕が開けたからには演じ切る覚悟でいます。  以上、「端役者」のたわ言でした。

「拝復 Nさんへ_途中で棄権するのが賢明かと思われます」

ひょっとして、Dちゃんと、15km のトレイルランニングに参加する予定なのでしょうか?トレランは過酷ですよね。ちょっと驚いています。慌てています。途中で棄権するのが賢明かと思っています。ちなみに 僕は、数十年間走った記憶がありません。 夏の浜名湖はマリンスポーツが花盛りです。スタンドアップパドルボードを楽しんでいる若者を見ました。本州の夏は過酷です。灼熱の太陽、また酷暑さえ厭わなければ、浜名湖は、夏が最も楽しめる季節だと思います。ぜひ、お越しください。浜名湖の夏を満喫しましょう。 螢狩は時期が限られていますから、なかなか難しいですね。時期尚早と、今回はなかば諦めていましたが幸運でした。 豊橋市内の中学校の修学旅行のメインは、「東京ディズニーランド」です。小学生は、京都,奈良です。京都観光は、タクシーを借り切ってのグループ行動です。6万円/日です。 札幌から、横浜,鎌倉への中学校の修学旅行は豪華ですね。 明日は初任研のため、学校はお休みなんですね 。僕も明日は、中三生が修学旅行中のため、塾はお休みです。気楽な商売です。 昨日、「蒲郡(がまごおり)の温室みかん」をお送りしました。冷蔵庫で冷やしてお召し上がりください。たくさんのお礼をいただいた、せめてものお返しです。フルーツパーラー「銀座千疋屋(せんびきや)」さんでは、目が飛び出るようなお値段がつけられていることと思われます。「蒲郡クラシックホテル」へ行きましたよね。覚えていますか。 今日梅雨入りしました。肌寒く、湿度も低く快適です。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「梅雨入りしました_『学問のすゝめ』読書覚書 1/2」

 東海地方が梅雨入りしました。梅の実が入るころです。  第一テストを 2018/05/28,29 に終え、その日から三日間続けて父の受診につき添い、その待ち時間の長さに辟易し、またその翌日からは、三泊四日で帰省した弟と過ごしました。  依然、「身重の体」です。すくすくとお育ちのようです。  福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波文庫 を一日で読み了え、弾みをつけ、仕切り直して、井筒俊彦の著作群に取り組む心づもりでいましたが、読書の合間合間に午睡ばかりしていてはかどりません。午睡の合間合間の読書です。  三日間で、 「学問のすゝめ 十一編 名分をもって偽君子を生ずるの論」(100頁) まで読みました。ちょうど半ばです。  「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」(11頁)  内容は、「平等のすゝめ」から、「学問のすゝめ」へととって変わりました。「不覊独立」という言葉が随所にみられます。  文体だけをとり上げていえば、評判に違わぬ平易で明快な文章です。啓蒙書としての、福沢諭吉の発明です。  時節柄もよく、居眠りの合間合間の「雨読」を楽しみます。

「拝復 Nさんへ_お父さんといった『螢鑑賞の夕べ』です」

 季節はめぐり、浜名湖では、遊覧船やモーターボートが幾筋もの航跡を残し、行き交っていました。梅雨入りを目前に 、たくさんの人たちがクルージングに興じていました。  ホテル九重さんからの帰り際に、売店でお土産を買いました。「RUSCO( ラスク)」 は、カラフルでおしゃれなパッケージに魅かれ、「ほたての浜煮」は、一番の売れ筋商品ということで求めました。  ホテル九重さん、のぼり屋(鰻屋)さん、黒いお蕎麦の東京庵さんと、Nさん来豊時の復習をしました。  時期尚早と、なかばあきらめていた「螢鑑賞の夕べ」でしたが、螢の「ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」く、 幸運でした。  「東海のミニ尾瀬」と呼ばれる(には、あまりにもかわいらしすぎる)葦毛(いもう)湿原を散策しました。木道上を歩き、湿原をぬけ、意気軒昂、登山道をトレッキング、と意気込んでいましたが、あえなく敗退。いまも膝が笑っています。膝に笑われています。  Dちゃんと参加するマラソン大会、頑張って完走してくださいね。小学生の子どもたちからすれば、もういいおばさん、おじさんなんですから、無理だけはしないようにと、祈るばかりです。 お父さんに、おねだりした「赤福餅」には、ありつけましたか。 「N-BOX」の納車、楽しみですね。 今夜は、中三生が、修学旅行を明日に控え、塾はお休みです。幾度も何度でも、修学旅行に出かけてくれれば、と不埒なことばかり考えています。 では、では。 明日から、笑顔で元気に頑張ってください。 また。 ご家族の皆さんに、その旨、よろしくお伝えしてください。 お便り、どうもありがとうございました。 またのご来豊を、楽しみにお待ちしております。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_鯨飲馬食かのように旺盛に」

2018/06/02 「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように勉強せよ」  貴重なお言葉、どうもありがとうございました。大切にいたします。  定期テスト対策のため、試験前、十日前後は、読み書きの時間が皆無に等しくなります。無理を強いられ、テスト後すぐには復帰できず、どうしても空白の時間を過ごすことになります。因果な商売です。 昨夜から、弟が 三泊四日の予定で 帰省しています。 仰せの通り、勉励いたします。 暴飲暴食を心がけます。 過食症も厭わぬ覚悟です。 福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波文庫 から再出発します。 FROM HONDA WITH LOVE.