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6月, 2022の投稿を表示しています

TWEET「教 養」

◆ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 が、2020/06/23 に出版されることを知り予約した。そして届き次第 読んだ。  義務教育 9年間の知識を身につければ、社会にあって物知りとして通るだろう。その後、各人の興味・関心の赴くままに、それらを敷衍することは比較的容易であると考えている。これは、中学生を対象とした学習塾を20余年営んできた私の実感である。義務教育で培われた基礎学力はその後の自学自習の礎になるとは、決して当書のPRではなく私の確信である。ただし、「すべて」とは思っていない。  小・中学校の教科書は4年ごとに改訂される。その都度、 「国語 ①②③」「数学 ①②③」「英語 ①②③」「理科 ①②③」 「地理」「歴史」「公民」 の、15冊の教科書を読むのは憂鬱である。 「歴史」の教科書が最も役に立っている。およその時代背景が分かると助かる。しかし、無味乾燥とした「歴史」の教科書を読むのは重苦しく、記憶しようとはせずに、通読を心がけてほしい。  教養があろうが なかろうが、それは一向にかまわない。その人個人の考え方 次第である。ただ、美しい人・もの・ことに触れることなく、この世を去るのはいかにも惜しい気がする。(528文字)

TWEET「NHK ラジオニュース」

 車で遠出をするようになり、時折 車中で、 NHK の「ラジオニュース」を聞くようになった。当初は、新鮮で、生生(せいせい)していた。しかし 間もなく、ひどく耳ざわりなことに気づいた。  アナウンサーの要諦は、文末表現にあると思っている。文末に私情がからむと聞きづらく、下品になる。肉声にはすべてが宿る。ごまかしのきかない、「ラジオニュース」は厳しい。  NHK でも、「アクセントの平板化」が進行していることに、あきれている。 ◆  国立国語研究所 「解説:アクセントの平板化」 「最近,若い人を中心に「彼氏」「美人」などの言葉が,昔とは違って平らなアクセントで発音される傾向が見られます。これはどういうことなのでしょうか。アクセントとは何かということも含めて,順に見ていくことにしましょう」 NHK には、 ◆ NHK放送文化研究所『NHK日本語発音アクセント新辞典 』‎ NHK出版 という定評のある辞典がある。しかし、日常語が平板化しているので、いちいち辞典に当たることはないだろう。 「アクセントの平板化」についての問題は、時流に流されるままであり、手の施しようがないものとあきらめている。 「ラジオニュース」以外の番組は、騒々しくて、聞く気になれない。  コロナ禍が騒がれはじめたころ、「NHK ニュース 防災」のアプリをダウンロードした。当時は、話題が多く、記事も多かった。推敲中のような記事があり、若い記者が書いたと思われる、つたない文章も散見された。記事を書くのが間にあわず、総動員したのか、若い記者に経験をつませたかったのかは、知る由もないが、異例だった。いまではそれも落ち着き、読みやすくなったが、優劣があるのは当然のことである。 追伸:「八木さん」が平板化し、「山羊さん」になっているのを耳にした。姓が変わってしまった。一大事であるが、ご本人自らの発声なので仕方がない。(767文字)

TWEET「猛暑は災害である」

 昨日 梅雨が明けた。例年より、20日早い梅雨明けである。最近では、異常気象でない年はなく、異常が常態となっている。  毎年 梅雨明けとともに聞こえる、蝉時雨が聞こえない。蝉は梅雨明けを知ってか知らぬか、蝉の行方が気になる。  エアコンの調子が悪く、部屋を移った。二階は、瓦の照り返しで暑い。階段を降りていくと、その温度差がはっきりと自覚される。しかし、階下は、いかにも地に足が着いた、という感じがし、不相応で、同じ二階の西隣の部屋に移った。二階は わずかながら、世間との距離が保たれ、安心感がある。  引っ越しに疲れ、登山用品を用いて午睡をした。快適だった。今日からのキャンプ生活の予行だった。  NHK のサイトには、「猛暑は “災害”」 であると書かれている。避難所生活はつらい。避暑と思うことにした。  7日目の今日、結界から追い出された。(357文字)

