明石康「世界に冠たるサムライ」

 読み進めるうちに、「サムライ」とは世界に冠たる「侍」を意味することが、次第に明らかになってきた。


◾️サムライたちの洋学の実力
明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21
 江戸時代、学問の担い手は他ならぬサムライだった。それは、江戸時代のサムライが置かれた一種歪(いびつ)な立場から生じた現象だった。
 本来戦闘が職業のはずのサムライだが、泰平の世の中ではサムライたちに「戦う」場はなかった。
(中略)
 かわって武士は教養を身につけ、学問を修め、人格を磨いた。それがなくては、何も生産せず、国を軍事力で守るという仕事が形骸(けいがい)化しているサムライたちが、人の上に立つ理由は成り立たなかったのだ。
 特に一八世紀も後半になると、蘭学が隆盛となり、競って海外の知識・学問を取り入れた。(78頁)

◾️引き裂かれる大久保の心情
 大久保(利通)も自分が断行する改革が、ことに出身母体である鹿児島のサムライに不満と苦しみを与えていることに、引き裂かれる思いがあったであろう。
 こうした時に重要な考え方は、「啓蒙された国益」という概念だ。つまり、国連の理念に従って行動すれば、当面利害が矛盾しても、長期的には自国の利益に合致してくるという発想だ。大久保でいえば、明治新政府をうまく軌道にのせ、日本の近代化を速やかに行えば、それがひいては鹿児島にもよい結果をもたらすという信念と見通しを持つことである。
 おそらく、大久保にはそうした確固たる信念が心のうちにあったのであろう。(152頁)

◾️ラストサムライ・西郷隆盛、死す
 明治九年三月、新政府は廃刀令を出した。サムライたちは、武士の魂とも考えられてきた刀を捨てさせられた。(152頁)

 最後に城山にこもったサムライたちに見守られながら、西郷は自決した。
「もう、ここらでよか」
 最後にそう言い残したという。
 この西南戦争を最後に、士族の反乱は終止符を打った。
 サムライの時代は、名実ともに終わった。
 黒船来航から二四年後のことだった。(154頁)

サムライの時代は、名実ともに終わった」と著者は書くが、時代精神というものが、日本人の深層意識の内に刻まれていることは間違いのないことである。

まえがき
 英語として Samurai という場合、「戦う人」としての武士だけを意味して意味しているわけではない。「深い教養と崇高な精神性を持つ人格者」という意味を含んだ独特の響きを持っている。それは、良い意味での日本人の “代名詞”ともなっている。世界が日本を知ろうとする時、サムライは欠かせないキーワードである。(8頁)

『サムライと英語』というタイトルとはかけ離れた内容になってしまった。「啓蒙された国益」のひと言に引きずられた格好である。
「サムライ」でありたいと大仰なことは言わないが、美しくありたいと思う。

 定期テスト週間中の慰みとして、購入した新書であったが、テスト週間を三日前にして読み終えた。以降は、本末を転倒して、対策授業を慰みにしようと不埒なことを考えている。
 台風24号の接近につき、眠れぬ孤立無援の夜更けに、顛倒した「歪(いびつ)」な考えに更けろうと考えている。