「井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫_井筒俊彦 読書覚書」

早朝に目覚め、
◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫
を読み了えた。

 「意識」といい、「本質」といい、理解のおぼつかない私にも、大切なことが、大変なことが書かれていることだけは解った。
 私にとって「休む」とは「寝む」ことである。「寝み寝み」の読書だった。切迫すると「ふて寝」を決めこんだ。「ふて寝」ばかりの十日あまりを過ごした。

書名の副題には、
◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫
とあり、目次(論文)には、
◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー 
と、記されている。また、決定版である『井筒俊彦著作集』には、
◇ 「意識と本質 ー 東洋的思惟の構造的整合性を索めて ー 
とある。

 井筒俊彦のいう「精神的東洋」とは、「ギリシア以東」のことであり、「索めて」とは、字義通り、「ひもをたぐるように、手がかりから探す」、いちいち原典に当たり、「一度そっくり己れの身に引き受けて主体化し、その基盤の上に、自分の東洋哲学的視座とでもいうべきものを打ち立てていくこと」(後記,411頁)という意味であろう。そして、「東洋哲学の共時的構造化のために 」とは、この先の行方に関する井筒俊彦の明言であり、「東洋的思惟の構造的整合性を索めて」とは、その姿勢である。
 井筒が、「生涯ただひとりの我が師」と仰いだ西脇順三郎に端を発した水脈は、井筒俊彦にしてはやくも本流となった。
 奔流にのまれた格好での読書だった。
    早速読み直すことにする。座右の書となった。