「小林秀雄と刀の〈映り〉_『京(みやこ)のかたな』展に寄せて」

講義「文学の雑感」後の学生との対話
小林秀雄 国民文化研究会・新潮社編『学生との対話』新潮社
 目でも耳でも、絶えず色を観て、音を聴いていなければ、発達なんかしません。僕は、絵描きの友達、たとえば梅原龍三郎さんなどと喋っていると、彼らの目玉の働き方にしばしば驚かされます。きわめて敏感に物を観て、実によく覚えている。絵を描いている人はいつでも目を訓練しているから、僕らが見えてないものが見えているのです。僕らは見えているようで、全然見えていませんよ。
 僕は物好きだからいろいろやってきましたが、ある時期、刀屋が僕のところへしょっちゅう来ていたことがあるんです。僕は刀を教わろうと思って、刀の見方を聞いていた。たとえば〈映(うつ)り〉というものがある。だが、刀の映りとはどういうものか、説明することはできないのだな。刀屋が刀を指して、「ここにあるでしょう、ここに。ご覧なさい、今出ております。これ映りです」。いくら見たってありません(会場笑)。すると刀屋は、「ああ、まだお見えになりませんね。今にお見えになります」と、こう言うんです。
 これは現実なのです。想像上のことではないのです。現実に、そこに映りは出ている。刀屋には見えているんです。それが僕には感じられないのです。しかし、刀を見て、見て、見ているうちに、僕にも見えてくるんです。そのとき、僕はちょっとギョッとしましたね。これは刀に限らない話ですよ。(97頁)

刀の〈映り〉、「京(みやこ)のかたな」展で、目指すものの一つです。「ギョッ」といった刺激に飢えています。