井筒俊彦「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」

今日の未明、
◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学のためにー』岩波文庫
◆「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」
「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」
「2 「理理無礙」から「事事無礙」へ」
を読み終えた。なお、
「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」
は再読しなければ覚束なく、その際には、気分を一新し、岩波文庫ではなく、
◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』慶應義塾大学出版会
で読んだ。

 明恵上人が帰依した華厳、さらに井筒俊彦が、「一切の宗教的枠づけから取り外し」「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」(『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』 慶應義塾大学出版会  425頁)から眺めた際に広がる「華厳哲学」についての発言とあらば、私にとっては座右の書である
幾度かにわたる、勝手知ったる読書体験だったが、
「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」
は再読しなければ、理解が及ばず、久しぶりの井筒俊彦であり、その文体にすっかり置いてけぼりを喰った格好だった。

「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」
『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』 慶應義塾大学出版会
 この講演のテーマとして私が選びました「事事無礙」は、華厳的存在論の極致、壮麗な華厳哲学の全体系がここに窮まるといわれる重要な概念であります。(8頁)

 この引用箇所で、(新プラトン主義の始祖)プロティノスは深い瞑想によって拓かれた非日常的意識の地平に突如として現れてくる世にも不思議な(と常識的人間の目には映る)存在風景を描き出します。「あちらでは…」と彼は語り始めます。「あちら」、ここからずっと遠いむこうの方 ー 勿論、空間的にではなく、次元的に、日常的経験の世界から遥かに遠い彼方、つまり、瞑想意識の深みに開示される存在の非日常的秩序、ということです。「あちらでは、すべてが透明で、暗い翳りはどこにもなく、遮(さえぎ)るものは何一つない。あらゆるものが互いに底の底まですっかり透き通しだ。光が光を貫流する。ひとつ一つのものが、どれも己れの内部に一切のものを包蔵しており、同時に一切のものを、他者のひとつ一つの中に見る。だから、至るところに一切があり、一切が一切であり、ひとつ一つのものが、即、一切なのであって、燦然たるその光輝は際涯を知らぬ。ここでは、小・即・大である故に、すべてのものが巨大だ。太陽がそのまますべての星々であり、ひとつ一つの星、それぞれが太陽。ものは各々自分の特異性によって判然と他から区別されておりながら(従って、それぞれが別の名をもっておりながら)、しかもすべてが互いに他のなかに映現している」
 すべてのものが「透明」となり「光」と化して、経験的世界における事物特有の相互障碍性を失い、互いに他に滲透し、互いに他を映し合いながら、相入相即し渾融する。重々無尽に交錯する光に荘厳されて、燦爛と現成する世界。これこそ、まさに華厳の世界、海印三昧と呼ばれる禅定意識に現われる華厳蔵世界海そのものの光景ではないでしょうか。とにかく、華厳仏教の見地からすれば、今ここに引用したプロティノスの言葉は、「事事無礙」的事態の、正確な、そして生き生きとした描写にほかならないのでありまして、もしこの一節が『華厳経』のなかに嵌めこまれてあったとしても、少しも奇異の感を抱かせないことであろうと思います。(9-10頁)

 『華厳経』が、徹頭徹尾、「光」のメタファに満たされていることは、皆様ご承知のとおりですが、先刻引用した『エンネアデス』の一節も、終始一貫して「光」のメタファの織り出すテクストでした。華厳もプロティノスも、ともに存在を「光」として形象する、あるいは、「光」として転義的に体験する。「光」のメタファとはいっても、ここでは、たんに表現形式上の飾りとしての比喩ではありません。観想意識の地平で生起する実在転義そのものとしての比喩なのです。質料的不透明性を脱却して完全に相互滲透的となった存在は、「光」的たらざるを得ない。そのような様態における存在は、おのずから、実在転義的に「光」となって現われる。だからこそ、二つのものがある時、「光が光を貫く」ということが、そこに起るのです。プロティノスの語る「光燦々」とは、このような意味で実在的に転義し、メタファ化した存在世界の形姿にほかなりません。(11-12頁)

「このお経(華厳経)の展開する存在ヴィジョン」は、「隅から隅まで「光」のメタファの限りない連鎖、限りない交錯、限りない重層の作りなす盛観である」。(12頁)


司馬遼太郎『この国のかたち 一』文春文庫 
 仏教は、飛鳥・奈良朝においては、国家統一のための原理だった。『華厳経(けごんぎょう)』は宗教的というより哲学的な経典で、その経典を好んだ聖武(しょうむ)天皇が、この経典に説かれている宇宙の象徴としての毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(大仏)を尊び、「国の銅(あかがね)を尽くし」て鋳造した。天平(てんぴょう)感宝元年(七四九年)、この天皇が東大寺大仏の前で「三宝(みほとけ)の奴(やっこ)」とみずからを規定して拝跪(はいき)したことほど、奈良朝における仏教と国家の関係を感動的に表現した光景はない。(245頁)

「華厳」の世界は壮麗である。初読から長年月を経て、聖武天皇や東大寺の毘盧舎那仏について知った。以来、私の聖武天皇観、大仏さまと向き合う姿勢が変わった。
 ただごとではなかった。
 いましきりに「東大寺」を、また「東大寺ミュージアム」を訪れたいと思う。「東大寺ミュージアム」では、「日光・月光菩薩」に、また「戒壇堂四天王立像」を参拝したいと思う。
 あくせくと毎日を過ごし、世界は美しいことも覚えず、無知蒙昧とは恥入るばかりである。

次回は、
◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』慶應義塾大学出版会
◆「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語哲学的可能性を探る」
◆「言語哲学としての真言」
を予定しています。いよいよ空海です。