投稿

2020の投稿を表示しています

TWEET「ごまめの歯ぎしり」

 このひと月あまり、煤払いをしています。毎日塵埃にまみれています。塵芥(ちりあくた)の類と呼ばれるもまたよし、と思っています。  その間乱雑に読み継ぎ読み継ぎ、いま、 ◇『山と溪谷  大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 にたどり着きました。一年前と同じ地平に立ち、威容を仰いでいます。  十六夜の月を拝しながら、ごまめの歯ぎしりです。

TWEET「寒夜の明月」

 昨夜は満月でした。明月を拝しました。 寒夜の月は凛々しく、端正でいいですね。  いま氏神さまである 「豊麻神社」に、神札を納め、参拝してきました。  十六夜の月を拝しながら、行く年来る年に思いを馳せます。  来たる年は、「辛丑(かのとうし)」です。  還暦です。  一巡します。

「いよいよ神仏混淆か」

 2020/11/01 に「伏見稲荷大社」を詣で、 2020/11/17 には「伊勢神宮」を参拝しました。その際には、 市内の書店「BOOK SQUARE ララパーク店」さんで、 ◇ 神宮司庁 編・著『図解 伊勢神宮』小学館 「奉祝 令和 神宮司庁広報室の神職たちが執筆・編集した初めての「神宮」読本」 を購入し、帰宅後、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (1)〜(7) 」 ◇ 中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 を読みました。  そして、一昨日には、「神宮大麻」と氏神さまである「豊麻神社の神札」を本箱の中にお祀りしました。いよいよ我が家の「神仏混淆」かと思っています。  清らかなることは慶こばしきことかな、と思っております。

TWEET「法螺貝ショップ」

豊橋市内にある 法螺貝販売、法螺貝専門店の 「穂の国」 さんが、いかがわしい店でないことを一昨日知りました。法螺貝にも、店主さんの人となりにも、出入りするお客さんの人柄にも興味がありますが、敷居が高い、というのが本音です。

森武史『熊野修験』月兎舎

◇ 森武史『熊野修験』月兎舎 が一昨日届きました。 「那智四十八滝・大峯奥駈・葛城二十八宿 山伏とともに20年。峰を駈け、渓に分け入り 岩によじ登って捉えた熊野の自然と修験者。 熊野修験再興33周年を記念した写真集です。」 総本山金峰山寺管長 五條良知 「即今只今(そっこんただいま)を切り取った写真集は次世代への道しるべとなるでしょう。 熊野修験に導かれ、助けられた方々のお悦びの声が聞こえてきます。」 熊野修験正大先達・那智山青岸渡寺副住職 髙木亮英 「熊野修験は山林抖擻(さんりんとそう)を通して自己を見つめ直す擬死再生の場です。 そこで得た霊験を他者にほどこしてこそ菩薩行の境地と言えましょう。」   殊に、髙木亮英大先達の 立ち姿、歩く姿、また合掌する姿は、美しく威厳に満ちている。こういったあり方もできるのか、と我が身をふりかえっている。 K大のP教授の「暗黙のご指導とご鞭撻の旅」のつれづれ / 覚書 復習の旅を続けます。 1996年 / 春 「開塾を目前に控え、K大のP教授とご一緒した、古社寺巡拝の旅」 ◇ P教授にご案内していただいた、大阪市の緒方洪庵先生の「適塾」 ◇ 奈良市の志賀直哉旧邸 ◇ 法隆寺・中宮寺・東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺・石舞台古墳 ◇ 広隆寺・龍安寺・清水寺・東寺・同志社大学 2006年 / 春 「紀ノ国と巡拝の旅」 ◇ 熊野古道 ◇ 熊野三山めぐり ◇ 熊野速玉大社の参詣の折に立ち寄った佐藤春夫記念館 ◇ 室生寺での一喝 (土門拳「走る仏像」) ◇ 和歌山県白浜町の南方熊楠記念館 ◇ 吉野山での一泊 ◇ 三重県松坂市の本居宣長旧宅・本居宣長記念館 ◇ 松坂市の「和田金」さんでは極上の松坂牛の「すき煮」ではなく、本当の「すき焼き」をご ちそうになり帰路につきました。 その後、P教授はひとり、「大峯奥駈」に出かけられました。

「2017年 南方熊楠 生誕150年_まとめて」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書  今回、折口信夫の思想と人生について自由に語る機会を得て、わたしはいままで自分が読み続け考え続けてきた折口信夫の学問をまるごとつかみとり、その中から二十一世紀の日本人の思想として生き続けるにちがいないと思われる、彼(かれ)の思想のエッセンスを取り出すこころみをおこなってみようと考えた。いままで自分の中に貯蔵され続け、長い時間をかけて変身と発酵(はっこう)をへた、わたしが読み取った「折口信夫」の核心(かくしん)部分に、はじめてひとつのまとまりをあたえて語り出してみようと思ったのである。  柳田国夫(やなぎだくにお)、折口信夫、南方熊楠(みなかたくまぐす)の三人の巨人(きょじん)の頭脳と心が生みだしたものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である。わたしはこの宝物をしっかりと護(まも)り未来に伝える水中の龍(りゅう)でありたいと願う。(8-9頁)  以下、2017/12/23 に書いた ブログです。  青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 が届きました。「略年譜」をみているうちに、今年が南方熊楠の生誕150年に当たることに気がつきました。漱石、子規に次いで三人目です。危うく見過ごすところでした。 以下、「南方熊楠 生誕150年 まとめて」です。 ◇ 「貴人なるお二方 西江雅之先生と平野威馬雄氏が語る『南方熊楠という博覧強記の異人』 他一題」 ◇  日本最大の「枠外の人」、南方熊楠の「珍しい羞恥心」 ◇  南方熊楠「神社合祀に反対し投獄される」 ◇  南方熊楠「もう一つの森」 ◇ 「南方熊楠という博覧強記の異人_旅の覚書」 ◇  白洲正子「南方熊楠にみる浄愛」 ◇ 「白洲正子と小林秀雄と南方熊楠と」 下記、 「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 「正岡子規 生誕150年_まとめて」 です。

