三日遅れの「清明の日に思う」


四月四日から数え、三日遅れの「清明の日に思う」です。

前回が六日遅れの「春分」、そして今回が三日遅れの「清明」です。季節が先走っていきます。すっかり置いてきぼりを食っています。

二十四節気を検索すると、すぐに「清明」が出てきました。聞きなれない言葉です。同じ項には、
「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」(暦便覧)
清明とは「清浄明潔」の略。
と、書かれていました。

出典の「暦便覧」なるものが気になりましたので検索すると、「Yahoo! 知恵袋」で、mosaic_telomere さんが、質問に答えているサイトが見つかりました。
以下、その URL です。

ベストアンサーに選ばれた回答
編集あり2013/9/2221:32:34
質問者の見た「二十四節気のページ」というのが何なのか不明なので、確実ではありませんが、二十四節気に関する「暦便覧」ということであれば、江戸時代の本のことでしょう。国立国会図書館に蔵書されています。
----以下引用
タイトル こよみ便覧
著者 太玄斎
出版地(国名コード) JP
出版地 江戸
出版社 蔦屋重三郎[ほか1名]
大きさ、容量等 1冊 ; 23cm
注記 白井文庫
注記 装丁 : 和装
別タイトル 歳時暦便覧
別タイトル 暦便覧
出版年月日等 天明7
----引用終わり
古い本なので、借りてきて手に取って読むことはできないですね。
そこで、国立国会図書館では画像化してインターネットに公開しています。
7コマ目に二十四節気について記載されています。
大暑についても、質問のように書いてあるようです。
(楷書ではなく、くずし字で書かれていて、私には全部は読めません)

国立国会図書館の蔵書がこうしてデジタル化、公開され、読むことができることに新鮮な驚きを覚えました。うかつでした。時代錯誤もいいとろでした。

久しぶりに「影印本(えいいんぼん)」や「変体仮名(へんたいがな)」にお目にかかりました。学生時代、
久曽神昇編『伊達本 古今和歌集 藤原定家筆』笠間影印叢刊 1
や、
近世文学史研究の会編『好色五人女 全』文化書房刊
の影印本の変体仮名に、悩まされつつ、鍛えられつつしたことを思い出しました。今では、ほんのわずかな記憶を残して、そのほとんどは忘却の彼方へと消失してしまっています。

清明 三月節
万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也
太玄斎『こよみ便覧』

草木の種子は競うようにして芽を出し、また木の芽が芽ぶくこの季節、各々それぞれ その芽ぶきの様は、「清浄明潔」ですので、植物の観察を楽しむにはもってこいの時節です。


自宅にこもりっきりで、ワルターの「田園」ばかりにお熱を上げる生活には、いい加減に切りをつけ、外に目を向け、「春の野を行く」ことの健全さを思います。しかし、五十代半ばのオジサンにとっては、若々しく生気に満ちた新芽、新緑を目にするのは、いささかまぶしくもあり、注視するに耐えないこともまた確かなことです。