TWEET「置き忘れ」

 ある年まで、遠近両用眼鏡と「近」用のみの老眼鏡の二つの眼鏡を使い分けていた。遠近両用眼鏡の「近」は、読書に耐えうるような代物ではなかった。手元に常に「近」用の老眼鏡があるとはかぎらず、その際には、遠近両用眼鏡を外して、裸眼で小さな文字を追った。  外した遠近両用眼鏡をよく置き忘れた。無造作に置いたものは容易には見つからず、時間ばかりが経過し、面白くなかった。  幾つかの遠近両用眼鏡をこしらえ、紛失した際には、探さないことに決め、別の眼鏡をかけた。置き忘れた物を見つけるには、探さないことが適当であることを知った。  いま室内では、「中・近」の眼鏡をかけている。「中」を読書用に、「近」を PC 用に焦点を合わせていただき、さらにレンズの上方は「遠」用になっているため、自宅内はこの眼鏡一つで間に合っている。外すときは、洗面、午睡、入浴、就寝時にかぎられ、見失うことはなくなった。  ポケットには入らない形状の財布を使用していた。財布を手に持って歩いていた。こちらもよく置き忘れた。相手が財布なだけに気が気でなかった。人の善意によって救われた。  ポケットに入る、二つ折りの財布に替えたが、ポケットに入れると違和感があり、やはり手に持って歩き、飽くなき失態を繰り返した。  いまでは、小さなショルダーバッグ(GREGORY「サッチェルS」)に、必要なものはすべて入れ、たすきにかけて外出している。以来、置き忘れはなくなった。  また、「サッチェルS」と車中には、「見つける天才」とのふれこみの、Apple の「Air Tag」がしのばせてある。 「サッチェルS」を探したことはないが、駐車した行方不明の車を探したことは何度かある。大小を問わず、見失うときは見失う。(714文字) 「小林秀雄の眼」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫  「それについては面白い話がある。ある日、例によって(骨董の)茶碗(ちゃわん)か何かを買い、一杯機嫌で横須賀線に乗ったが、鎌倉で降りる時、大事な買物を電車の中に忘れてしまった。酔っても本性違(たが)わずで、ほんとうに大事なものなら忘れなかったと思うが、そんな風に合理的に解釈する必要はない。何より「(骨董を)買うこと」の一事に集中していた時だから、買ってしまえばあとは野となれ山となれ、ーー そこに小林さんの実に端的で爽(さわ)やかな一面がある。  お嬢さ

TWEET「結界を設ける」

「栂尾 高山寺」で買った、『鳥獣戯画』の一場面が描かれた、緑色の暖簾(のれん)をつるした。その上に、漱石自書のコピー、「則天去私 漱石」と書かれた “お神札 ” をピン留めした。  結界が完成した。これで二階の八畳一間と六畳一間が聖域になった。  私はもっぱら南に面した八畳間で籠城を決めこんでいる。 ベッドの横には長テーブルが置いてあり、その長テーブルが私の机であり、ベッドのマットレスが私の椅子である。足元には、幾つもの本の山があり、無造作に足を動かす と山崩れが起こる。テーブルの上には雑多な物が置いてあるが、占有率が高いのはやはり書籍である。また、ダブルベッドの右半分は、書籍と衣類で占められ、私は一人用のテントの半分のスペースで寝起きしている。しかし、不自由を感じたことはない。一度ベッドから落ちたことがあるが、事情を理解するまでに時間がかかった。とにかく、本の背表紙を眺めて暮らさないと、落ち着かない。かといって、これ以上 書棚を置く余地はない。  他にも症状がある。  郵送されてきた郵便物を開封することに嫌悪感を覚える。「重要」,「親展」 と朱書されていようが、「矢印の方向へゆっくりはがしてご覧ください」と記入されていようが、お構いなしである。年に数回、まとめて開封するが、時すでに遅く、そのままゴミ箱行きである。郵便物が私の部屋を汚(けが)す一因になっている。  内田百閒は、やはり郵便物嫌いだった。百閒先生は、その都度  郵便物を鞄に入れ、 鞄がいっぱいになると、その鞄ごとゴミ箱に捨て、新しい鞄を買う、ということを繰り返されていたという。所詮 私の適う相手ではない。  結界を張った以上は、聖域は清浄にしておくべきであることは承知しているが、 この蒸し暑い最中(さなか)に、汗みずくになって動くのは気が滅入るなどと思っているうちに、この為体(ていたらく)である。  結界を設けてから、五日目の今日、愚にもつかないことを考えながら、いま西陽に照らされている。(812文字) ◆ 内田百閒『蜻蛉玉 内田百閒集成 15』ちくま文庫 ◆ 内田百閒『百鬼園随筆』福武文庫 百閒先生の話題は、上記の二冊の、 どちらかの随筆集に載っていた、と記憶しているが、行方不明である。

トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房

つい今し方、 ◆ トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著,高橋誠一監訳,寺田真里子訳『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房 を読み終えた。  このような場面では、どんな姿勢でのぞみ、またどのような言葉をかければいいのか、当書は、懇切丁寧な事例集の趣がある。 「より実践的で介護者や家族向けに書かれた」との言葉が、 ◆ トム・キットウッド著,高橋誠一訳『認知症のパーソンセンタードケア』クリエイツかもがわ には、みられる。 ◆ トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著,高橋誠一監訳,寺田真里子訳『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房 より、 「 資料1 ー 認知症の介護についての情報を得られるサイト 」 ◇「 認知症ケアポータルサイト」 ◆「自治体高齢者介護情報」 ◇「彩星(ほし)の会(若年認知症家族会 関東部会)」 ◆「認知症なんでもサイト」 「 資料 2 ー 認知症をもっと理解するための参考文献 ー もっと知りたい人のために ー 」 ◇ スー・ベンソン著,稲谷ふみ枝 石崎淳一訳『パーソン・センタードケア ー 認知症・個別ケアの創造的アプローチ』クリエイツかもがわ ◆  トム・キットウッド著,高橋誠一訳 『認知症のパーソンセンタードケア ー 新しいケアの文化へ』筒井書房 ◇ 小澤勲著『痴呆を生きるということ』岩波新書 ◆  小澤勲著『認知症とは何か』岩波新書 ◇ クリスティーン・ボーデン著,檜垣洋子訳『私は誰になっていくの ー アルツハイマー病者からみた世界』 クリエイツかもがわ ◆  クリスティーン・ブライデン著,馬篭久美子 檜垣洋子訳 『私は私になっていく ー 痴呆とダンスを』 クリエイツかもがわ ◇ くさか里樹著『ヘルプマン!(1)〜(6 )イブニングKC』講談社 ◆ 大田仁史,三好春樹監修著『完全図解 新しい介護 学術図書第二メディカル』講談社 ◇ 三好春樹著『元気が出る介護術』岩波アクティブ新書 ◆  三好春樹著『老人介護 常識の誤り』新潮社 ◇  三好春樹著『教師はなぜ呆けるのか』筒井書房 ◆ 村上廣夫&誠和園スタッフ著『寝たきり地獄はもういやじゃ』筒井書房 ◇ 平方浩介著『じいと山のコボたち』童心社 ◆ デヴィッド・

エーリヒ・ケストナー作,池田香代子訳『飛ぶ教室』岩波少年文庫 141

二冊の本の到着を待ちながら、その間(かん)に、 ◆ エーリヒ・ケストナー作,池田香代子訳『飛ぶ教室』岩波少年文庫 141 を読んだ。いまなぜ、『飛ぶ教室』かといえば、 ◆ 河合隼雄著,河合俊雄編『〈子どもとファンタジー〉コレクション1 子どもの本を読む』岩波現代文庫 のなかの、下記の条(くだり)を 眼にしたからである。 「『これから学校の教師となる人たちのために、是非読んで欲しいと思う本を五冊推薦していただきたい。』ある教育雑誌から、このような依頼を受けた。 (中略)  私はともかく第一冊目に児童文学書をあげようと心にきめた」(23頁) 「ただ、この一冊となると選択に迷い、息子たちに相談したところ、全員一致で『飛ぶ教室』を推薦したので、私もそれに従うことにした。確かにこれは素晴らしい選択だ」(24頁)  なお、帯には、「大人にも読んでもらいたい 子どもの本の数々 ー」 と記されている。 「確かにこれは素晴らしい」本である。登場人物が皆 個性的であり、特に、「ヨーハン・ジギスムント・ギムナジウム(高等中学)」と「実業学校」の決闘の場面は秀逸である。  河合隼雄の、臨床心理学者としての解釈は、一貫している。書店での立ち読みで間に合うものである。せっかくならば、一冊のみでなく、ぜひ二冊 合わせて読んでいただきたいと思っている。特に、先生方、子育て世代の方々に読んでいただきたいと思う。  ちなみに、対象年齢は、「小学 4・5 年以上」と書かれている。

