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白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

「百閒先生の制札」

「百閒先生の寝姿_はじめに」  理由(わけ)もなく、ただ百閒先生の「寝姿」が気になり、手持ちの文庫に当たりました。そして、「居睡」(内田百閒『百鬼園随筆』福武書店)と「又寝」(内田百閒『蜻蛉玉 内田百閒集成15』ちくま文庫)の二つの作品を読みました。  さすがに百閒先生の「寝姿」は、美しく愉快でした。 「玄関の入口の面会謝絶の札のわきに、蜀山人の歌が貼ってある。    世の中に人の来るこそうるさけれ     とは云ふもののお前ではなし」(「又寝」220頁) 検索すると、 「世の中に人の来るこそうるさけれ     とは云ふもののお前ではなし」(蜀山人) 「世の中に人の来るこそうれしけれ     とは云ふもののお前ではなし」(亭主) 「面会謝絶」(亭主) 「春夏秋冬 日没閉門」(亭主) と、内田家の玄関先は常ににぎやかだったようです。  百閒先生に倣いて、私も制札を貼るべきか否か、目下沈思黙考中です。ひとえに快眠のためです。

「岡 潔『世間と交渉を持たない』に事よせて」

岡 潔・森田真生 編『数学する人生』新潮文庫 「私は毎日、大学の研究室で学生たちに数学の講義をし、自分の研究をしているものである。研究室は組織をもたぬ、私単独のものであるが、一つだけ規約を置いている。それは「世間をもち込むな」ということである。  私は世間と 交渉を持つこと、毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂することを極力避ける。 (中略) 最近は特に研究の方が忙しくなってきたので、テレビ、ラジオ、新聞なども目や耳から遠ざけている。 (中略) しばらく前、プッツリとテレビを見るのをやめてしまった。すると、とても気持ちがよい。まるで春先の気分のようで、浮き浮きした気持である。おかしなこともあるものだと思ったが、かりに『解放された気持をよろこんでいるのかもしれぬ』と名付けてみた」(230-231頁)  私も「 テレビ、ラジオ、新聞なども目や耳から遠ざけている」が、時折「 NHK   ONE ニュース 防災(アプリ)」の大見出しは見る。  しかし、「 世間と 交渉を持つこと、 毀誉褒貶に一喜一憂する ことを極力避ける 」となると少し怪しくなる。  そして、「 世間をもち込むな 」については、絶望の淵に立たされている。  世間が私を追ってくる。ときに世間に追いつかれ、追い越され、世間が先、私が後という凄惨なことが起こる。世間は仮借なく執拗である。 兼好,島内裕子校訂訳『徒然草』ちくま文庫 「第百十二段 明日は遠き国へ赴くべし」 「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり」  また、小林秀雄の随筆で知った 「陸沈 」。 水に沈むのはやさしいが、水なき陸に沈むのはむつかしい。 「 我が生、 既に蹉陀たり」、陸に沈むしかないだろう。  何事も、辺土は賤(いや)しく頑なであり、 「あまざかる鄙(ひな)」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりである。 「ざっくばらんが大きらい」(梅棹忠夫)

TWEET「執着を捨てる」

 北風が吹きはじめたころ,「煤払い」を終えた。その後 専ら,「捨てる」ことに専念している。 「捨てる」とは執着を「捨てる」ということである。苦渋の一巡目、逡巡の二巡目、三巡目の未練。少しずつ歩を進めるしかないように感じている。目標は「人・もの・こと」からの解放である。 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 2022/02/22 「ぬす人に取り残されし窓の月」 人はこれほど「無一物」になれるものか。 良寛はこの期におよんでも風流である。  良寛に印可を与えた、備中玉島 円通寺の大忍国仙和尚をして「大愚良寛」といわしめた所以の一端がうかがえよう。 「一九九四年にパリの地下鉄内に世界各国の詩人の詩が掲示された。その時、この句が人気投票で一位に選ばれたというから」(138頁)、国際派である。 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 2021/12/31 「道後温泉のすぐそば」にある、「法厳寺(ほうごんじ)」は、「『捨て聖(ひじり)』といわれた時(じ)宗の祖、一遍上人(しょうにん)の生まれたところといわれている。詩人、坂村真民(しんみん)さんは『四国が生んだ二人の偉大な宗教家』として、空海と一遍をあげている。空海がたくさんの文章や書を残したのに対して、一遍は自分の記録をなにもかも捨てている。五十一歳で没するまで、生涯、旅びとだった。念仏勧進(かんじん)をいのちとし、破れ衣を着て、踊り念仏をひろめた。 (中略)  一遍の言葉は厳しい。「衣裳を求(もとめ)かざるは畜生道の業(ごう)なり。食物をむさぼりもとむるは餓鬼道の業なり。住所をかまふるは地獄道の業なり。しかれば、三悪道をはなれんと欲せば、衣食住をはなれるべきなり」 (中略)  一遍像を見ながら、歩き遍路の大々先達(せんだつ)がここにこそいると思った。  一遍は『はねばはね、踊らば踊れ」といって、歓びの踊りを踊りながら、念仏を唱えた」(259-260頁) 「畳一畳しきぬれば / 狭(せばし)とおもふ事もなし」( 205頁) 「よろづ生(いき)としいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし」(252頁)  一遍上人に倣うことはとてもできないが、捨てるという主体も捨ててこそ、他力の本願があると思う。

