「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_春霞に烟(けぶ)る」

早朝に目が覚めた。快晴、四月中旬なみの陽気との予報だった。躊躇(ためら)いはなかった。2021/12/09 に行ったきりの、小夜の中山ゆきを決めた。富嶽遥拝、初詣だった。

2022/03/11
夜が白々と明けるのを待って出立した。
◆「EXPASA 浜名湖」
 春の湖(うみ)が広がっていた。水ぬるむ春、無数のいのちが誕生し、はかり知れない数のいのちが育まれる。
 微風が水面(みなも)を渡り、湖面は震えていた。陽光を反射した光の粒がまぶしく、玉のようだった。
 陽だまりのベンチに座り、結構な時間を過ごした。
 対岸の舘山寺温泉をのぞみ、2021/10/31 をもって営業を終了した、「ホテル 九重」さんのことが気になった。
◆「道の駅 掛川」
 写真を撮るのが目的だった。時刻を留めておきたかった。旅の覚書きである。
◆「小夜の中山」
 歌枕を訪ねての旅だった。三度(みたび)目の小夜の中山峠だった。
 春霞が立ちこめ、富士の雄姿こそ認められなかったものの、これが霞立つ春に似つかわしい、富士の遠景かもしれないと思った。しばらくすると、霞を透かして富士の輪郭が眼に映った。それは「気配」を感じた、というほどの心細さだった。
 時折現れては消える「気配」を偏光グラス越しに見た。乱反射が一掃され景色が一変した。それはまぎれもない富士の高嶺だった。
 以下の写真は、私が目視していた富士の形姿である。「気配」だけでも感じていただければ幸いである。眺めることより、霊峰の在ることの、どれほど尊いことか、を思う。

「2022/03/11_富嶽遥拝」
「2021/09/29_富嶽遥拝」

 霞は濃くなるばかりで、一時間あまりを過ごし峠を下った。

昨年の夏、
◆ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
◇「西行」
を再読し、
◆ 白洲正子『西行』新潮文庫
を再読した。
再掲である。これほどの文章は、何度読んでもかまわないであろう。

「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁)
「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁)
「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

 これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁)

「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて
  年たけて又越ゆべしと思いきや
  命なりけりさやの中山  」(白洲正子『西行』265頁)
「小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。(白洲正子『西行』270-271頁)

「命なりけり」である。
 霊峰遥拝の旅を続けようと思う。巡拝の道行きである。

 喫茶室の一隅で庭園を眺めていた。細い流れに石橋がかかっていた。一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。細い流れにかけられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。縦横の比が美しかった。
◆「砥鹿神社」
 高速道路を下り、「三河國一宮」である「砥鹿(とが)神社」を参拝した。こちらも初詣だった。

そして、17時過ぎに帰宅した。
行くところ、どこも梅の花が満開だった。