井筒俊彦「異文化間対話の究極的な理想像_3/3」

「文化と言語アラヤ識」
『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会
 異文化の接触とは、根源的には、異なる意味マンダラの接触である。我々が既に見たように、意味マンダラは、特にそのアラヤ識的深部(「言語アラヤ識」)において、著しく敏感なものだ。刻々に消滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、かぎりない柔軟性と可塑的とをもっている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。だから、異文化の接触が、もし、文化のアラヤ識的深部において起るなら、そこに、意味マンダラの組みかえを通して、文化テクストそのものの織りなおしの機会が生じることはむしろ当然のことでなくてはならない。文化の新生。新しい、より包括的でより豊富な、開かれた文化の誕生する可能性が成立する。そこにこそ、我々は、異文化接触の意義を見るべきなのではないか。そして、それこそ異文化間対話の究極的な理想像であるべきなのではないか、と私は思う。(181頁)

〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」
司馬遼太郎『十六の話』中公文庫
 当対談は、お二人が挨拶を交わされた後、司馬遼太郎の、
「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」(399頁)
の発言にはじまり、また司馬の、
「やっぱり哲学者は違うなあ(笑)。だから、われわれは世界に対して光明を求めあう。そういうことが今日の結論ですね。」
の言葉で幕を閉じた、井筒俊彦 生前最後の対談を思い出す
 感動的であり美しくさえある帰結である「深層意識的言語哲学」者である井筒俊彦の面目躍如である。