TWEET「吉田簑助_頭巾かぶって八十五年 文楽に生きて」

 昨日の午後「冨安眼科」さんを受診した。  待合室のテレビには(受診後 検索すると)、 「NHK 午後LIVE ニュースーン」 「あの人に会いたい」 「吉田簑助(人形浄瑠璃文楽 人形遣い)」 が映っていた。  常に待合室では、テレビから最も遠ざかった位置 に座ることにしている。  昨日はそれが災いした。いくら目を凝らそうが、耳をそばだてようが、雲をつかむようなありさまだった。  が、しかし、待合室にテレビは要らないと、私は頑なに思っている。 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 2018/07/17 ◆ 三代目 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 は、P教授のこの夏の推薦図書です。昨日読み終えました。井筒俊彦から一気に様変わりしました。  文楽の世界にふれたのははじめてのことだった。  主遣い、左遣い、足遣い の三人遣い。人形は一人で操(く)るものとばかり思っていた私は、いっぺんに難しい世界に足を踏み入れたように感じた。  以下、印象に残っている節である。 「簑助襲名」,「会者定離」,「人形の色気」,「人形遣いの知恵」,「女方の人形の型」,「情とリアリティー」,「近松の三人の女」,「文楽に生きる女たち」 と、たくさんになってしまったが、特に、 「会者定離」,「人形の色気」 が印象的だった。 「会者定離」には、吉田文五郎、桐竹紋十郎、桐竹勘十郎、との別離の場面が描かれている。今際の際に臨んでの桐竹紋十郎と簑助との人形遣い同士の無言の交感、また人形遣いとして逝った桐竹紋十郎の最期はみごとだった。  人形に命を吹きこむとは、大層なことである。 「人形の色気」の項には、以下のような言葉がある。  基本は、人形拵(ごしら)えです。  人形遣いは、自分で遣う人形の着付けは、弟子や他人にはけっして任せません。かならず自分でします。私にかぎりません。人形遣いはだれでもそうです。  私は、女方の色気は襟足(えりあし)がポイントと思っていますから、役に応じた胸のふくらませ方や襟の合わせ方以上に、気を使っているつもりです。  襟はいずれにしろ大事で、これが思うようにまいりますと、あとは自然にそれに衣裳を添わせられます。だから、気に入るまで何回もやりなおすのは、この部分の作業です。(160頁)  文楽の人形遣いの修行そのものが、教えられるものではなく、言葉は悪...

TWEET「眼科医の面壁九年」

「冨安眼科」さんに通院している。  暗幕を引いた薄暗い診察室の、さらにまた  ひときわ 暗い一隅で、冨安先生は診察 されている。その診察風景を目にするたびに、これは「冨安先生の面壁九年」だなと思う。 「達磨の面壁九年」といえば、雪舟の「慧可断臂図」を思い出すが、私は先生に何を差し出せばいいというのか。  明後日の午後「冨安眼科」さん受診の予定である。  期限が迫っている。   (註)「慧可断臂図」 慧可が達磨(だるま)に入門を断られた時、自分の左腕を肘(ひじ)から断ち切り意志の固さを示して入門を許されたという故事に基づく図。 また。 以下 ご参考まで。 小林秀雄「雪舟の明らかさ」

TWEET「アレルギー性鼻炎とティートリーとの不思議な関係」

 一週間ほど前から、鼻水が止まらず「 1箱 / 日」をゆうに超えるティッシュペーパーを消費していた。また、時折 続けてくしゃみが出た 。はじめてのことに戸惑った。  そんな幾日かを過ごした。  と、あるとき、 「それって、アレルギー性鼻炎じゃないの?」 という、目下 研修中の N 先生の声が聞こえた。  早速 検索すると、この季節 のアレルゲン は、主に「 ハウスダスト(ダニ)」と「 寒暖差」らしいことが分かった。  迷うことなく、 「ティートリー( エッセンシャルオイル(精油) 」をTシャツの襟首に数滴つけた。間もなく症状は寛解し、ほとんど気にならなくなった。 “アロマテラピー” である。  天の声に救われた。  現在 “煤払い” の最中であることは、前頁で書いたが、汚れたままにも落ち着いていた埃(ほこり)が、分不相応な、やりつけない掃除をはじめたばかりに、埃が辺りに飛散し、私の粘膜を刺激した。  天誅だった。 そして最後に、「 ティートリー」については、 「その後の展開、そして終息」page 3/3 2015/09/05 「(福岡伸一『生物と無生物の間』講談社の読後には)続けて、福岡伸一さんの『ロハスの思考』ソトコト新書 を読み、「LOHAS」という言葉を知りました。石鹸へ洗剤に、重曹にビネガーへ、掃除に洗濯に、料理に家事一般へと、ほどなく私の興味は広がっていきました。一人前の「重曹の人(ジュウソウイスト)」になりました。  炭酸水を使ってガラスを拭いたときの驚きは今も新鮮です。一点の曇りなきガラスは美しくさえありました。  毎年三月の声を聞くと、花粉症に悩まされる子どもたちが現れます。数日後に受験を控えた受験生にとっては一大事です。そんなとき、タイミングよく到着した “メールマガジン ” の記事を読み、早速 人体実験におよびました。「ティートゥリー」のエッセンシャルオイル(精油)を2〜3滴襟元につけると、鼻水がピタリと止まり、鼻が通りました。目先の受験が第一でしたので、なぜかは二の次でした。これに気をよくした私は蓄膿症の子どもにも試してみましたが、こちらには効果がありませんでした。  以来当塾では、「ティートゥリー」のエッセンシャルオイルは受験の友となっています。受験期には出費がかさみます。結構いいお値段がついています。  一通りのことが身につくと、私のお...

TWEET「煤払い」

  秋日和が続いている。  この10日ばかり「煤払い」をしている。季節の先取りである。   懸念の “水回り” の大掃除を終えた。隣家の解体工事で、汚れるままになっている “窓拭き” にまで手が届くといいのだが…。冬の本格的な到来が期日である。  掃除の要諦は、いい加減で適当に、そして休み休み、ということである。  完璧を目指し、棍をつめると息切れがする。  その都度、こまめにというのは、怠惰な私には似つかわしくない。性向に背くようなことをすれば、私を見失うことにもなりかねない。 追伸:洗剤については、頁を改めて、ということにさせてください。

