河合隼雄『明恵 夢を生きる』_はじめから
今朝いまだ明けやらぬころ、
◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社
を読み終えた。
その後再読を促されていたが、ようやく念願がかなった。
明恵上人は、「十九歳より夢の記録(『夢記(ゆめのき)』)を書きはじめ、死亡する一年前までそれを続けた」。それには、「今日で言う夢の解釈に相当するものを書いている場合もある」。「明恵の『夢記』は、世界の精神史のなかにおいても稀有なものである」と河合隼雄は述べている。
また河合隼雄は、
「明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう」(76頁)
との、白洲正子『明恵上人』の中の一文を引いているが、この一文ほど明恵上人を明らかに評した文を私は知らない。
ユングのいう「個性化」といい「自己実現」というも、死と再生の物語であり、ときには死を賭す場面もあり、困難な長く険しい道のりである。
本書は論文調の体裁をとっており、多くの参考文献、また「本文索引」が付されているのはありがたい。
なお、跋文には、
「仏教についてはまったくの無知であったが、ただ、夢のことについては専門家であると自負している。昭和四十五年にスイスから帰国して以来、現在に至るまで夢分析の仕事を続けてきた。(中略)本書に述べた『夢記』に対する私の意見は、実に多くの他の夢を分析してきた経験を踏まえての発言であることを明らかにしておきたい。」(309頁)
との断り書きがある。
「夢の中の女性像の変化が、明恵の内的な成熟の過程を示していることを詳しく見てきたが、それと平行して、明恵の信奉していた華厳の教えに沿った夢の展開が、『夢記』のなかに認められる。明恵にとっては、現実に行なう修行も夢も同等の価値あるものであり、彼は経典によって知り得たことや彼の行なっている行法と夢とは、密接に関連し合っているものとして受けとめていたのである。」(272頁)
また、本書は、
「明恵の生涯はかくして、生まれたときより死に至るまで、夢が常に深い意味合いをもってかかわっていたのである。」(298頁)
の一文で結ばれている。
「爾(そ)の時に当りて、予の面(おもて)、忽ち明鏡の如く、漸々に遍身明鏡の如し。漸々に遍身の円満なること水精の珠の如く、輪の如く運動す。(中略)時に、忽ち空中に声有るを聞く。曰わく、『諸仏、悉く中に入る。汝今、清浄を得たり』」と。(280頁)
「上田三四二が『明恵は一個の透体である。彼はあたうかぎり肉体にとおい』と適切に表現したような存在へと、徐々に近づいてゆくのである。」(275頁)
最終章である「第七章 事事無礙」は優れて、明恵上人の、ひときわ美しい夢で彩られている。
明恵上人は確かに「夢を生きた」ことを、いま実感している。
栂尾 高山寺を訪れ、明恵上人をしのび、自然に浸りたい、といましきりに思う。
次回は、
◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』慶應義塾大学出版会
「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」
(明恵上人が信仰して止まなかった、華厳(哲学)についての考察である)
を予定している。ようやく一巡した感を抱いている。
前線が停滞し、時ならぬ梅雨時のような天気が続いている。うち続く災害、止め処もないコロナ禍に胸が痛む。今朝には二回揺れを感じ、天変地異と疫病の様相を呈してきた。
以下、
です。