『いまなぜ白洲正子なのか』_大野晋編


川村次郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍

 会場の「畠山記念館」に着くと、袴をつけた川瀬(敏郎)がにこやかに出迎えた。
 国語学者の大野晋夫妻もきていた。正子は大野晋という名前は、「青山学院」のころから聞いていた。岩波書店から『広辞苑』が出たのは昭和三十(一九五五)年だが、この辞書で助詞など、基礎語と呼ばれる単語千語をうけもったのが大野だった。基礎語は使われる頻度が高い分、定義をするのがむずかしい。最も厄介な言葉である。「青山学院」に集まる文士はみんな大野に一目も二目も置いていた。
 小林秀雄が昭和五十二(一九七七)年、新潮社から『本居宣長』を出したとき、大野を招いて一席設けた。大野は十七歳年下だが、ただの言語学者ではなく、本居宣長をしっかり読み込み、人間を研究していることを知っていた。どうしても感想を聞いてみたかったのである。
 大野は『本居宣長』を急いで読んだ。そして、宣長を論じようとすれば読み落としてはいけない一冊を読んでいないのではないかと睨み、文化勲章を受章した文壇の大御所に、思った通りのことをいった。小林は、「君の言う通りだ。しかし評論家はそれでいいんだよ」といって、笑ったという。
 実は正子も『本居宣長』にはキラキラしたところがないと思ったので、小林にその通りにいったことがあった。小林は「そこが芸だ」といっただけで、釈然としないものが残っていたが、大野の指摘に得心がいった。この話を聞いたときから、「大野晋」の名は忘れられないものになった。しかし会うのは、はじめてである。七十七歳というのに、少年のような目をしている。
 本当は「オオノ・ススム」なのに、後進の学者や編集者には、いつも前向きでせっかちなところから「オオノ・ススメ」と呼ばれていることを教えられ、韋駄天(白洲正子の愛称)の同志に会ったようで、初対面のような気がしなかった。(225-227頁)

 どうしてやる気になったかといえば、企画が面白いと思ったからである。企画のタイトルは「千年の恋」といい、『源氏物語』に登場する姫君たちの中から一番興味のある姫君を選び、その姫君のための着物を作って展示する。主催は朝日新聞社だが、手前味噌ながら企画は筆者の妻が考えた。
 ついてはデザインをという頼みがあったとき、ためらわず選んだのは「夕顔の君」だった。「夕顔の君」にも興味があったが、この花では不思議な体験をしていた。(229頁)

「源氏物語のヒロインたち」とサブタイトルのついた「千年の恋」は、平成九(一九九七)年二月二十四日から一週間、「赤坂プリンスホテル」で開かれ、正子は初日に車イスで会場を一回りした。「夕顔の君」のための着物は、十分満足のいくできだった。
 驚いたのは、大野晋が「源典侍(げんのないしのすけ)」のためにデザインした着物である。黒字に、背中一面に乱菊が黒漆で描かれている。あまりの大胆さに、思わず息を飲んだ。
 大野が下町、深川八幡の近所で生まれ、子供のころに深川芸者や辰巳芸者を見てきたことを知り、「なるほど」と思った。玄人の女を知っていなければ、こんなデザインは思いつくわけがない。妖艶さは、源典侍にぴったりである。
 会場で大野を見つけると、自分の方から近づいていき、
 「お見事」
 と、ひとこといってニッコリ笑った。
 大野はそれから半年間ほど、会う人ごとに、
 「僕は生まれてはじめてデザインした着物を、白洲正子さんに褒められたんだよ」
 といっていた。(234頁)

大学では、日本文学を専修しました。そして、当然「国語学概論」が必須科目でした。大野晋さんのお名前を拝見したのは、ずいぶんと久しぶりのことです。手元には、
大野晋『日本語練習帳』岩波新書
大野晋『日本語の年輪』新潮文庫
の二冊がありました。早速二冊の本を拾い読みするとともに、以下の四冊の本を買い求めました。
大野晋『日本語の文法を考える』岩波新書
大野晋『日本語の教室』岩波新書
大野晋 編著『古典基礎語の世界 源氏物語のもののあはれ』角川ソフィア文庫
大野晋・編『この素晴しい日本語』福武書店
川村二郎『孤高 国語学者大野晋の生涯』集英社文庫

やはり日本語のことが気になります。「『青山学院』に集まる」そうそうたる文士たちが「一目も二目も置いていた」国語学者と聞けば、胸騒ぎがします。

『いまなぜ白洲正子なのか』を読んだのは、テスト週間中のことです。テスト週間中には、授業の、またテスト準備の合間を縫っての断片的なことしかできませんが、今回に限っては、例外的に大きな収穫がありました。
『日本近代随筆選1,2,3』岩波文庫
を知ったのも、このテスト期間中のことでした。

追伸:
そして、やはり教育についても気がかりです。
大野晋 上野健爾『学力があぶない』岩波新書
も、追加購入しました。