TWEET「三輪の神糸」

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  盛夏 、食品売り場で、 「三輪の神糸」 に目が留まった。右上には「手延べ素麺」と記されている。 「三輪」,「神糸」の文字に胸がときめいた。  早速 手に取って見ると、 「製造者 / 株式会社 マル勝高田商店 / 奈良県桜井市大字芝374番地の1」 と記載されていた。  もう間違いなかった。  大和の「三輪山」は “神の山” であり、山そのものがご神体である。山中の一木一草、岩根・岩・細石(さいせき)・土塊(つちくれ )にいたるまで、すべてに神が宿っている。 「山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す」( 「神 道 (7)」 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 67頁)  また、同じ桜井市にある「聖林寺」さんには、 「十一面観音立像」が安置されている 。「 新観音堂」建立前後に二度  参拝した。 高邁な御姿を仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。精細な蓮華座に見入っていた。   寺庭にある「聖林茶館」さんの窓ごしに、「三輪山」の山腹を眺めることができた。 「三輪の地は素麺発祥の地だった」  素麺発祥は、1200年前、三輪の里の肥沃な土地と三輪山から流れ出る巻向川の清流が、小麦栽培に適することから、大神神社の大神主であった大神朝臣狭井久佐の次男穀主が種を蒔かせ、その小麦を原料に神意に沿って素麺の生産を始めたと伝承されています。   また、素麺は保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ多くの民を救ったとも言われております。  素麺が日本全国へ広まったのは、江戸時代に流行した「お伊勢参り」が関係し、三輪が街道筋にあったことから、お参りする人々によって全国へ伝えられました。  今でも播州・島原・小豆島・淡路等素麺の主な産地には大神神社の分社があり、この事実からも三輪は”素麺のふるさと”と言われます。(「マル勝高田商店」さんのサイトより) 「三輪の神糸」  - 細きこと糸のごとく、白きこと雪のごとし - 「三輪の神糸」の由来は、手延素麺の発祥の地、 大和・三輪に残る古い言い伝えから。 神業ともいえる細さと、コシの強さは、 こだわりの「本腰熟成製法」ならでは。 厳選された素材を用い、伝承の手延べの技術と、 蔵熟成で丹念に仕上げました。 (「...

TWEET「みやこへ行きたしとおもへども」

「みやこへ行きたしとおもへども / みやこはあまりに遠し」 「せめて」と思ひ、 「聖護院八ッ橋総本店 公式オンラインショップ」さんにて「八ッ橋」を注文した。 「聖護院八ッ橋総本店」 「聖護院 八ッ橋 」×3 「祭菓『古都の秋』」×3 「聖・黒胡麻」 「聖・四種詰合せ(秋)」  お届け物、お見舞いの品もかねて、たくさんの「八ッ橋」を誂えた。  京香・口福にはあずかることはできるものの、眼の福には浴することができない。これでは本末が転倒している。本末の転倒は、自家薬籠中の物とはいえ、 やはり 「 みやこへ行きたしとおも」ふ。

TWEET「なお優しさごっこ」

  新たな 「優しさごっこ」 が終焉を迎えた。   私の性状を知悉している者たちの、巧みな手口に、私がまんまと手中に落ちるという構図である。 「人・もの・こと」を蔑(ないがし)ろにする者は、「人・もの・こと」から蔑ろにされるという、この実に簡明な論理が、なぜわからないのだろうか。  もう止めにさせて欲しい。 「ごっこ遊び」のお相手は、他を当たって欲しい。

TWEET「かつ消えかつ結びて」

 琵琶湖にカヤックを浮かべて、行方不明になりたい。  夢は「かつ消えかつ結びて」。  ただごとではないが、かといって たわいのないことではない。  

TWEET「今しきりに」

 今しきりに、古社寺を巡りたいと思う。   浄らかな地にたたずんで いたい。神仏を前に畏まり鎮まりたい。静謐の秋に染まりたい。  が。  入院中の叔母と、叔父や従姉妹たちの、献身的な看病の姿を思うと、遠慮する他はない。  叔母の容態が、一刻も早く快方に向かうことを、祈るばかりである。

TWEET「郷愁」

 警報機が鳴り、遮断機が降りる。と時折、数両編成の鈍行電車が通り過ぎることがある。    あの電車に乗って、運ばれるままに運ばれてみたい。微動だにせず、沿線に展がる風景を、見るともなく眺めていたい。  これは「私の郷愁」である。  生地への「郷愁」の念はないが、「私の郷愁」を覚える地ならば各所にある。これを幸といおうか、不幸といおうか、それは定かではない。

TWEET「優しさごっこ」

「お医者さんごっこ」,「電車ごっこ」,「お店屋さんごっこ」…。 「優しさごっこ」も、いとけない子どもたちの「ごっこ遊び」の範疇にある!?  久しく以前に、私はこの「ごっこ遊び」とは縁を切ったが、いまだにお呼びがかかり、息苦しさをそのままに「優しさごっこ」のお相手をしている。  私の友人・知人との関係は、「使う・使われる」の人間関係に堕することが多い。 「それは信頼されているからよ」 と言われてみたものの、救われたようで、やはり浮かばれない。  ご依頼主のお相手は、その最中(さなか)には丁重だが、間もなく それらのことを、強いて忘却の彼方へと押しやったかのように、無頓着で平然としているから、たちまちのうちにすべてが「優しさごっこ」に転落する。 「一宿一飯の恩義」という言葉がある。 「ごっこ遊び」のお相手は、他を当たっていただきたいものである。 なお、 今江祥智さんには、『優しさごっこ』理論社 という児童文学の名作があります。

TWEET「毀誉褒貶」

 叔父は謙虚な私のことを、図々しくも、 図々しいと呼び、憚(はば)からない。そう呼ばれるたびに私は、だらしなくへらへらし、ヘラヘラと力なくほくそ笑んでいる。  たとえば、ドラッグストア内で、吊ってある大見出しを一覧し、求める商品の在処(ありか) がわからないと、私は商品ではなく、 店員さんを探す。店員さんは、主に商品の 補填をする方たちであり、細々した品物の所在を実によく心得ている。そして、その場で商品の説明をうかがうこともある。  かつて二度、 「あっち!」 と、横柄に指をさされたことがある。 「あっち!?ではわかりません」 というと、 売り場まで案内してくださった。  年寄りあつかいされたのだろうと思っている。  さらに店員さんが首尾よく見つからない際には、レジにて、専門のコーナーの担当者の方を呼んでいただく。  事ここに極まれり。  こうして私の狼藉が行き着くところまでいくと、 「お前の図々しさはたいしたものだ。俺にはとても敵わない」 と、叔父から最大級のおほめの言葉をいただくことになる。   先日、 そんな叔父が、 「俺もこのごろ 図々しくなったよ」 と言っていた。  慶事である。  ようやく叔父も “かしこい消費者” になりつつあると、 喜んでいる。

TWEET「内なる叫び」

  今日も少年の叫び声を聞いた。  夕闇どきになるときまって、小学校低学年の男の子の叫び声がする。 意味を伴わない叫びである。  彼の内の衝動が少年を突き動かす。止めることは得策ではない。  ひとしきり叫び終えると、ドアを開け、またドアを閉める音がする。  ただ、これだけの話である。