折口信夫「冬至の日に,精霊ふゆる『ふゆ』」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書  とても興味深いことに、「まれびと」論や芸能発生論ではもっとも重要な季節が冬至(とうじ )と夏至(げし)の季節におかれていたのに対して、『死者の書』( 折口信夫著) で描きだされた新しい他界論では、春分と秋分の季節がもっとも重要な季節になっている。第一章で述べたように、冬至と夏至には、昼と夜の長さが極端(きょくたん)にアンバランスになり、そのときを選んで死者の霊が、生者の世界を大挙して訪問してくるのである。そのとき「あの世」との通路が開いて、仮面などで姿を隠(かく)した精霊が、舞(ま)いながら「この世」にあらわれてくるのだった。(86頁) ◇ まれびと:折口信夫の用語。海のかなたの異郷(常世)から来訪して、人々に祝福を与(あた)えて去る神。 精霊ふゆる「ふゆ」 多くの祭りが、昼と夜の長さがもっともアンバランスになる冬至と夏至に集中しておこなわれる。  この冬至と夏至をはさんで、「古代人」は精霊(スピリット)をこの世にお迎(むか)えする祭りをおこなう。夏至をはさんだ夏のお祭りの期間には、死霊(しりょう)のかたちをとった精霊の群れが、生きている者たちの世界を訪問してくる。死霊には、まともな死に方をして、しかも子孫たちから敬われつづけている先祖の霊もいれば、横死をとげた幼い子供のうちに亡(な)くなってしまった者たちの浮かばれない霊もいる。そういう多彩(たさい)な死霊たちが大挙して戻ってくるのを、「古代人」は心をこめてお迎えしようとしたのである。  その夏の時期の精霊来訪の祭りは、のちのち仏教化されて、お盆(ぼん)の行事となったけれど、そこには「古代人」の思考の原型がはっきり残っている。お盆の行事としておこなわれる「盆踊(おど)り」を見てみよう。 (中略)  冬至をはさんだ一、二か月は、その昔は霜月(しもつき)と呼ばれて、やはり精霊を迎える祭りがおこなわれた。しかし冬の期間におこなわれるこの祭りでは、夏の精霊迎えの祭りとはちがった考えが支配的だった、というのが折口信夫の考えである。この期間、精霊の増殖と霊力の蓄(たくわ)えがおこなわれるのである。折口信夫の考えでは、「冬(ふゆ)」ということばは、古代の日本語に直接つながっている。「ふゆ」は「ふえる」「ふやす」をあらわす古代語の生き残りなのである。  冬の期間に「古代

司馬遼太郎「言挙げせぬ神々」

司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (7) 」  神道という用語例は、すでに八世紀の『日本書紀』にある。  シントウと澄んでよむならわしは、平安時代にはじまるという。  理由は、日本語は元来、清音をよしとしてきたという程度だったろう。「いろはにほへと」も、すべて清音である。和歌も、明治以前はすべて清音だけで表記されてきた。古音は、一般に澄む。  神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。  『万葉集』巻第十三の三二五三に、  「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」  という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。  神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。  神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、論をなすことはない。  例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、山そのものが神体になっている。山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す。(66-68頁) 「神 道 (4) 」  平安末期に世をすごした西行(1118〜90)も、(伊勢神宮に)参拝をした。 「何事(なにごと)のおはしますをば知らねども辱(かたじけな)さの涙こぼるゝ」  というかれの歌は、いかにも古神道の風韻をつたえている。その空間が清浄にされ、よく斎かれていれば、すでに神がおわすということである。神名を問うなど、余計なことであった。  むろん西行は若いころ北面の武士という宮廷の武官だったし、当代随一の教養人でもある上、伊勢では若い神官たちに乞われて歌会も催しているのである。 “何事のおはします” かを知らないどころではなかった。(44頁)  神道のおよその変遷を知った。  

TWEET「時間が頭ごしに」

師走です。 時間が頭ごしに過ぎ去ってゆきます。 いまから年末の読書週間とします。今年の帳じり合わせに躍起になっています。 まず、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫   「神 道 (1)〜(7) 」 を読み直すことからはじめます。一昨日読み終えましたが要領を得ず、再読、三読を強いられています。伊勢詣後、神様のことばかりが気になっています。 納得がいくまで読みます。

TWEET「留守と知れ」

るす 高橋新吉 留守と言へ ここには誰も居らぬと言へ 五億年経ったら帰って来る 死出の旅といい、行き倒れといい、また野ざらしというも、我ひとりの道行きである。 留守と知れ ここには誰も居らぬと知れ 亡き者と思へ 邪魔立てはするな 人は食い物ではない お願いですから、ひとりにしてください。

