「小林秀雄『本居宣長 (下)』_はじめから」
昨日の夕刻前には、
◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫
を読み終えた。
◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫
を読み終えた。
切りのいい頁まで読み、その後傍線を引きながら、付箋をはさみながら読み継いでいった。遅読を心がけたが、まだ読み急いでいる感を抱いている。「読む」と「書く」とは同時進行、というわけには、なかなかいかない。
私達は、史実という言葉を、史実であって伝説ではないという風に使うが、宣長は、「正実(マコト)」という言葉を、伝説の「正実(マコト)」という意味で使っていた(彼は、古伝説(イニシヘノツタヘゴト)とも古伝説(コデンセツ)とも書いている)。「紀」よりも、「記」の方が、何故、優れているかというと、「古事記伝」に書かれているように、ーー「此間(ココ)の古ヘノ伝へは然らず、誰云出(タガイヒイデ)し言ともなく、だゞいと上ツ代より、語り伝へ来つるまゝ」なるところにあるとしている。文字も書物もない、遠い昔から、長い年月、極めて多数の、尋常な生活人が、共同生活を営みつつ、誰言うとなく語り出し、語り合ううちに、誰もが美しいと感ずる神の歌や、誰もが真実と信ずる神の物語が生まれて来て、それが伝えられて来た。この、彼のいう「神代の古伝説」には、選録者は居たが、特定の作者はいなかったのである。宣長には、「世の識者(モノシリビト)」と言われるような、特殊な人々の意識的な工夫や考案を遥かに超えた、その民族的発想を疑うわけには参らなかったし、その「正実(マコト)」とは、其処に表現され、直かに感受出来る国民の心、更に言えば、これを領していた思想、信念の「正実(マコト)」に他ならなかったのである。(145頁)
最終章「五十」は、生死(しょうじ)の問題についての話題である。
「既記の如く、道の問題は、詰まるところ、生きて行く上で、「生死の安心」が、おのずから決定(けつじょう)して動かぬ、という事にならなければ、これをいかに上手に説いてみせたところで、みな空言に過ぎない、と宣長は考えていたが、これに就いての、はっきりした啓示を、「神世七代」が終るに当って、彼は得たと言う。ーー「人は人事(ヒトノウへ)を以て神代を議(はか)るを、(中略)我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」、ーーこの、宣長の古学の、非常に大事な考えは、此処の注釈のうちに語られている。そして、彼は、「奇(アヤ)しきかも、霊(クス)しきかも、妙(タヘ)なるかも、妙(タヘ)なるかも」と感嘆している。註解の上で、このように、心の動揺を露わにした強い言い方は、外には見られない。
宣長が、古学の上で扱ったのは、上古の人々の、一と口で言えば、宗教的経験だったわけだが、宗教を言えば、直ぐその内容を成す教義を思うのに慣れた私達からすれば、宣長が、古伝説から読み取っていたのは、むしろ宗教というものの、彼の所謂、その「出で来る所」であった。何度言ってもいい事だが、彼は、神につき、要するに、「何(ナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)ありて、可畏(カシコ)き物を迦微(カミ)とは云なり」と言い、やかましい定義めいた事など、一切言わなかった。勿論、言葉を濁したわけではなし、又、彼等の宗教的経験が、未熟だったとも、曖昧だったとも考えられてはいなかった。神代の物語に照らし、彼らの神との直かな関わりを想い、これをやや約(つづ)めて言おうとしたら、おのずから含みの多い言い方となった、ただ、そういう事だったのである。」(242-243頁)
宣長は、「我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」(242頁)といっているが、この「『人事(ヒトノウへ)』と云う言葉は、人間の変わらぬ本性という意味にとってよい」と小林秀雄は説明を加えている。(252頁)
「この観点(「神世七代」)に立った宣長を驚かした啓示とは、端的に言って了えば、「天地の初発(ハジメ)の時」、人間はもう、ただ生きるだけでは足らぬ事を知っていた、そういう事になろう。いかに上手に生活を追おうと、実際生活を乗り超えられない工夫からは、この世に生まれて来た意味なり価値なりの意識は引出せないのを、上古の人々は、今日の識者達には殆ど考えられなくなったほど、素朴な敬虔な生き方の裡で気附いていた。これを引出し、見極めんとする彼らの努力の「ふり」が、即ち古伝説の「ふり」である。其処まで踏み込み、其処から、宣長は、人間の変らぬ本姓という思想に、無理もなく、導かれる事になったのである」(246頁)
上古の人々には、既に 人であることの哀しみがあった。その処し方は、別々であったが、共同生活の営みを通して、いつしか昇華され洗練された形姿として、神々が誕生した。「我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」。神々は、上古の人々の思想を提示するものであった。
宣長は、「神世七代」の物語に、宗教の「出で来る所」をみた。それは宣長が望んだ、原初の「宗教的体験」だった。宣長にとって、これほどの喜びはほかになかったであろう。
◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫
◆「本居宣長補記」
◆「『本居宣長』をめぐって 小林秀雄 / 江藤淳」
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