「文化」という檻、「社会」という足枷


昨夜熊本県で大きな地震があったことを、今日病院の待合室ではじめて知りました。NHKのニュースキャスターが、気象庁が今回熊本で起きた地震を「平成28年熊本地震」と命名しました、と繰り返し報じていました。時間を見ると11:08 でした。

テレビのない生活をしています。新聞は取っていません。インターネットでニュースを読む習慣もいつしか無くしてしまいした。社会と没交渉の時間を過ごしています。

「世捨て人」といえば格好もつきますが、自分では「世捨てられ人」のように感じています。人は皆それぞれの「文化」をまとっており、「文化」という衣服を脱ぎすてることはできません。「文化は遺伝する」とさえいわれています。また、「社会の人」という枠、檻、足枷から逃れることもできません。が、「社会人」になることを拒む生き方をすることは可能です。私は特に望んで今の生活をしているわけではありません。「時の流れに身をまかせ」ていたら、いつしかこうなっていました。そういう意味では、今の生活はよほど私の性分にあっているのだと思います。社会と没交渉、非社会的な傾向は、時とともに進行し止むことを知りません。向かう先もわからず、一縷の不安もないといえば嘘になりますが、流れのままに浮きつ沈みつしながら、その時々に見える風景を楽しみたいと思っています。

熊本地震に際し、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。被災者の方々のご健康と一刻も早い復興を、心よりお祈りしております。