TWEET「音楽とこの絵画との出会い」

 2025年10月21日に、 「世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノコンクール」で東京都出身の桑原志織さん(30)が4位に入賞しました」 というニュースを目にした。  そして、その記事には、 「桑原志織さんを6歳から15歳ごろまで指導したピアノ教室の院長、斎藤恵美子さん」の、 「音色の豊かさについてはほかの誰にも負けておらず心を奪われました」 というコメントが付されていた。 「音色の豊かさ」とは、一つ一つの音が珠玉の輝きを湛えているということだろう。粒のそろった美しい音色のピアノ曲を何曲か知っているが、それは門外漢の私にもはっきりと自覚される。  音に色があるならば、絵に音があっても然るべきであろう。 「最後まで愛した画家ルオー」 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 「ためらいも繰り返しもない素早い筆は、(「パレットの代りの楕円形の大皿」の)表にピエロを仕上げると、そのまま速度も落さず、裏側に廻り、あっと言う間に花を描き終える、その断絶を知らぬ運動に導かれて、私は皿をひっくり返すようである。 (中略)  叩きつけられた絵具が作る斑点と、顔料を分厚く盛り上げて引かれる描線との対照は、いかにも荒々しく烈しいものだが、其処に、極めて繊細な和音が発生し、皿全体が鳴るのに気附いて驚く。これに聞き入っていると、こういう美しい物が生れて来る、創り出されて来る、その源泉とも言うべきものに向って誘われて行くような、一種の感覚を覚えるのである。〈ルオーの事〉(52頁)  音調という言葉があり、色調という言葉があるが、絵画の世界に「音色」に相当する言葉は見当たらない。色調とは適所に配され響き合う、一つ一つの色の調和のことであり、その高次の調和が、音楽を奏でる。  音楽とこの絵画との出会いはおもしろい。  が、残念なことに、私は絵画から音楽が「鳴る」のを耳にしたことがない。  圧倒的な耳の訓練、眼の訓練の不足である。

TWEET「夜もすがら」

 2025/10/06「浜名湖サービスエリア」に向かった。  名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉 「夜もすがら」, 湖上を渡る名月を望んでいたかった。  皆既月食の際には、欠け満ちする明月に心穏やかではなかったが、今回は心安らけくたたずんでいられるように思った。  到着すると空は厚い雲に覆われ、時折 小雨が降った。が、湖上に広がる闇夜は美しかった。  24時過ぎから 30分ほど、雲間から名月が望まれた。明るい 月だった。神々しかった。  いつ雲隠れしてしまうのやら、心もとなく、今回も心穏やかではなかった。  満足し、その後間もなくして帰路についた。

TWEET「秋は夕暮れ」

  いま 「道の駅 潮見坂(静岡県湖西市)」にいる。   台風の余波か、遠州灘(太平洋)は、いつになく荒れている。  砕ける波頭の白さが、潮の飛沫が美しい。  間もなく陽が沈む。  空が、雲が、海が朱に染まっている。

TWEET「平衡を保つ」

 以来、叔母の認知症の進行とともにあった。そして、いまもその最中(さなか)にある。叔母の姿は痛々しく、切ない。  そんな折、2025/09/07,08 に 浜名湖サービスエリアで、湖上を渡りながら繰り広げられた 皆既月食を見た。神秘的だった。2021/11/19、高野山 金剛峯寺前の駐車場で見て以来のことだった。  いまこうして書くことで、平衡を保っている。

TWEET「M」

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 静岡市の (当地から120km ほど離れた) 「應縁山 普濟寺」 さんにある、従兄弟のお墓参りに行ってきました。はじめての墓参でした。 「普濟寺」さんは 道元禅師開祖の、由緒ある曹洞宗の寺院で、決して大きなお寺ではありませんが、清楚 で好感のもてる名刹でした。 「樹木葬」  いつまでも 去り難く、ついつい長居をしてしまいました。  また 帰路「浜名湖 SA」で、湖面をわたってくる風に吹かれ、ぼんやりしていました。

TWEET「 “衝動買い” という美徳」

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2025/07/31 「THE NORTH FACE  ベクティブ タラバル ブリーズ (ユニセックス)」 が、今日の午前中に届いた。30% OFF の セール品である。 「ベクティブ タラバル ブリーズ」 「ベクティブ タラバル ブリーズ」  「日常生活からライトなアウトドアアクティビティまでサンダル感覚で履けるアウトドアスニーカーです」   「アッパーには、軽量かつ防護性が高い人工皮革とメッシュを組み合わせ、通気性を高めるスリットアッパーデザインを採用しています。ソールユニットに配置した、多方向への安定性と推進力をもたらす3D TPUプレートと、クッション性に優れるロッカー構造のEVAミッドソールが、歩行時のブレを抑えながら高い推進力を実現。アウトソールに採用したSURFACE CTRLは、さまざまな路面状況に優れたグリップ力で対応します」   「スムーズな着脱とフィット感の調整がしやすいクイックシューレースの末端にはマグネットコードエンドを採用し、ぶらつきを抑制。通気性とクッション性の高いインソールは、素足着用時の快適さを高めます」   「機能的で快適なライフスタイルを演出する一足です」  これだけの画像を見せられ、これほどの説明書きを読めば、衝動を抑えることは困難である。  想像していた以上に、機能的でスタイリッシュな一足である。  早速 素足で履いている。違和感なく、快適である。  処暑を過ぎたころ、初秋の湿原の散策に、自転車で 行こうと思っている。  ただ、アッパーの「人工皮革とメッシュ」と「 スリットアッパーデザイン」は、雨天候向きではないが、たとえば 防水透湿の 「finetrack」 のソックスを履けば、解決することである。 2025/08/05 「THE NORTH FAACE ホライズンハット (ユニセックス)」 が、今日の午前中に届いた。こちらは 33% OFF のセール品である。 「 ホライズンハット 」   「アウトドアシーンにマッチする日よけアイテムとして、THE NORTH FACEで高い人気を誇るホライズンハットです。UVケア(UPF15-30、紫外線カット率85%以上)機能をもち、頭囲にぐるりと配置したベンチレーションメッシュパネルで通気性を確保。取り外し可能なあごストラップ付き。薄くて軽く...

