「強迫観念にかられた読書」

 仕事上、「教科書を読む」という、多分に強迫観念にかられた読書から、晴れて、11日ぶりに解放されて、清々してしています。「教科書を読む」とは、下線を引きながらの、書き込みをしながらの、要所要所で立ち止まりながらの、精読です。
 「なんでも知っているような顔をして授業をしていますが、なにも解らないままに、教科書に書かれている内容を話しているだけのことです」と、子どもたちには常々話しています。
 活字を読むことを厭わず、多少の我慢さえすれば、じゅうぶんに自学自習は可能なのですが、なかなか真意は伝わりません。自主自立といい、自学自習といい、「真意は伝わらない」ことを指して真意というのでしょうか。