西江雅之「翻訳とは『演奏』である」

西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社
† 翻訳とは「演奏」である
言語は互いに「置き換えられる」という話と「翻訳」の話とは大いに違うんです。
 翻訳というのは、ある言語で表現されたことを、意味の上でも形の上でも原文に近い形を保ちながら、ほかの言語に置き換えることです。その置き換えは、制約の中での一種の「演奏」なんです。つまり、本来の文章をいかに訳すかは、翻訳者の腕によるわけです。(106-108頁)


須賀敦子「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」(全)を書きました。「翻訳とは『演奏』である」と、西江雅之先生にこんな風に上手に表現されてしまうと、ぐうの音も出ません。脱帽です。白旗です。降参です。

「翻訳」は「演奏」です。創造的な行為によって、楽譜は音に昇華され、立ち上がっていくわけですから、それは「愉楽にみち」ていることでしょうし、またそれは、楽譜から逸脱することは許されないという、一定のルールの下で行われる「ゲーム」にも似ています。一定のルールにさえしたがえば、あとは自由です。自分の裁量で動くことができます。

西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社』は、2003/04/21 に出版され、時を同じくして読んだのですが、全く記憶にありませんでした。うかつでした。お恥ずかしい限りです。が、そのかいあって、再び喜びを味わうことができました。