年のはじめに_小林秀雄「我事に於て後悔せず」


小林秀雄『私の人生観』角川文庫 より
宮本武蔵の独行道のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。
(中略)
 今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己精算だとかいふものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、さういう意味合いがあると私は思う。昨日のことを後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日のことを後悔しなければならぬ明日がやつて来るだろう。その日その日が自己批判に暮れるような道をどこまで歩いても、批判する主体の姿に出会うことはない。別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというおめでたい手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替へのない命の持続感というものを持て、といふことになるでしょう。そこに行為の極意があるのであって、後悔など、先き立っても立たなくても大したことではない、そういう極意に通じなければ、事前の予想も事後の反省も、影と戯れるようなものだ、とこの達人は言うのであります。

『近代文学』昭和二十一年二月号、座談会にて
「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」