TWEET「二人きりの慰霊の山行」

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  「二人きりの慰霊の山行」  今日は、広島に原爆が投下されてから 80 年になる節目の年です。   この猛暑のなか、 叔父と叔母が、神石山(静岡県湖西連峰)に、二人きりの慰霊の山行に出かけました。 「ラクダ岩」  身内のこととはいえ、やはり尊く、尊敬の念を抱いています。 追伸: 「二人きりの祈りの山行」  長崎に原爆が投下され 80 年、最後の被爆地になることを祈っての 二人きりの山行です。 「ラクダ岩」  今日も酷暑でした。 追伸_02: 「二人きりの追悼と祈願の山行」 「終戦の日」に、戦没者の追悼と恒久の平和を祈願しての 二人きりの山行です。 「ラクダ岩」   今日も猛暑でした。

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され、80年の節目の年 になります。  原爆はいまだに、 “抑止力としての核 ” として使用され続けています。  私は、 “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治に、キリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は、所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。汎用性が高いとは、専門性に欠け、空手で虚ろ、という意味です。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作は、いまなお新しく、身につまされます。「永遠の今」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っております。

TWEET「慶祝!甲子園出場」

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  2025/07/27,「第107回全 国高等学校野球選手権愛知大会」において、豊橋中央高等学校が 初優勝しました。市内の高校が夏の甲子園に出場するのは、豊橋商業高等学校 以来 74年ぶりの快挙です。   くじ運がよければ、Best 8 までは駒を進めることができますが、そこには “私学4強”(東邦、愛工大名電、中京大中京、享栄) が顔をそろえ、前にはだかっ ているのが例年のことです。今年も “私学4強” が勢ぞろいしています。愛工大名電、東邦 を敗っての甲子園出場ですから、立派です。 「慶祝!甲子園出場」   愛知県は、政治・経済はもちろん 何ごとにつけ、 “西高東低”といわれています。当地はその東の端に位置していますから、推して知るべし、ということです。  斜陽の街の 大きな話題です。  豊橋中央高等学校の甲子園でのご活躍をお祈りしております。  この作文は、メールでのお問い合わせの返信に、手を入れたものです。  蚊帳の外の出来事でしたが、いまではすっかり “豊橋中央 通” になってしまいました。

TWEET「夏草や」

 昨日 屋敷内の夏草を 一通り取り終え、そして今日の夕方、45L のごみ袋 一つと、30Lのごみ袋 五つをゴミステーションへ出しにいった。   容量削減のために、取った草は所々に集めて積んでおいた。一日 日ざらしにすると干し草になり、懐かしい匂いがした。  何日間かにわたって、夕方 6 時30分 前後から薄明時までの、およそ1時間あまりを、草取りに費やした。早朝の草取りは、夏の清々しい朝がだいなしになるようで、1日で止めた。  草取りは、雨後がいいとされているが、酷暑の、夏の日照り雑草は、へたっていて、草を取るには最適か、と思っている。  蚊は  30℃ を超える日中の暑い時間には活動を停止する。蚊が活動をしはじめる時間帯に、私は草取りをしていたことになる。が、老齢のため、さして苦にはならなかった。蚊にも相手にされない年齢になった。蚊よけには、加齢臭が効果覿面である。  夏草には遠慮も容赦もなく、間もなく次の一巡が待っている。 以下、 TWEET「草むしり」 です。ご参考まで。

TWEET「TUNAMI」

 ロシア・カムチャツカ半島沖で、日本時間 8時25分ころ発生した、マグニチュード 8.8 の地震で、太平洋岸の広い地域 で、津波警報が発令された。  今日は “中潮” でした。ちょうど干潮と満潮の中ほどの時間帯に、豊川(とよがわ)にかかる “豊橋(とよはし)” を車で通りました。1m ほど水かさが増しているような気がしました。しかし、台風時等のように、旧堤防から水があふれるほどのものではなく、ひとまず 安心して帰宅しました。  海水が、豊川をさかのぼったのは、はじめてのことです。  日本は、地震といい、「TUNAMI」といい、台風といい、災害列島です。昨今では、気候変動による被害、また常態化した人事の腐敗もみられ、被災列島 日本です。

TWEET「動詞_あたける」

『 精選版 日本国語大辞典 第二版』 「あた・ける」 〘自カ下一〙 (「あだける」とも) ①あばれさわぐ。当たり散らす。乱暴する。 *歌舞伎・兵根元曾我(1697)二 「あれあの如く鼠があたけます」 ②たわむれる。おどける。 *物類称呼(1775)五 「ざれたはふるる事を〈略〉陸奥にて、あだけるといふ」  いとけない子どもの悪戯、といった語感がある。昨今の厳しい天候、見苦しい人事には使わない語であろう。  2021/04/30、 macOS版「辞書 by 物書堂(ものかきどう)」 が、「 Mac App Store」にてリリースされた。私は、一昨日知った。Mac で使用することは諦めきっていたので、気にも留めていなかった。お粗末だった。  その記念としての「動詞_あたける」 である。

TWEET「涼をとる」

 真夏日が続いている。  日がな エアコンの冷気に包まれている。 “涼をとる” といった趣 も従容としたところもなく味気ない。が、そんな悠長なことをいっている場合ではない。  旧軽井沢の別荘にいると思うことにした。土地柄は人を変える。有島武郎、室生犀星、芥川龍之介、川端康成、堀辰雄、遠藤周作らの錚々たる文豪たちの文章にあやかれればと、たいそうなことを考えてている。

TWEET「年寄りあつかい」

  ここ数年 何かと “年寄りあつかい” されるようになった。易しい言葉づかい、優しい応接が多くなった。余所目にはもう “ 年寄り ” に映るようで、たび重なれば食傷気味にもなる。  が、 いまでは、“易しさ”、 “ 優しさ” に触れ 、心地よさを感じるようになったから、本物である。  馬齢を重ね、老醜をさらすのも先々のことではなく、 遅かれ早かれ そっぽを向かれるときがくることは覚悟している。

