白洲正子「地下水脈に当たると、…」



はじめて手にしたバーゲンブック、『名文で巡る国宝の十一面観音』青草書房  の「渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音」に寄せる、白洲正子さん、梅原猛さん、吉村貞司さん、お三方のそれぞれの思いが綴られた文章を何度か読みました。白洲正子さんの文章に関しては、何度も読み返させていただきました。白洲正子さんの文章に接するのは久しぶりのことです。ただただ圧倒され、見とれるばかりです。

白洲正子さんの「井戸を掘る」、「水脈を掘りあてる」という言葉を思い出しました。早速インターネットのお世話になりました。

以下、孫引きです。近日中に確認します。Amazon の「注文履歴」には残っているのですが、私の手元にはありません。いつものように誰かに差し上げてしまったのだと思います。 2016/04/16に、出典に当たりました。四ヶ所訂正しました。

「あんたねえ、好きなことを何でもいいから一つ、井戸を掘るつもりで、とことんやるといいよ。途中で諦めちゃあ、ダメよ、わかる? とことん掘るの。女が好きなら、女でもいいよ。あんたなんか、ケツの毛まで抜かれちゃうだろうけどさ、だけど、とことんやれば、地下水脈に当るわ。地下水脈は、四方八方に通じてるでしょ。地下水脈に当ると、突然、ほんとうに突然、いろんなことが、わかるのよ。掘り方がわかんなくなったら、あたしから盗めばいいのよ」
川村二郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍(10頁)


「せめて渡岸寺は、今の程度にとどめて、観光寺院などに発展して貰いたくないものである。」
『名文で巡る国宝の十一面観音』青草書房(158頁)
(初出 『芸術新潮』昭和50年3月号)

以下、ご参考まで。
如月小春「向源寺 十一面観音 湖北」