TWEET「いざ鎌倉へ」

東京在住の甥から、「いざ鎌倉へ」のひと声がかかるのを待っている。 はじめに、 「東慶寺」 にて、小林秀雄、釈宗演、鈴木大拙、西田幾多郎、和辻哲郎、岩波茂雄のお墓をお参りして、 「円覚寺」 にて、井筒俊彦の墓前で合掌する。 また、 「建長寺」 にて、 「建長寺法堂の天井画『雲龍図』」 をながめ、 「鶴岡八幡宮」 「長谷寺」 そして、 「日本近代文学館」 と、茅ヶ崎市にある、 「開高健記念館」 「開高健記念館 開高健オリジナルグッズ」 へと向かう。  シェルターを二つ並べての野営以外は、別行動がいいと思っている。その辺りは臨機応変にと考えている。 いま手元に、 ◇『新版改訂 鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』 ◇『歴史を知れば3倍たのしい 鎌倉の古社寺』淡交ムック ◇ 原田寛『知れば楽しい古都散策 鎌倉謎解き街歩き』じっぴコンパクト新書 の三冊がある。 なお、Dr.T 推薦の、 ◇ 小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 と、以下の二冊を購入した。 ◇ 小川糸 『キラキラ共和国』 幻冬舎文庫 ◇『ツバキ文具店の鎌倉案内』 幻冬舎文庫 小説は冗長で眠くなるので、代わりに読んでもらった。

TWEET「余滴_2020年秋 古社寺巡拝後」

 合掌するたくさんの姿を、行く先々で目の当たりにしました。  帰宅後早速、仏壇の手入れをし 、仏間をきれいにしました。  そして、時に緊張した心身を和らげるために、日の高いうちから入浴するようになりました。P教授曰く “甘露” です。心身を労わることを覚えました。

「2020年秋 私の古社寺巡拝_覚書_3/3」

以来、神様のことがしきりに気になっています。 2020/11/16(月) 午後 出立。 伊勢湾フェリーで、伊良湖から鳥羽へ向かいました。 洋上で潮風に吹かれたのは久しぶりのことでした。 伊勢市内の書店「BOOK SQUARE ララパーク店」さんで、 ◇ 神宮司庁 編・著『図解 伊勢神宮』小学館 「奉祝 令和 神宮司庁広報室の神職たちが執筆・編集した初めての「神宮」読本」 に出会ったのは幸運でした。 2020/11/17(火) 「伊勢神宮 内宮」 「伊勢神宮 外宮」 ほとんどの時間を「せんぐう館」で過ごしました。 2020/11/18(水) 「室生寺」 「大野寺・弥勒磨崖仏」 2020/11/19(木) 「本居宣長記念館」 「本居宣長之奥墓(おくつき) 」 2020/11/20(金) 帰路  伊勢湾フェリーで、荒れ模様の湾内を鳥羽から伊良湖へ向かいました。神島の島影を認めると旅の終わりを感じました。 白波の寄せる恋路ヶ浜が見たくて、伊良湖ビューホテルに立ち寄り帰宅しました。 「室生寺にて」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 電車で行くと、近鉄室生口で降り、そこから室生川を六キロばかりさかのぼる。駅の近くには、磨崖仏で有名な大野寺があり、清らかな河原をへだてて、切り立った断崖に、みごとな石仏が刻まれている。この寺には、大きなしだれ桜が二本あって、春はこまやかな花をみっしりつけ、紅(くれない)の垂簾の奥ふかく、ほのかに仏が在す気配は、たとえようもなく、優美である。  春もいいが、秋も一段と風情がある。ある晩秋の夕暮、室生への帰りに立ちよったとき、落日の斜光の中に、全身がくっきりと浮かび上がり、冷たい石の肌に、山の紅葉が反映して、「弥陀来迎の図」を拝む思いがした。おそらくあのような光景は、一生に一度のものに違いない。それは険しい絶壁に向かって、仏を彫ろうと決意した人の、発願の場に立会うような心地であった。(110-111頁)

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」 とのP教授からの問いに、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」 と応えておきました。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

TWEET「いざ茅ヶ崎へ」

「いざ 茅ヶ崎へ」とは、茅ヶ崎市にある 「開高健記念館」 へ、という意味です。 「開高健記念館 開高健オリジナルグッズ」 のサイトで、 ◇ 濱野ちひろ『 聖なるズー』集英社 「犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。2019年第17回開高健ノンフィクション賞受賞作。」 を知り、昨日注文しました。明日到着の予定です。  何やらおかしな気分がしています。不穏な状態の内にあります。

TWEET「余滴_閉塾後」

 2020/11/22(中学生を対象とした個人)塾を閉じました。  間接的にではありましたが、不謹慎極まる中学校の先生方とのおつき合いがなくなり、開放感に浸っています。我関せず、知らんぷりを決め込んでおります。 TWEET「ボーヨー,ボーヨー」 なぜ返事ができないのか。 なぜ挨拶ができないのか。 昨日塾を閉じました。 快哉!! 晴れて自由の身です。 ボーヨー、ボーヨー、前途茫洋。

TWEET「うかつでした」

  昨夜の夜空は格別にきれいでした。煌煌と照る立待月とオリオン座の共演はみごとでした。残念ながら北の夜空の天体ショーは望めませんでした。今夜は葦毛湿原の入り口に位置する長尾池で北の夜空をと考えています。毎年蛍狩に行く場所です。  うかつでした。危うく見逃すところでした。教えていだき感謝しております。 追伸:J 君のお披露目です。