TWEET「相談者として」

 上手に聴いていただくと、体が明るく、伸びやかになる。  精神科受診時の話である。 「聴く」ということについては、いままで随分と読み、また書いてきたが、相談者としての立ち位置については、考えたことがなかった。  15分前後と短い面接時間で、要領を得た話をするには、事前の準備が必要である。漫然とした話に終始すれば、せっかくの面接が診察・問診に転落してしまう。  要領を得た話とは、こころの深奥に秘めた内容を話題にすることである。 “死と再生の物語” であるから、恐怖をともなう。が、医師と二人で紡ぐ物語である、という安心感がある。  昨日の受診は、私が午前中最後の患者だった。N 先生はいつになく静かで、落ち着いていた。いい時間を過ごすことができ、ありがたかった。

TWEET「草むしり」

 検索すると、「除草」と「草取り」は同義語で、「草むしり」は草を根から抜き取ること、「草刈り」は道具を使って雑草を刈ること、と意外なことが分かった。  私は「草むしり」をしようとしているが、なかなか根こそぎに、とはいかない。  除草剤はまきたくない。地中の微生物が絶え、土が死んでしまう、とはいえ、今春 土の上にシートを敷きつめ、その上に玉砂利を敷くという蛮行に及んだ。が、シートの下のことは多少 気になっている 。  シートの上に生えた草は、気持ちよく根こそぎ抜ける。その網状に張りめぐらされた “ひげ根” を見ると、「草むしり」は到底かなわないと思う。  「草取り」をしながら屋敷内を一巡すると、さらに もう一巡 促される。 「草取り」は、 際限のない作業である。適当で、 いい加減な、が「草取り」の秘訣か、と思っている。  

TWEET「ほんの手遊びとはいえ」

 過去3か月間に、 木坂 涼「魚(うお)と空」の閲覧が、5101 回あった。また、過去30日間に、 3049 回の閲覧があった。そして、いまもなお読まれ続けている。 2018/06/26 木坂 涼「魚(うお)と空」 光村図書出版『国語 1』(70-71頁) 急降下。 鳥が 翼(つばさ)で 海を打つ。 鳥は もう摑(つか)んでいる。 波は 海のやぶれ目を ごまかしている 魚は 海を脱(ぬ)けでる 初めて そして たった一度だけ。 空の高見(たかみ)で もうひとつの空へ のまれる  「海のやぶれ目」の意味が解らない子どもたちが結構います。「もうひとつの空」とは、「彼岸」という意味なのでしょうか。  釣り上げた「ちびっこ(ブラック)バス君」を宙づりにすると、「キョトンとした顔つき」をしてぶら下がっていることがあります。はじめてふれた世界に何が起きたのかわからないのでしょう。「ちびっ子バス君」たちにとっては、手荒い洗礼です。水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの攻防です。 2018/09/03 「詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』の閲覧数について」  2018/06/26 に、手遊びに書いた、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」 の閲覧数が 100を越え、意外に思っています。   光村図書出版『国語 1』からの引用です。中学生諸君の閲覧なのでしょうか。毎日のように 読まれています。 過去 閲覧数の最も 多いブログは、 「小林秀雄が解釈する、本居宣長『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花』」(2017/04/02) で、 総閲覧総数 32348 と、他を圧倒している。第2位が急伸の、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」( 2018/06/26) で、 総閲覧総数 9944 .。第3位が、 小林秀雄「中原中也の思い出」(2017/08/110) で、 総閲覧数 1859 。第4位が同じく小林秀雄の、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」(2017/08/11) で、 総閲覧数 1821  となっている。  閲覧数上位のブログを、つらつらと眺めていると、硬派なブログで占められていることが見て取れる。私のブログ中の “古典” である。  しかし、「 詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』」だけは解せない。ほんの “ 手遊び ”...

TWEET「山野草の盗掘」

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「コチョウラン」 「ツリガネソウ」  昨日 叔父から、鉢植えの「コチョウラン」と地植えの「ツリガネソウ」の画像が届けられた。  ゆかしさに心が和む。    希少種の多い「山野草の盗掘」はいただけないが、「花盗人に罪はなし」には一理ある。  叔父の庭に咲く「コチョウラン」と「ツリガネソウ」の出自が気になる。

TWEET「頭ごしに」

 叔母の介護に、従姉妹たちの頭ごしに携わった。もちろん叔父の依頼・了解のもとだったが、終始 息苦しさを感じていた。  “老年精神科” の O先生からお電話をいただいた。 「甥・姪が介護に関わって、上手くいった例はありません。叔父・叔母が自宅に来たとき、ガス抜きに、話を聞いてあげる程度にしてください。あなたがまいってしまいますよ」  介護は家族皆の納得のもとで、協力して行われるのが本来の姿であろう。  いったんは、私の手から家族のもとへ移ったかにみえた介護も、依然 私の内で燻っている。  「頭ごしに」は「頭ごなしに」であり続けている。

TWEET「なによりも日本語です」

  “介護” にことよせて。  活字を読み理解する習慣さえあれば、例えば私が送った、適当な書物の内容を、容易に共有することができる。もしそうでなければ、簡潔に口頭で伝えるか、メールを書くしかない。いずれにしても言葉たらずである。  要は「なによりも日本語」である。  あるいは、「メディアリテラシー」。  「メディアリテラシー」とて、しょせんは「日本語」の範疇のことである。

TWEET「容赦無く、頑なで、執拗な」

 容赦無く、頑なで、執拗な方たちとのおつき合いは、避けたいものである。 が、介護に熱心な従姉妹たちのご依頼・ご相談ごととなれば、話は別である。  一つのご依頼・ご相談ごとが解決すれば、またたく間に 私は置き去りにされる。この落差に、私はしばしの間 抑うつ状態に陥る。そして、次のご依頼・ご相談ごとが舞い込む。  私は口先の人であり、従姉妹は実際に介護をする人たちである。 「 容赦無く、頑なで、執拗な」は、熱意の表れである。  頑張りすぎないこと。  無理をしすぎないこと。  早めに音をあげ、周囲に助けを求めること。  私の従姉妹たちへの願いである。

TWEET「セツブンソウ」

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 叔父が、「YAMAP(アプリ)」に投稿している。  雨天時以外は夫婦連れ添って、主に「 湖西連峰( 静岡県西部 )」をトレッキングしている。  以下、2025/02/ 11 に撮影された「セツブンソウ」である。 「セツブンソウ」  シックな装いの「セツブンソウ」は上品である。叔父夫妻の性格にも似て、会心の一枚である。  そんな叔父が今日、81歳の誕生日を迎えた。

