岡潔 山本健吉「俳諧は万葉の心なり」

岡潔 山本健吉「連句芸術」
岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫
山本 (前略)芭蕉の文学の発想は、結局発句じゃなくて、連句にあるという…。
 芭蕉は連句ですよ。連句はものすごいと思いますよ。いまの人は無精して、芭蕉の連句を調べない。
山本 もったいない話です。
 日本にとってもったいない。
山本 発句だけでは、芭蕉文学の玄関口にすぎない。とにかく芭蕉が心にもっていた人生の種々相というものは、連句のなかに描れてくるのです。柳田國男先生がこういうことをおっしゃったことがあるんです。とにかく柳田先生は連句がお好きで、『芭蕉七部集』は座右の書とされておりました。そして連句の評釈も書いておられます。柳田先生がおっしゃるには、芭蕉さんというのはじつによくものを知っていらっしゃる、人生、人間というものを知っていらっしゃる。
 人生というものを芭蕉くらいよく知っていた日本人は、ほかにないかもしれませんよ。
山本 そうでしょう。
 たぶん芭蕉だ。それが連句に出ております。あれをなんでほっておくのかなあ。たなごころをさすようですね。たなごころをさすように連句をよんでいるでしょう。芭蕉が入ったら、たなごころをさすようになっているでしょう。それが大円鏡智です。
山本 いま先生が、芭蕉の頭のなかには図書館のように人生が詰まっていてと言われた…。
 そうです。人生が図書館のように詰まっているでしょう。
山本 それが自在に出てくるということをおっしゃったわけです。
 一冊抜いたら、すっと出てくる。それが連句ですからね。芭蕉の連句によって日本を知ることは、『万葉集』によって日本を知るよりよほど知りやすい。連句をみな読まんから、わざわざ『万葉集』までかえらなくても、「俳諧は万葉の心なり」といって、あそこでエキスにしてくれてあるのに…。こんどは大いに強調しておいてください。今度、角川書店が『芭蕉の本』を出すということは、ひじょうに時宜を得ています(笑)。大いに連句を強調してほしい。(161-163頁)

山本 芭蕉は、自分のなかの私というものをたえず捨てようとした。なくそうとした。無私ということ、私なしということが芭蕉の心がけの根本にあるわけなんです。俳諧なんてものは三尺の童子にさせよということをいっておりますが、三尺の童子というのは何だというと、結局無私ということです。先生は生後三十二か月がだいじなんだということをおっしゃっていますね。やはり芸術の発想がそこまで戻るということ、それが芭蕉のだれにもできなかったことをやりとげた根本にあるのでしょうけれども。(166頁)

山本 これだけ岡先生が連句にご執心であったということは…。
 芭蕉の連句は日本の文学の第一だと思います。日本人というものが知りたかったら、芭蕉の連句を調べるにかぎる。(後略)
山本 俳句だけでは本当に俳諧がわからない。
 人生というものを知りたかったら、芭蕉に教えてもらうのがよろしい。
山本 そうなんですね。そのことを先生以前に柳田國男先生がひじょうに強調されていました。
 あの人は話のわかる人だから、夢もあるし、ひじょうにスケールも大きいし。(168頁)

 連句というものの見方が全然わかってないな。わかってないということは、芭蕉の俳句というものの見方もわかってないのでしょうな。ということは、人生というものがわかってないのでしょうな。人生は、一口にいえば夢、それがわかってない。つまり、夢を見ようじゃないかとやればいいので、くだらん夢見たら馬鹿を見ますよ。
山本 芭蕉は「文台引きおろせば即ち反古なり」ということをいっていますね。あの覚悟で真剣にやっているわけです。
 「歌仙は三十六歩なり。一歩もあとに帰る心なし」「大木倒すごとし。鍔本にきりこむ心得。西瓜きるごとし。梨子くふ口つき」という。
山本 よく覚えておられますね。
 いや。それはものすごいですな。
山本 ですから、芭蕉と同座して、芭蕉の指導をうけるということは、たいへんなことだったでしょうね。芭蕉の気合いというものは…。
 気合いですね。気合を教えたんでしょう、芭蕉は。
山本 (前略)それ(連句)よりも芭蕉にとってだいじだったのは、そのときの座の雰囲気ですね。その雰囲気から情緒というものが出てくるわけなんですけれども。それをいちばんだいじにした。そこに日本人の美意識、美学というものがあるんですね。作品そのものが目的じゃなくて、その生き方が目的なんだということ。それは中世時代の生き方、結局先生のおっしゃった夢だということからきているわけでしょうけれども。
 夢からきているんですね。
山本 結局夢だかこそ、たった一度の、三畳か四畳半か知りませんが、小さな座敷で、三、四人の人が集まってつくり出す時間と空間とを、この上なくだいじにしようじゃないかということがあるわけですね。
 「秋近き心の寄るや四畳半」です。芭蕉はあれで、芭蕉一座をりっぱにつくりあげましたね。それでなければ、芭蕉のあの俳諧はありません。芭蕉の俳句はよしあっても、芭蕉の俳諧はありえない。どうしてみなこうわからんのだろうなあ。(169-171頁)

山本  “一期一会(いちごいちえ)”ということを茶のほうでいっておりますけれども、あれと同じ心がまえがやはり俳諧にあったわけですね。
 じっさい一期一会で、後世ずっと残るか、まったく残らんかの差が、瞬間瞬間に展開するわけですね。刹那(せつな)刹那がじつにだいじな刹那だったわけですね。芭蕉のそのときにとっては。
山本 刹那が充実しているかどうか。これが問題なんですね。
 そうです刹那が充実していること。
山本 そうしますと、その充実の表現として、われわれには連句作品というものが残っているので、いかに充実したかということを読み取ればいいわけです。
岡 それをよく評釈してくださったらいいわけなんです。それなんですよ。道元禅師は有時(うじ)といい、聖徳太子も有時といわれた。有時とは、時空ならずで、つまり、平常の時といったら、麦わらのようになかはからだけれども、有時の時は、なかまでぎっしり詰まっていたというんですね。その有時ですね。
山本 有時ですね。なかまでぎっしり詰まっている充実した時なんですね。それを読み取るのが、連句の注釈です。私は訓詁(くんこ)注釈はばかにしないんです。訓詁注釈は非常にだいじです。
 だいじですね。ご本を拝見してわかりました。
山本 本居宣長が『古事記伝』を著わしたとか、僧契沖が『万葉集代匠記』を著わした。あれは結局訓詁注釈の仕事がその人の記念碑的な仕事になっていますね。(171-172頁)

 芭蕉はそれ(「もののあはれ」を知ること)ができたから、「蜘何と音をなにと鳴く秋の風」「秋近き心の寄るや四畳半」というようないいのができて、それができたから、ああいう連句が残ったんですね。まったくそれがもとです。みんな芭蕉が慕わしゅうて、心が寄ったのです。(175頁)

「俳諧は万葉の心なり」とまで、いわれれば…。
◇ 山本健吉『芭蕉』新潮社
◇ 中村俊定,萩原恭男『芭蕉連句集』岩波文庫
◇ 向去来,服部土芳,潁原退蔵『去来抄・三冊子・旅寝論』ワイド版 岩波文庫
を注文しました。いずれも古書です。
◇ 斎藤茂吉『万葉秀歌〈上,下巻〉』岩波新書
「万葉秀歌は万葉の心なり」、こちらも楽しみです。
 一巡して学生時代に還ったような感を抱いています。はじめからの秋です。欲張りな秋です。