TWEET「2020/12/01 豊川河畔にて_明月の入り」

イメージ
「穏やかな朝ぼらけです」 「列をなして鳥が飛んでいきます」 「風が出ました。 空が朱に染まっています 」 「北西の空です」 「月が滲み空と同化していきます」

TWEET「シャルターから望む明月」

イメージ
いま東の空に満月がかかっています。 高山寺で拝した明月からちょうど一巡した格好です。 2020/10/31 ◇ 「再び高山寺です」 あかあかやあかあかあかやあかあか(表記は「くの字点」です)やあかあかあかやあかあかや月 山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ 上記の二首はいずれも明恵上人の詠まれた歌です。横書きでしか表記できないのが残念です。 満月の夜でした。明月が山の端から昇るのを、寒さに震えながら待ちました。 名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉の句です。 「名月」とは「中秋の名月」をさすとのことですが。 如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。「名月」をいただいて、如何せん。 今日は庭でシェルター泊か、と思っております。 「高山寺慕情」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  彼(明恵上人)はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁) 「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。

TWEET「ご遺体ごっこ」

 お行儀よく、 「ヘリテイジ トレイルシェルター」 内に仰向けになって寝ていると、次第に お 棺に納まった遺体のような感じがしてくる。時折シェルターに潜り込んで、現生の無常を思うことは有意味である。  ご遺体ごっこ、という迫真の遊びは、私に覚悟を迫る。  このまま火葬されたらされたで本望である、と半ば捨て鉢になって横たわっている。

TWEET「ざっくばらんが大きらい」

「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。(337頁) 「ざっくばらん」とは、前後なく、節度なく、見境なく、ということであろう。  旅の空を仰ぎ見て、帰豊するや否や、 「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりである。  遠ざかるしかない。引きこもるしかない。 宿無しであるしかない。

TWEET「ヘリテイジ トレイルシェルター」

◆ 「ヘリテイジ トレイルシェルター」 「2本のストック」の携行は無理ですので、下記の「ポール」を使用してください。「ストックは 110〜120cm に対応」と書かれていますが、「105cm のポール」で間に合います。 私のポールは、1995年6月、富良野市六郷の森に向かう途中、 「秀岳荘 北大店」 で買った、「HERITAGE」の「スーパー・ツェルト S」用のものです。長さは、105cm です。  両サイドのペグを適当な位置に打てば問題なく使えますよ。  建築学科の学生さんにこれ以上説明するのは野暮ですよね。 ◆ 「ツェルト ポールセット」 ◆ 「アルミVペグ 16」× 4  トレイルシェルターの中身はHにお任せします。  私は以下の、半身用のシュラフとテントマットを買いました。 ◆ 「ダウンハガー800 ハーフレングス♯5」 ◆ 「U.L. コンフォートシステム エアパッド 90」  一泊用のエマージェンシーセットです。  仏間に張ってあります。ペグのかわりにキリとメウチで四隅を留めてあります。 シェルター内で午睡をしています。快適です。立って半畳寝て一畳の世界です。 ◆ 「モンベル のツェルト」 と、 ◆ 「ツェルト ポールセット」 とを組み合わせれば、いろいろな局面に対応できそうですね。 鎌倉での一夜を、ホテル泊からシェルター泊にすれば、すべてそろいますね。シャルターを並べての鎌倉、楽しみにしております。 では、では。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:小学校教諭には、テント泊、そして出動要請ということにしましょう。

TWEET「ボーヨー,ボーヨー」

なぜ返事ができないのか。 なぜ挨拶ができないのか。 昨日塾を閉じました。 快哉!! 晴れて自由の身です。 ボーヨー、ボーヨー、前途茫洋。

TWEET「伊勢詣_2020/11/17」

「適当な人に聞けばいい」 私はこれからどこへ向かえばいいんでしょうか? 僕は昼食に何を食べればいいんでしょうか? 自動車を駐めた駐車場がわからなくなってしまったんですが…。 そして。 私はだあれ? 君はなあに? 四泊五日の旅でした。

「小中学校の再開にあたって_いまこの時期に 再掲です」

 当市の小中学校では、明日(2020/05/18)から学校が再開される。2020/03/02 にはじまった臨時休校以来のことである。分散登校、午前中授業の期間を経て、2020/06/01 から通常授業になる。また、2020/06/03 からは給食もはじまる。  当面の私の気がかりは、各教科 前年度の未習分野から授業が再開されるかどうか、ということである。たとえば、中2の理科(大日本図書)では、「単元4 気象のしくみと天気の変化」、中1の理科では、「単元4 大地の変化」の未習分野がなおざりにされるのではないか、と危惧している。  裁量は個々の先生方の手中にあり、新学年の真新しい教科書の内容からはじめられる先生方が少なからずいることは想像に難くない。受験期に当たる中三生の子どもたちは、「天気」から教えてほしいといっている。至極当然の要求である。 逆に、のん気な中二生の子どもたちは、どこから授業がはじまるかを楽しみにしている。それによって先生方を値踏みしようという目論みである。  やはり行き着く先は、「自律」ということである。  以下、再掲である。 「憲法記念日の今日、『教育を受ける権利』について考える」  新型コロナウイルス禍の下、臨時休校を余儀なくされ、子どもたちの「教育を受ける権利」,「学びの保障」についての議論が交わされている。しかし、概してそれらは、授業日数に関する、授業時数についての数合わせの話題に終始している。大所高所から見た教育行政に関わる議論を否定するつもりは毛頭ないが、私が述べたいのは、日々の教室内での出来事であって、教室において子どもたちの「教育を受ける権利」は本当に保障されているのか、ということである。  1996年から、中学生を対象とした少人数制の個人塾を営んでいる。主要5教科を受け持っている。この23年あまりの間に、学校という風通しの悪い空間で、また教室という閉じられた系の中で、授業放棄という、職務怠慢な授業態度に明け暮れする先生方を少なからずみてきた。そして、それはいまも続いている。バレなければ構わないといった下卑た考えからであろうが、子どもたちの教師を見る目は厳しく、子どもたちは先生方をはっきり色分けしている。  ひとえに自律心の欠如ということである。資質の問題である。自らを律することのできない者は、他者から管理される他ないだろう。彼らに教

