井上靖 岡潔「郷里」

井上靖 岡潔「美へのいざない」
岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫
井上 私は昨年の暮、飛鳥(あすか)へまいりましたんですが、上代では、何回も何回も飛鳥の都へ戻っております。たとえば難波へ都を移しても、またその次は飛鳥へ帰っている。またその次は近江(おうみ)へ都を移します。するとまたその次には飛鳥へ戻っているのです。
 どうしても戻りたいという気持が強かったんでしょうね。
井上 どうしてあんなに飛鳥へ戻るのか、なぜ戻るのか。歴史のなかでなんとなく疑問だったのです。学生時代にももちろん飛鳥へ行っておりますけれど、何回となく…。昨年の暮にまいりましたら、初めてあれは大和朝廷のくにだな、郷里だなと思ったんです。それで疑問がとけたような気がしました。
 ああ、なるほど。
井上 私の家の一族は、父も祖父もみんな町へ出て働いていましたが、必ず伊豆の山の中へはいっていくんです。それと同じようなもので、あれは郷里だったなと思いますと、飛鳥へ帰ることは自然なんです。そういう気がいたしましたね。それでないと、あんなにたびたび…。
 はあ、そんなに戻ってきますか。戻るんですなあ。
井上 くにだなあ、という気がいたしました。
 いっぺん日本人を応神天皇以前に戻さなきゃいかんと思うのですがね。ご協力くださいませんか。
井上 もう、ほんとうに…。
 これはぜひやらなきゃいかん。私近ごろ、あのお念仏の変な人に会って、いよいよ一度このかすをとりのぞかなきゃだめだと思いました。これはちゃんとしたかたにやっていただかなきゃいかん。私なんか、それが大事だと思ってもどうやるかわからない。ほんとうにそれをやらなきゃ、日本はどうなるかわかりゃしませんよ。(114-115頁)

 時代が飛鳥を求めた。飛鳥に 風土と化した日本民族の原風景をみたのであろう。それは飛鳥の地に立てば、いまも感じられるに違いない。“郷里” に日がなたたずんでいたいと、いましきりに思う。