TWEET「令和7年1月2日」

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 午前中、叔父と叔母がお年賀の挨拶に来てくださった。  お年賀に、叔母に、 ◇ 安野光雅『御所の花』朝日新聞出版 を差し上げた。すると、 「牧野富太郎さんの本はありませんか? 」 と聞かれたので、 手元にあった、 ◇『芸術新潮 - 博士の愛したフローラ- 2023年7月号」 を渡した。2023/06/26 DちゃんとKさんの結婚式の一日を、「栂尾山・高山寺」で過ごした帰途、「くまざわ書店 京都ポルタ店(駅ナカ)」で買い、以来 積読してあった品だった。  その後、Amazon から、 ◇『牧野富太郎の植物図鑑』高知県立牧野植物園 ◇『牧野富太郎の植物画集』高知県立牧野植物園 をお送りした。楽しんでいただければ、という祈りにも似た願いからだった。  叔父へのお年玉として用意してあった日本酒、 ◇「久保田 千壽 純米吟醸」 を渡し忘れた。  帰り際、従兄弟の一周忌のお供えに、唐招提寺参観時( 2023/06/06 / 鑑真和上の命日) に購入した「天平香」のセットをあつらえた。  午後には、近所の方から、一枝(いっし)の 「山茶花」と、ふた枝の「 「チェリーセージ」 の花をいただいた。花瓶といった洒落たものもなく、醤油差しと小鉢に挿した。 春先に移植すれば根付きますよ、とのことだった。  突然 春が舞い込んできた。  生気に満ちている。  断章が続きます。 「山茶花 大和富士 」 「チェリーセージ」

「頌春」

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「バラ(エンブレスミチコ)」 安野光雅『御所の花』 朝日新聞出版 (69頁)

TWEET「聖夜に」

◇ 嘉納純子, 松本智年 他著 / 黒井健 イラスト『あのね、サンタの国ではね…』偕成社 「サンタさんの一年間の物語が描かれています」 ◇ 中川李枝子,山脇百合子『ぐりとぐらのおきゃくさま (ぐりとぐらの絵本)』福音館書店   「思いがけないおきゃくさまから贈り物をもらい友だちと分かちあった、ぐりとぐらのクリスマス・イブのお話」 「子どもが大好きな謎ときがおり込まれた、クリスマスにぴったりの絵本です」  森で雪合戦をしていたぐりとぐらは、雪の上に大きな足跡をみつけました。たどっていくと、自分たちの家の前で消えています。中に入ってマントをかけようとすると、そこには赤いコートが……。暖炉の前には手袋と靴下が干してあって、部屋のすみに大きな袋もあります。「おきゃくさまは、いったい どこだろう」家のなかを探しますが、誰もいません」  すると、どこからかカステラを焼くいいにおいがしてきます。台所へとんでいくと、そこには、白いひげのおじいさんが焼きたてのケーキを持って立っていました。 「仲良しの友だちとみんなで食べる大きなケーキ! クリスマスの楽しいお茶会がもよおされました」  その夜、ぐりとぐらの家には、友だちがおおぜい集まってきて、みんなでクリスマスのケーキを食べ、歌ったり踊ったりしました。  ミステリー仕立てではじまるこの絵本は、何度読んでもドキドキ、ワクワク。思いがけないおきゃくさまから贈り物をもらい友だちと分かちあった、ぐりとぐらのクリスマス・イブのお話です。(出版社より)  上記の2冊の絵本を、明日 書店に立ち読みに行こう、と思っている。長い間 ご無沙汰している書店、久しぶりの立ち読み、となれば、少しの決意を要する。多少の緊張もする。

『Yes, Virginia, there is a Santa Claus.』

  "Please tell me the truth; is there a Santa Claus? 中村妙子 訳『サンタクロースっているんでしょうか?』偕成社 「今から百前あまり前に、8歳の女の子 ヴァージニアは、ニューヨークの『サン新聞』に、『サンタクロースっているんでしょうか?』と尋ねました。この問いかけに対し、フランシス・P・チャーチは、1897/12/21 付の社説で応えました。全米で話題となり、日本では偕成社より出版され、ロングセラーになっています。」 Yes, Virginia, there is a Santa Claus. 上記のサイトで英語で、また日本語訳で全文を読むことができます。ぜひご覧になってください。 私は学生時代にコラムで知りました。何冊かを買い、プレゼントしました。Amazon で見ると「ベストセラー1位」になっています。何十年ぶりかに読み返しました。 Yes, there is a Santa Claus.

「古代人の思考はよく『古代人』が聞き分ける」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書  南島で出会った精霊たちは、折口の考えてきた「古代人」の思考そのままの現れ方をした。島の人々は「あの世」が海の彼方(かなた)のニライカナイにある、と考えていた。ニライカナイとは「根の島」という意味で、そのまま「魂のふるさと」「魂の根源の場所」を意味していた。人が亡(な)くなると、その魂はニライカナイに戻っていく。またそこは生命の根源の場所で、ニライカナイにつながっていないと、「この世」は生命の輝(かがや)きをなくしていく。しかし、生きている人間はめったなことでは、この海の彼方の「あの世」に行くことはおろか、触れることすらできない。だから島の人々は、「あの世」からの来訪者である「まれびと」の到来(とうらい)を待ち望んでいるのである。  仮面を着装し、植物で全身をおおった精霊が、いかにも「まれびと」らしく、一年に一度だけの決まった日に、村の裏にある洞窟(どうくつ)や森の奥から、島の人々が緊張(きんちょう)しながら待ち受ける神聖な広場にあらわれてくる。ざわざわざわざわとからだを揺(ゆ)すり、踊(おど)るように舞(ま)うように、「まれびと」が目の前にあらわれると、人々の興奮は頂点に達し、精霊と一体になった人々の心のなかには、「あの世」との通路がひらかれる。生きている者と死者たちの霊とは一体となり、過去と現在と未来がひとつになったような、不思議な時間の感覚があたりを包み込む。(47-50頁) ◇ まれびと:折口信夫の用語。海のかなたの異郷(常世)から来訪して、人々に祝福を与(あた)えて去る神。  折口信夫は「目撃」したのである。そして、 「わたしはいまの世で成功する者とはなりえない人間だ。なぜならわたしは精霊とともに生きる一人の古代人であるのだから」(60頁) と、「一人の古代人」を自任する折口は、古代人さながらに霊気に当たり、古代人さながらに精気に浸ることによって、すべてを身にひき受けたのである。 「まれびと」は折口信夫の詩人的な幻想(げんそう)などではなく、たしかに実在していたのだ。  沖縄諸島への旅から戻った折口信夫は、矢継(やつ)ぎ早(ばや)に、日本の文学と芸能の「発生」を論じる、重要な論文を発表していった。「まれびと」はこうして、日本人の神観念の原型をしめしているばかりではなく、折口信夫の学問と思想の全体を...