「慶祝!慶賀!!」

イメージ
「ご当選おめでとうございます!!」 一昨日の午後、期日前投票後、「豊橋美術博物館」で開催されている、 を見てきました。 そして、 を買いました。 「幸せな未来計画」を書き込むことにします。 「遺書」を記します。 原画の黒が際立って美しかった。 お疲れのことと拝察いたします。 くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 FROM HONDA WIHT LOVE.

「 祈!ご当選!! 浅井よしたか君へ『私の祈りであり、愛の賜物です』」

イメージ
2020/10/28 (水) ◇「 伊吹山 PA (下り)」より『伊吹山」を望む 「山笑う」 2020/10/29 (木) ◇ 「奈良国立博物館 正倉院展」 出鼻をくじかれました。 ◇ 「興福寺 国宝館」 「興福寺と荒池のある風景」 「阿修羅像」の衣と同じ柄のマスクです。 「高山寺」の「石水院」で撮影しました。女性用です。以降、このマスクを着用して歩きました。 ◇ 「奈良ホテル ティーラウンジ」 「東京にいる先輩の言われるままに歩いています」 「次はどちらに行かれるご予定ですか」 「トイレに行くように言われています」 というと笑っていました。 国宝級でした。 ◇ 「銭湯」 学生時代を思い出しました。 2020/10/30 (金) ◇ 「東寺」 P教授に勧められ「国宝不動明王坐像」を拝観するのが主目的でした。 「食堂」内で、 「輪袈裟」 へんろみち保存協会編『空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 [地図編]』 を求めました。 ◇ 「広隆寺」 弥勒菩薩の御手に抱かれて、居眠りしてきました。 ◇ 「京都駅前で」 京都駅のバス乗り場で、女性から、 「もう帰りますから使ってください」 と声をかけられ「バス一日券」をいただきました。 「ありがとうございます」 「ありがとうございました」 と大きな声で二回言っておきました。 ◇ 「四条河原町」 バスを降りると世界が一変しました。 ◇ 「ぎをん 権兵衛」 「白洲正子さんの本を読んで来ました」 と言うと、笑っていました。 帰り際 女将さんに 「いつ死んでも本望です」 「また来ます。どうぞ お元気で長生きしてください」 と言って店を出ました。 2020/10/31 (土) ◇ 「高山寺」 ◆TWEET「今日 京都女子大学 仏教学部の学生さんたちが」 今日「栂尾 高山寺」の「石水院」で、職員の男性が、京都女子大学 仏教学部の先生に、 「学生たちは『鳥獣戯画』だけ見て帰るのか」 と言っていました。  その後 先生にお聞きすると、 「言いたいことはたくさんありますけどもね、我慢しました」 ということでした。  恐いですね。  私は南面濡縁で裸足になって日向ぼこしていました。  このことを P教授にメールでお伝えすると、 「小人の相手は還暦で卒業しました(^.^)」 との返信がきました。  面白いですね。 近江路、奈良大和路、京都を旅

「2020年 古社寺巡拝の秋抄_2/2」

イメージ
◇ 「奈良ホテル ティーラウンジ」 「いま東京にいる先輩の言われるままに歩いています」 「次はどちらに行かれるご予定ですか」 「トイレに行くように言われています」 というと笑っていました。 国宝級でした。 ◇ 「京都駅前で」 京都駅のバス乗り場で、女性から、 「もう帰りますから使ってください」 と声をかけられ「バス一日券」をいただきました。 「ありがとうございます」 「ありがとうございました」 と大きな声で二回言っておきました。 ◇「 四条河原町」 バスを降りると世界が一変しました。 ◇ 「渡岸寺(どうがんじ)」 奇遇でした。 P教授曰く「早稲田はいいですね」 私曰く  「早稲田でよかった」 名前書くのを忘れました!!

