岡潔 山本健吉「秋の風ふく」

岡潔 山本健吉「連句芸術」
岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫
山本 じつは川端さんは、岡先生の『日本民族』という本をお読みになったんですよ。そして私に手紙をくださった。それは「秋深き隣は何をする人ぞ」の句について…。
 あの「秋深き隣は何をする人ぞ」で、芥川は寂しいといっております。寂しがり屋で、まちがっているというか、芭蕉は寂しいとは思わなかったのだけれども、そう取ったってかまいません。小宮豊隆にいたっては、薄気味が悪いといっている(笑)。薄気味が悪いといったら、俳句にならんです。あれは人なつかしいというので…。
山本 そうだと思います。
 あたりまえですよ。
山本 その点で、岡先生は寂しさじゃなくて人なつかしさをいったのだとおっしゃっているけれども、どう思われますかと(川端さんが)私に意見を求められたんです。私は、やはり芭蕉の気持ちの底には寂しさはあるので、人間は寂しい存在だということがあって、その上に立って人へのなつかしさ、人と人との本当のつながりを求めています。
 寂しさというのは、「蜘(くも)何(なん)と音(ね)をなにと鳴く秋の風」、あれは感心したんですがね。つまり、みのむしが捨て去られるのも知らないで、秋風が吹くとチチヨ、チチヨと鳴く。これですよ。これはなつかしさなんです。寂しさもあります。ありますが、父なつかしさあっての寂しさです。それを芥川は寂しさとだけとった。それならよろしいけれども、それを薄気味わるいというのはむちゃです。
山本 芥川は、あれを寂しさとしかとれなかったところに、自殺しなければならなかったということも考えられます。(158-159頁)

 (前略)そこになつかしさあっての寂しさというものと、人ひとり個々別々の人の世は底知れず寂しいというのとは、寂しさの意味がちがいますね。だから、芭蕉が寂しいというは、人なつかしさということですよ。
山本 そうですね。寂しさと懐かしさというのは楯(たて)の裏表みたいなものです。(160-161頁)

「言い伝えではミノムシは鬼の子といわれた。枕草子によると、秋風が吹くころに戻るから待てと親に言われて置き去りにされ、「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれ」となった。こんな話を風流人が見逃すはずはない▲鬼ならぬミノガの幼虫であるミノムシはもちろん実際には鳴かない。ただ昔の人が粗(あら)いみのに身をくるんだ鬼の子に見立てた気持ちは分かる」

 「蜘何と音をなにと鳴く秋の風」というのが、ずっと晩年になって「秋近き心の寄るや四畳半」と出て…。
山本 「蜘何と音をなにと鳴く秋の風」という句について、これまでだれもみのむしのことをいった人がないんです。
 みのむしをいわなきゃ全然わかりゃせん。チチヨ、チチヨと鳴くというから、あの「蜘何と音をなにと鳴く」とまでいうてくれてあるのに。
山本 「秋の風」とまでいっているんですから。
 おまえはチチヨ、チチヨと鳴くまいが、そう鳴きたいだろうといっているので、「秋近き心の寄るや四畳半」というすぐ隣ですね。途中いろいろ飾っていったのだけれども、『猿蓑』時代あたり、いちばん満艦飾ですか、また軽みをとってはじめへ戻っていますね。「此の秋は何で年よる雲に鳥」、あの辺は死期を知っているでしょうね。だいたい死期を知っているでしょう。
山本 「此の道や行く人なしに秋の暮れ」、知っていますね。あの句にしたって、だれも弟子たちは自分についてこない、自分は孤独だと、孤独をうたっているというんですけれども、単にそれだけではないと私は思うんですけれどね。
 なにか小さく見て、小さな穴からのぞいて、一つにとってしまう。芭蕉というのは、大木の一つの枝ですからね。切り離して見るんでしょう。(165-166頁)

「此の秋は何で年よる雲に鳥」,「此の道や行く人なしに秋の暮れ」の二句には、悲しみがつのります。「此の道」とは “白い道” のように感じています。白秋、やはり秋には “白” が似つかわしいのでしょうか。