昨日の午後「冨安眼科」さんを受診した。 待合室のテレビには(受診後 検索すると)、 「NHK 午後LIVE ニュースーン」 「あの人に会いたい」 「吉田簑助(人形浄瑠璃文楽 人形遣い)」 が映っていた。 常に待合室では、テレビから最も遠ざかった位置 に座ることにしている。 昨日はそれが災いした。いくら目を凝らそうが、耳をそばだてようが、雲をつかむようなありさまだった。 が、しかし、待合室にテレビは要らないと、私は頑なに思っている。 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 2018/07/17 ◆ 三代目 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 は、P教授のこの夏の推薦図書です。昨日読み終えました。井筒俊彦から一気に様変わりしました。 文楽の世界にふれたのははじめてのことだった。 主遣い、左遣い、足遣い の三人遣い。人形は一人で操(く)るものとばかり思っていた私は、いっぺんに難しい世界に足を踏み入れたように感じた。 以下、印象に残っている節である。 「簑助襲名」,「会者定離」,「人形の色気」,「人形遣いの知恵」,「女方の人形の型」,「情とリアリティー」,「近松の三人の女」,「文楽に生きる女たち」 と、たくさんになってしまったが、特に、 「会者定離」,「人形の色気」 が印象的だった。 「会者定離」には、吉田文五郎、桐竹紋十郎、桐竹勘十郎、との別離の場面が描かれている。今際の際に臨んでの桐竹紋十郎と簑助との人形遣い同士の無言の交感、また人形遣いとして逝った桐竹紋十郎の最期はみごとだった。 人形に命を吹きこむとは、大層なことである。 「人形の色気」の項には、以下のような言葉がある。 基本は、人形拵(ごしら)えです。 人形遣いは、自分で遣う人形の着付けは、弟子や他人にはけっして任せません。かならず自分でします。私にかぎりません。人形遣いはだれでもそうです。 私は、女方の色気は襟足(えりあし)がポイントと思っていますから、役に応じた胸のふくらませ方や襟の合わせ方以上に、気を使っているつもりです。 襟はいずれにしろ大事で、これが思うようにまいりますと、あとは自然にそれに衣裳を添わせられます。だから、気に入るまで何回もやりなおすのは、この部分の作業です。(160頁) 文楽の人形遣いの修行そのものが、教えられるものではなく、言葉は悪...