折口信夫「冬至の日に,精霊ふゆる『ふゆ』」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 「とても興味深いことに、「まれびと」論や芸能発生論ではもっとも重要な季節が冬至(とうじ)と夏至(げし)の季節におかれていたのに対して、『死者の書』(折口信夫著)で描きだされた新しい他界論では、春分と秋分の季節がもっとも重要な季節になっている。第一章で述べたように、冬至と夏至には、昼と夜の長さが極端(きょくたん)にアンバランスになり、そのときを選んで死者の霊が、生者の世界を大挙して訪問してくるのである。そのとき「あの世」との通路が開いて、仮面などで姿を隠(かく)した精霊が、舞(ま)いながら「この世」にあらわれてくるのだった」(86頁) ※ まれびと:折口信夫の用語。海のかなたの異郷(常世)から来訪して、人々に祝福を与(あた)えて去る神。 精霊ふゆる「ふゆ」 「多くの祭りが、昼と夜の長さがもっともアンバランスになる冬至と夏至に集中しておこなわれる。  この冬至と夏至をはさんで、「古代人」は精霊(スピリット)をこの世にお迎(むか)えする祭りをおこなう。夏至をはさんだ夏のお祭りの期間には、死霊(しりょう)のかたちをとった精霊の群れが、生きている者たちの世界を訪問してくる。死霊には、まともな死に方をして、しかも子孫たちから敬われつづけている先祖の霊もいれば、横死をとげた幼い子供のうちに亡(な)くなってしまった者たちの浮かばれない霊もいる。そういう多彩(たさい)な死霊たちが大挙して戻ってくるのを、「古代人」は心をこめてお迎えしようとしたのである。  その夏の時期の精霊来訪の祭りは、のちのち仏教化されて、お盆(ぼん)の行事となったけれど、そこには「古代人」の思考の原型がはっきり残っている。お盆の行事としておこなわれる「盆踊(おど)り」を見てみよう。 (中略)  冬至をはさんだ一、二か月は、その昔は霜月(しもつき)と呼ばれて、やはり精霊を迎える祭りがおこなわれた。しかし冬の期間におこなわれるこの祭りでは、夏の精霊迎えの祭りとはちがった考えが支配的だった、というのが折口信夫の考えである。この期間、精霊の増殖と霊力の蓄(たくわ)えがおこなわれるのである。折口信夫の考えでは、「冬(ふゆ)」ということばは、古代の日本語に直接つながっている。「ふゆ」は「ふえる」「ふやす」をあらわす古代語の生き残りなのである。  冬の期間に「古代人」...

TWEET「解体・整地工事の終了」

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 2024/12/05 解体・整地工事のすべてが終了した。 「我が 死に支度の嚆矢」を終えた。   「 嚆矢 」の続編へと、早々に歩を進めたいが、何事につけ業者さん主導であり、待つことしかできないのがもどかしい。私ひとりでは、なにもできない証である。  家屋の下積みになっていた表土が、いま冬の陽を浴びている。健全な眺めである。同敷地内に建つもう一棟の木造家屋もこの際 解体し、更地にしてしまいたいという衝動がある。 “善事” のためにはホームレスも厭わない、ということである。  断片が続きます。

TWEET「解体後の今日」

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 昨夕、解体工事のすべてが終了した。 2024/11/30   解体業者「信頼」さんの、トルコ・イスタンブールご出身の二人の男性を中心とした、丁寧なお仕事ぶりに感心している。  解体工事の およそ 6割あまりは、廃棄物の分別であることを知った。飽くことなく、丹念に仕分けしていただいたことにも感謝している。  懸念の解体を終え 明けて今日、感傷はなく、清々しい心持ちでいる。  以下の写真の、細長い側溝の蓋の部分が、かつての勝手口である。    蓋の上に立って、いまは無き屋敷内のあれこれに思いを馳せている。  ちなみに側溝の蓋は、私が無理をいって、ムスタファさんに急ごしらえしていただいたものである。  明日からは、盛り土の運搬がはじまる。  更地は思いのほか美しい。同敷地内に建つもう一棟の木造家屋もこの際 解体し、更地にしてしまいたいという衝動がある。 “美” のためにはホームレスも厭わない、ということである。  また、同じイスタンブール出身の、「自分を見つけに、日本にきました」と言った、16歳の優秀な少年 エレンの行末が気になっている。  断章が続きます。

TWEET「蹂躙」

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    容赦なく自宅が蹂躙(じゅうりん)されていく。言葉は悪いが、やはり私の眼には、そのように映って止まない。  かろうじて、 玄関が、応接間が残り、縁側が、そしてトイレが、井戸が残されている。  昨日の終業時のことである。  二人のトルコ人男性のたくましさが際立っている 。日本人労働者の優に倍は働く。骨惜しみせず、重機も操る。  それは ブラジル人青年たちの “足場屋さん” についてもいえることである。  解体業や鳶職の世界は、既に外国人労働者の方たちによって、席巻されつつあるような気がしてならない。  断片が続きます。

TWEET『レ・ミゼラブル』

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『噫(ああ)無情』  昨日の終業時の画像です。  木屑の山です。  断章が続きます。

TWEET『むざんやな」

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 2024/11/12 から自宅の解体工事がはじまり、今日 はじめて重機が入りました。 むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす          芭蕉 「無念です」 「作業終了後」    私はさしずめ、「甲の下のきりぎりす」です。  断片が続きます。

TWEET「いよいよです_2/2」

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 解体工事 前日の今日、最後の最後に、 電気メータと電線を撤去していただきました。  日が暮れようとしています。  断章が続きます。