白川静「やっぱり、蘇東坡かな」

「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人?
「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社

梅 原 先生は、中国史の中に登場する人物では、誰がいちばんお好きですかね。
白 川 一人だけですか。ず〜っと歴史的にみていって…
梅 原 ええ。
白 川 やっぱり、蘇東坡(そとうば)かな。
梅 原 蘇東坡ですか、ああ。どういうところでしょうかね。
白 川 彼はね、非常に才能もあり、正しいことを言うとるんだけれどもねえ、何遍も失脚してね、海南島(かいなんとう)まで流されたりして、死ぬような目に遇(お)うて、それでも知らん顔してね、すぐれた詩を作り、文章を書き、書画を楽しんでおった。
梅 原 ああ、そこがいいんですか。陶淵明(とうえんめい)はどうですか、陶淵明は。
白 川 陶淵明はね、ちょっと悟り過ぎ。詩はいいですよ。
梅 原 ああ、詩はいいですね。
白 川 詩はいい。詩はいいけどもね、生き方としてはね、ちょっと悟り過ぎだしね。晩年どうしとったんか解らん。四十ぐらいまでは詩でよう解りますけどね、あと死ぬまで何しとったんかね、よう解らん。まあ、世に隠れておった訳でしょうね。
梅 原 今度先生の本読んで、先生はね、隠れた詩人だと僕は思ったなあ。だからね、先生の文にはどこか解りにくいところがあるんだな。やっぱり詩のようにね。ちょっとこう独自の文体ですよ。ちょっと気負った文章なんですよ、先生のはね(笑)。
白 川 (笑)
梅 原 洒落た文章なんですよ。最後はちょっとねえ、わざと解らないようにしてるんですよ。言葉の深い意味を捉えて、それを抑えて表面には出さずに文章を書く。先生は詩人だと思ったなあ。文章が美しいんだよ。
白 川 三(散)ぐらいでしょ(笑)。
(←「散人」の意?)
編集者 詩(四)人じゃなくて、三(散)ぐらい(笑)。
梅 原 いやあ、先生は三より上の四、やっぱり詩人ですよ(笑)。(36-37頁)

 蘇東坡の「知らん顔」はいいですね。
「小林(秀雄)は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」(若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 166頁)
陶淵明についての会話を聞いて、こんな一文が思い出された。また、散人、詩人の順列は愉快である。
「やっぱり、蘇東坡かな」。蘇東坡だな、ということで、
◇ 蘇東坡『蘇東坡詩選』岩波文庫
を注文した。古書である。