「2020年 古社寺巡拝の秋抄_1/2」

イメージ
◇ 「奈良国立博物館 正倉院展」 出鼻をくじかれました。 ◇ 「高山寺」 ◆TWEET「今日 京都女子大学 仏教学部の学生さんたちが」 今日「栂尾 高山寺」の「石水院」で、職員の男性が、京都女子大学 仏教学部の先生に、 「学生たちは『鳥獣戯画』だけ見て帰るのか」 と言っていました。  その後 先生にお聞きすると、 「言いたいことはたくさんありますけどもね、我慢しました」 ということでした。  恐いですね。  私は南縁で裸足になって日向ぼこしていました。  このことを P教授にメールでお伝えすると、 「小人の相手は還暦で卒業しました(^.^)」 との返信がきました。  面白いですね。 ◇ 「興福寺 国宝館」 「阿修羅像」の衣と同じ柄のマスクです。 「高山寺」の「石水院」で撮影しました。女物です。以降、このマスクを着用して歩きました。 ◇ 「ぎをん 権兵衛」 入りしなに、 「白洲正子さんの本で知りました」 というと笑っていました。 帰り際 女将さんに, 「いつ死んでも本望です」 「また来ます。どうぞ お元気で長生きしてください」 と言って店を出ました。

TWEET「今日 京都女子大学 仏教学部の学生さんたちが」

 今日 「栂尾 高山寺」 の「石水院」で、職員の男性が、京都女子大学 仏教学部の先生に、 「学生たちは 『鳥獣戯画』 だけ見て帰るのか」 と言っていました。  その後 先生にお聞きすると、 「言いたいことはたくさんありますけどもね、 我慢しました」 ということでした。  恐いですね。  私は南縁で裸足になって日向ぼこしていました。  このことを P教授にメールでお伝えすると、 「小人の相手は還暦で卒業しました(^.^)」 との返信がきました。  面白いですね。 近江路、奈良大和路、京都を旅しています。

司馬遼太郎「倜儻不羈(てきとうふき)_その二」

「17 土佐の場合」 司馬遼太郎『この国のかたち 一(1986〜1987)』朝日文庫 「倜儻不羈(てきとうふき)」  という漢語は、まことに異様な字面が四個もならんでいてなじみにくい。しかし江戸期の知識人のあいだでは、ごくふつうのことばだった。ある種の独創家、独志の人、あるいは独立性のつよい奇骨といった人格をさす。  倜は “すぐれていて、拘束されないさま” で、儻は “志が大きくてぬきんでている” こと、羈は “馬を制御するたづな” 、不羈は “拘束されない” ということ。漢語としては紀元前から存在した。(もっとも、漢字にはときに同語反対義(アンビバレンス)があって、倜はスグレルという意味と、正反対のオロカという意味とがある。倜儻不羈の場合、世渡りからみればおろかともいえる)。  早稲田大学をおこした大隈重信が、自分の出身藩である肥前佐賀藩(薩長土肥の肥)のガリ勉主義の藩風を『大隈候(伯)昔日譚』のなかでののしっている。 「一藩の人物を悉く同一の模型に入れ、為めに倜儻不羈の気象を亡失せしめたり」  大隈がそのようになげいたように、肥は、全藩の師弟を組織して一種類の学制の中につめこみ、定期的に試験を施して、落第すれば先祖代々の家禄まで削るという、恐怖をもって一藩をかりたてた。しかも思想は朱子学というドグマで統一されていた。  このおかげで多くの秀才を出すことになったが、倜儻不羈の気象を亡失させた、と大隈はなげくのである。かれが後年、早稲田の地に一私学をおこした動機は、この批判のなかにもある。  この点、土は倜儻不羈の一手販売のような土地だった。  元来、土佐人には風土的精神として拘束を好まないところがあった(むろん、すべての土佐人がそうであったというのではない)。 (中略) 「頑質」  という用語も、江戸期、人格批評として、よく用いられた。頑固者などといえば一種の美質のようにきこえるが、たとえば長(ちょう)の吉田松蔭などは、門人を教える場合、これをマイナスの評価として用い、固定概念にとらわれて物や事が見えないおろかさという意味につかった。  (中江)兆民の場合、世間や人間を見る場合、ことさらに自分の思想の小窓からのぞくことをせず、自分の思想にあわない人物も、そこに魅力を感ずればたかだかと評価した。かれは『民約論』の訳者ながら明治天皇を敬慕し、西郷隆盛を敬愛し

司馬遼太郎「倜儻不羈(てきとうふき)_その一」

司馬遼太郎講演「文明と文化について」 2017/12/16 大学時代キャンパス内で、司馬遼太郎さんの講演をお聞きしたと思うのですが、定かな記憶はなく、頼りは、 司馬遼太郎『司馬遼太郎全講演(全5冊)』朝日文庫 だけです。記憶をたどります。 2018/01/12  書店の書棚に、「全5冊」が並んでいた。この機にと思いさがした。在学期間が長かったために、たどり着くまでに時間を要した。見当違い、ということもじゅうぶんに考えられた。  その講演は、 『司馬遼太郎全講演[4] 1998(II)-1991』朝日文庫 に、 「大隈重信が目指した文明」(29-42頁) と改題されて載っていた。  原題は、 「一九八八年十月二十日 東京・早稲田大学大隈講堂 大隈重信生誕百五十年記念講演 原題=文明と文化について」 であった。大学四年次に行われたものだった。  キャンパス内で聞いた講演中には、よく居眠りをした。それは、構内での講演に限られたことであった。学び舎が体質と合っていなかったのか、相性がよすぎたのか、と今更ながらに思うが、時すでに遅く、ボタンのかけ違えは、いまなお進行中である。これも人生、とあきらめている。  明治維新の官僚機構を支えたのは佐賀人だとよく言われますが、大隈はこの佐賀藩特有のガリ勉をののしっています。(33頁) 大隈と西郷は互いに嫌いでした 「ついに佐賀藩では倜儻不羈(てきとうふき)の人物を出すことは不可能になった」  独立心の強い、人の手綱で動かない人間を、倜儻不羈の士といいます。  大隈は、激しいと言ってもいいほどのリベラリストでした。特に教育面については、そういうはっきりした思想を持っていた人でした。文無しの政府をとにかく運営し、しかも経綸の才もあり、明治政府をつくりあげていった。  ところで大隈という人は西郷隆盛が嫌いでした。西郷も大隈が嫌いでした。ここからだんだん本題に入っていくのですが、二人の考え方には大きな隔たりがありました。  国というものをどう考えていくかが決定的に違ったのです。 (中略)  地生えの国々をネーションと呼び、人工的につくった、つまり法によってつくられた国をステートと呼ぶことにします。もっとも、ネーションとして始まった国々もやがてスーテトにならざるをえなくなります。フランス革命以後、国家というのは一個の法人であり、憲法その他の法律に

