山本東次郎「神事としての狂言」
「舞台空間における結界」
原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂
原田 舞台というのは、古典の世界では神の宿る空間という意識がありまして、神がそこに降りてくるという厳粛さが常にあって、徒(あだ)や疎かにできない神との対峙があったと思うのですが、そういう意識はいつごろか薄れていったのでしょう?観客の方は、むしろ四本柱の結界もあり、古典芸能で脇能も含めて神の来臨を感じて、期待感と共にありがたく思う向きもあるでしょうし、舞台を拝む感覚もありますし、舞台に勝手に近づくことも遠慮されますが、そうした畏れる心はあるのでしょうか?
東次郎 そうですね。舞台が神聖な場所という認識は、小さいころから植えつけられておりました。だから掃除のときなど「心を込め、気を込めてやれ」とうるさかった。能舞台はどれも寸法は三間四方と決まっております。能舞台というものは、無限に広がる空間を四つの太い柱で押さえつけてあるわけです。無限を示すんです。ある意味それが聖域という考えとも繋がるのでは。
それで、昔、女性は舞台には上がれない時代がずっとあって、女性を舞台に載せなかった。ですから、舞台というものに対して特別な感覚があった。(98-99頁)
「別火」
原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂
さて、『翁』を勤める役者は別火(べっか)と呼ばれる精進潔斎(けっさい)が必要となる。江戸時代には厳しい別火があり、大蔵虎明(おおくらとらあきら)によれば、三七日(つまり二十一日間)、魚鳥を断ち、身を浄め、火を忌み(浄めた火を使う)、心を浄めることが必要となった。これはご神体が面にあり、それをかけて舞うという場合には、神の宿りとしての身体という思想があり、穢れを嫌ったのである。(中略)
別火は、日本では神事を行うものが、穢れに触れないように清浄な切り出した火で調理したものを食べるということだが、世俗を超越する必要があり、多くは別棟で一人で潔斎をした。
現在では、『翁』を舞うときにも、流派や個人によって異なり、七日、三日、一日だけと様々であり、別火を行わず当日の祭壇への祭儀のみであったり多様化している。
原田 別火は、いかがでした? 精進潔斎となりますが…。
東次郎 もちろん、決まりどおりしっかりとやりました。身を浄めると、だんだんこう精神が集中していく感じになって、三日間最も完全な型で精進潔斎したのは、披きのときと数回だけすけれど…。『三番三』は既に二百回以上演じておりますが、結局は集中力と境地なんです。精進して煩悩を消して、祈るときの集中、五穀豊穣の、大地の精霊に対して、祈る感じの集中です。今は形式に縛られなくてもその気持ちにいつでも入っていけるようになりました。
原田 なかなか私のような凡人では、高みに上るという感覚は味わえませんが、清浄な感覚、つまり一度その境地に入ると、次に清浄潔斎するときにも早く集中できる、浄められた感覚は体が覚えているものでしょうか。
東次郎 そうです。すごくそぎ落とされて浄化されて集中していくんです。
今はそういう形式すらを軽んじている人も多いですね、『翁』は舞台に出る前に荘厳な様式として行われている儀式があって鏡の間に作った祭壇の前でも、お盃事のお神酒も、何か神聖なものとしてきちんと受けずに、洗米も清めの塩も惰性でぱっと簡単にやっている人もいますが、うちはそういうことは許さず、厳しかった。
原田 大蔵虎明の時代にも「人いか様の振舞末世に有るとも、我が家には古来より仕付けたる古法少しも相違すべからず」といってます。世阿弥も神事をないがしろにして、参勤せずに能の興行なんか行っていると「始終罰当たるべし」と。神事という意識はあったのでしょうね。(129-132頁)
能楽と神事の位相について興味があります。能楽とは言祝ぎのような気がしてなりません。
東次郎は狂言を演じるなかで次第に透き通っていったように感じています。