「いま『ことば』の最中(さなか)にあって」

 「ことば」,「言葉」,「コトバ」といい、「声」といい、「肉声」という。また、「詩的言語」,「深層言語」,「絶対言語」といい、「言語アラヤ識」,「内心の呟き」,「意味『種子(ビージャ, しゅうじ)』」と呼ぶ。そして、井筒俊彦は、「東洋的なメタ・ランゲージ」,「哲学的なメタ・ランゲージ」の必要性を強く説く。
 いま、『ことば』の渦中にあって、ひとり 溺死は不本意であるが、心中ならば本望である。
 たとえ理解はおぼつかなくとも、一度目を通した本は感触が異なる。それは、活字が人目にさらされたことに起因するものなのか、全頁に空気がいきわたり、風通しがよくなったことに起因するものなのかは定かではないが、こなれている。
 ひき続き、『ことば』の最中で右往左往しようと思っている。どうしようもなくて、天を仰いだとき、そこには青空が広がっているかもしれない。