TWEET「なんてたって Amazon」

「興福寺国宝館ショップ」で、美術鑑賞用の単眼鏡を見つけた。 ◆ 「Vixen 単眼鏡 アートスコープ H4×12」 「美術鑑賞をより楽しむために欠かせないアイテム。それが単眼鏡です。  単眼鏡で美術作品を鑑賞する最大のメリットは、絵画や工芸の精緻な表現を拡大して見ることができること。肉眼では見えない美術品の細部に宿る美しさを堪能できます。  アートスコープシリーズ単眼鏡は美術鑑賞に最適な4倍(低倍率)と6倍(高倍率)の2種類をご用意しています。用途やユーザーレベルに合わせてお選びいただけます。」 ◆ 「Vixen オプションパーツ マルチモノキュラー用 反射防止フィルター」 「ビクセン製マルチモノキュラーシリーズ対応の反射防止PLフィルターです。観察している物の表面反射を抑え、鮮明にとらえます。 ラバープロテクター付きなので、単眼鏡がショーケースのガラスなどに直接ぶつかることを防ぐことができます。」 そして帰宅後、「 なんてたって Amazon」に注文した。そして今日届いた。早速のぞき見して楽しんでいる。禁断の遊びにふけっている。

「2020年秋 私の古社寺巡拝_覚書_1/3」

イメージ
2020/10/14 (水) 翌日に行われる第三テストの対策授業を終え、22:30 早々に出立。 2020/10/15 (木) ◇「法隆寺」 ◇「中宮寺」 2020/10/16 (金) ◇「薬師寺」 ◇「唐招提寺」 ◇「東大寺ミュージアム」 ◇「東大寺(大仏殿・二月堂)」 2020/10/17 (土) ◇「興福寺 国宝館」 ← とりわけ、 「阿修羅像」 「帝釈天立像」 「木造 千手観音菩薩像」 はすばらしく、恍惚として去り難く、またの機会を約しました。 ◇ 「奥村記念館」 ← 奈良市春日野町 ◇「東大寺ミュージアム」 ←「塑像日光菩薩立像」,「塑像月光菩薩立像」,「四天王立像」に魅かれ再訪。 2020/10/18 (日) ◇ 「Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 ← 滋賀県長浜市大島町 ◇ 「国友鉄炮ミュージアム」 ←  滋賀県長浜市国友町 ◇ 「渡岸寺(どうがんじ)」 ← 滋賀県長浜市高月町 ← 長浜は「観音の里」です。 「渡岸寺」 2020/10/19 (月) 11:00 帰宅

島崎藤村「椰子の実」

 秋が忍び足でやってきた。が、雲行きが怪しく、コロナ禍に迎えた「はじめての秋」である。  のっぴきならない人事ゆえに、いつになく秋の風物が愛おしく感じられる。こんな時季にこそ、目を凝らし耳をそばだてて、日本の秋を歳時として受け止めたいたいと思っている。  流浪の秋であり、望郷の秋である。 「椰子の実」 作詞:島崎藤村  作曲:大中 寅二 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 故郷の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき) 旧(もと)の木は 生いや茂れる 枝はなお 影をやなせる われもまた 渚(なぎさ)を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ 実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい) 海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙 思いやる 八重の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らん 「歌詞の誕生については、柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際の体験が元になっている。  1898年(明治31年)夏、東京帝国大学2年だった柳田國男は、伊良湖岬の突端で1カ月滞在していた際、海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。 『風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。』  柳田國男は、親友だった島崎藤村にその様子を話し伝えた。藤村はこの話にヒントを得て、椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね、歌曲『椰子の実』の詩を詠んだという。」  以下、 柳田國男「藤村の詩『椰子の實』」 です。ご参考まで。

岡潔「懐かしい」

岡潔 著,森田真生 編『数学する人生』新潮文庫 「序 いま、岡潔を読むということ」  晩年になっても、岡には様々な感情が渦巻いている。特に、自我意識の肥大化と物質的欲望に溺(おぼ)れていく時代に対する怒り、嘆き、悲しみは、年を経るごとに募る一方である。自他を超えて「通い合う心」の中にこそ生きる喜びがあると確信していた彼にとって、自我を前面に押し出していく社会の傾向は、何としても修正されなければならない時代の誤(あやま)ちであった。  人は本来、ただそこにいるだけで懐(なつ)かしいのだと岡はいう。「懐かしい」というのは、必ずしも過去や記憶のことではない。周囲と心を通わせ合って、自分が確かに世界に属していると実感するとき、人は「懐かしい」と感じるのである。だから、自他が分離する前の赤ん坊にとっては、外界のすべてが懐かしい。その懐かしいということが嬉(うれ)しい。  生きているという経験の通奏低音は「懐かしさと喜び」なのだ。これが、岡の根本的な信念である。(9-10頁)  始元に還れば人皆懐かしく、「ことがことする」世界、「ものがものする」世界、「自己が自己する」、すべてが渾然一体とした世界にあっては人は喜びを感じる、と私は解釈している。

