西江雅之「人間だけがちぐはぐだ」
西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社』(158-159頁)
†人間だけがちぐはぐだ
それから六番目が、「分離性」です。
たとえば犬が怒っているとき、声も「ワンワン!」と怒っています。それだけではなく、目も怒っている、耳も立っている、尻尾(しっぽ)まで体の毛が全部逆立っている、といったように、犬が伝え合いに使っている身体各部は、全部同じ意味の方向に向かっています。自分のうちの猫の喉(のど)をなでているときに、ゴロゴロゴロゴロ言って、目はすごく喜んでいるのに、尻尾だけがぴんと立って緊張しているというのはありえないわけです。
ところが人間の場合、口では「はい、わかりました」と言っていても、顔は「やだなあー」という表情をしているとか、足は震えていて相手をまったく拒否しているとか、そのようなことはザラにあります。学校で先生が、「明日、わたしのところに来て図書の整理を手伝ってくれますか」と言ったら、行かないとちょっとまずいことになるのではと思って、口では「喜んで参ります」と言っているけれど、顔はこわばっているとか、足はちょっと貧乏ゆすりをしているとか(笑)。これが普通なんです。すなわち、人間はやや分裂気味なんですね。
犬も猫もサルもライオンも、そんなことはありえない。人間は、していることがちぐはぐなんです。ここのところをもう一歩進めて言えば、実はその中の一部は本音を表わしてしまっているということにもなるんですね。こうしたことを「日常性の誤り」と言うんで
すが、本当はふと出してしまった本音なんです。当人は気づけば「しまった!」と思うんでしょうが、だいたい気がつかない場合が多いんですね。口では「喜んで参ります」と言ったのだから、そのまま相手に伝わっていると思っているけれど、相手の方は、「ああ、この人いやがってるんだなあ」と、すぐに感じ取ります。
「面従腹背」という言葉もありますよね。人間の、このこころと体の「ちぐはぐ」さ、こころと体の乖離こそが、『生まれ出ずる悩み』の源泉とはわかっているのですが…。