「岡潔のある風景」

イメージ
岡潔 著,森田真生 編『数学する人生』新潮文庫 「奈良市の自宅での執筆風景。岡 65歳の頃」 「奈良の自宅の前で思索にふける。65歳の頃」

「名月、そして十六夜の月」

昨夜中秋の名月を眺めながら岡潔を思った。そして、以下の四冊を注文した。 ◇ 岡潔『紫の火花』朝日文庫 「私の人生に表現せられた私の情緒を見ていると、やはり『長夜の一閃光』のように思えてくる」(まえがきから)。「情緒」「教育」「前頭葉」── 近年再評価が高まる数学者による、独自の思想の深まりを書いた朝日新聞社刊行の名著、55年ぶりの復刻」 ◇ 岡潔,司馬遼太郎『萌え騰るもの』土曜社 ◇ 岡潔 著,森田真生 編『数学する人生』新潮文庫 ◇ 森田真生『数学する身体』新潮文庫 小林秀雄賞受賞作 また、今夜十六夜の明るい月を見上げながら、「高山寺にかかる月」を思い、明恵上人を偲んだ。   2020/08/07「高山寺にかかる月」  2019/05/19 に訪れた栂尾山 高山寺は、台風24号の被害で大規模修復工事中でした。わずかに石水院しかのぞむことができませんでした。高山寺の新緑はすばらしく、ぜひ来年の新緑の季節にいらしてください、と受付の女性にいわれました。  現在サイトには、令和2年3月31日をもって改修工事が完了した旨の、 「台風災害復旧工事完了の御挨拶」 が掲載されています。  新型コロナ禍の下、県境(けんきょう)をまたいでの旅行ははばかられ、明恵上人が友とした高山寺にかかる月を拝するのはいつの日か、とそんなことばかりを思っています。  今日は立秋です。残暑厳しき折、高山寺で求めた 「扇子〈国宝 鳥獣戯画〉」 をぱたぱたしています。 「高山寺慕情」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  彼はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁) 「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。  そして、試験明けの休日には高山寺を訪ねることにした。  二夜続きの明月により私の心はすっかり鎮もった。

「もう幾日か夜空を渡れば」

 静かな夜です。   明るい月が南の空にかかっています。もう幾日か夜空を渡れば名月です。危うく見逃すところでした。  李白を思うにつけ、白洲正子を読むにつけ、思うのは仲秋の夜の舟遊びのことばかりです。 「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫 ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けにによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)  秋麗の候、静謐の秋を願うばかりです。

TWEET「全力で応援します」

「豊田工業高等専門学校」の過去問が届きました。先日差し上げた過去問には付箋が入れてあったり、また私の書き込みがあったりしますので交換しましょう。  高専入試、全力で応援します。 ひき続きすてきな休日をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET『山岳装備大全』

 2020/09/16「モンベル 豊橋店」さんの女性スタッフの方に、 「以下の本を書棚に並べるか平積みにしてください、と店長さんにお伝えしてください」 と伝言した。 ◇ 『萩原編集長の山塾 写真で読む山の名著 ヤマケイブンコ50選』ヤマケイ文庫 「NHKのテレビ番組「実践! にっぽん百名山」の解説者を5年にわたってつとめた萩原編集長が、ヤマケイ文庫に収録された山の本の中から印象に残る一節と、文章に関連した写真とともに紹介する。  その文章が書かれた背景などを詳細に解説し、なにげなく読み飛ばされてしまっていた文章の背景に潜むドラマや、著者の心情をより深く理解するための周辺情報など、編集長ならではの視点で解説した「山の名著」の紹介本。  著者みずからが撮影した松濤明の手帳(『風雪のビヴァーク』の原典)の写真など、山の名著を目で見て楽しめる!」  すると、 「私が店長に勧められた本です」 と言って、以下の本を示された。 ◇  文 ホーボージュン×村石太郎,写真 永易量行『山岳装備大全』山と溪谷社 「最高の執筆陣とクールな写真で、山岳装備の主要33アイテム、小物18アイテムの詳細を解説。 商品選びのポイントがわかるようになる基本知識のほか、他の本には書かれていない歴史やマニアックなエピソードまで語られており、山岳装備のみならずアウトドアユーザー全般にも役立つ、かつてない決定版用具本。」  スタッフの女性は店長さんをストイックと称した。まったくその通りの人柄で、ストイックな店長さんご推薦の書籍と あらば買うに如くはなく、購入した。少しのためらいもなかった。  2020/08/26,27,28 に定期テストを終えると、たて続けに組長(丁内)の務めがあった。2020/09/03 に叔父が急逝し、2020/09/09 には父が退院し、老健に入所した。疲弊している。寝るか、横になって音楽を聞いてばかりいる。深刻な活字離れのなか、唯一『山岳装備大全』がそれをつなぎとめている。「山より道具」,「 山より山岳書」を謳う私にとってはうってつけの本である。なによりも、永易量行さんの写真が美しく、見栄えがする。読書の秋へのステップとしては申し分のない書籍である。  ときに痛々しくも映るが、ストイックな人は真摯で信頼に足る。店長さんにはいつまでもシーラカンスであってほしいと願っている。  近日中に