TWEET「編集者諸氏」

◆ 長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』KADOKAWA ◆ 長谷川和夫『認知症でも心は豊かに生きている ー 認知症になった 認知症専門医 長谷川和夫の 100 の言葉』中央法規   上記の二冊には、例えていえば、英語を日本語に直訳したかのような、拙い、理解し難い文がみられ閉口した。私が、前々項のブログで引用した、幾つかの文を読んでいただければ納得していただけるであろう。それは、長谷川先生の責任ではなく、編集者の、ひいては出版社の問題である。長谷川先生に失礼である。  出版人としての矜持はないのか、と情けなく思っている。(286文字)

長谷川和夫「故・河合隼雄さんの忠告」

 突然、読書の趣向が変わった。  父が「介護老人保健施設(老健)」に入所して二年ちかくになる。先月の下旬から様子がおかしく、準備を急いでいる。 「故・河合隼雄さんの忠告」 長谷川和夫『認知症でも心は豊かに生きている ー 認知症になった 認知症専門医 長谷川和夫の 100 の言葉』中央法規  河合隼雄(かわいはやお)さんは、生前、認知症医療の現状を「患者は物語を持って病院に行き、診断名だけを貰って帰る」と話されていました。私は、本当に耳の痛い言葉であると思いました」(192頁)   米国の「臨床心理学者」、 カール・ロジャースが「 来談者中心療法」(「クライエント中心療法」,「 パーソンセンタード・アプローチ」 )を創始したのは、1940年代のことだった。 一方、英国の「老年心理学者」、トムキットウッドが「パーソン・センタード・ケア」を提唱したのは、1980年代末のことである。 「臨床心理学(カウンセリング)」と「老年心理学」を単純に比較するつもりは毛頭ないが、 河合隼雄の眼には、早くから、「認知症医療」の現場は、非人道的に映っていたのであろう。「 パーソン・センタード・ケア」と 「臨床心理学(カウンセリング)」との間には共通する領域が多くみられる。河合隼雄の言葉を、「忠告」と解し、「 耳の痛い言葉」であると受け止めた、長谷川先生は立派である。  さて、前回のブログで、   「やはり、何かと地方都市は不利だと思う。人材不足と相俟って、保守的で、旧態依然としている感が否めない」 と書いたが、当地で適当な医療機関が見つかるのだろうか。猜疑の念を抱いている。  父はいま、病の温床である、「退屈」「無為」「無関心」な生活を送っている。私には三日ともたないだろう。 ◆ トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著,高橋誠一監訳,寺田真里子訳『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房 を注文した。古書である。早い到着が待たれる。(806文字)

長谷川和夫『認知症でも心は豊かに生きている ー 認知症になった 認知症専門医 長谷川和夫の 100 の言葉』中央法規

長谷川和夫先生については、 ◆ 長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』KADOKAWA をご覧ください。 長谷川和夫『認知症でも心は豊かに生きている ー 認知症になった 認知症専門医 長谷川和夫の 100 の言葉』中央法規 見開き1ページの、右頁に「100 の言葉」が、左頁に、その解説が付されている。前著の、 ◆ 長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』KADOKAWA に比し、より実践・実用的な内容となっている。簡単に読め理解もできるが 、言うは易く、ということである。しかし、知っていることと知らないことの間には、大きな懸隔がある。また、カウンセリングと重複することも多く、参考になる。  繰り返すが、認知症は自分自身の問題である。参考図書として心に留めておいていただきたい、と思う。 ◆ トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著,高橋誠一監訳,寺田真里子訳『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房 ◆ トム・キットウッド著,高橋誠一訳『認知症のパーソンセンタードケア』クリエイツかもがわ 「パーソン・センタード・ケアは、その人を中心にしたケア、その人の視点に立ったケア、その人の内的体験を理解するケア、その人らしさを大切にするケア、の4つの理念から成り立っています。ちなみに、3番目の内的体験の理解とは、どのようなことを考え、何をしたいと思っているかを理解することです」(139頁) 「何ができるかではなく、存在すること。つまり『doing』ではなく『being』を感じて、一緒に歩み、喜び、学ぶ。これが パーソン・センタード・ケアの姿勢です」(140頁) 「トム・キットウッドは、認知症は脳の恐ろしい病気だという疾患中心の見方を「オールドカルチャー」と呼び、もっと全人格を総合的に捉えた暮らしにかかわるもので、認知症はケアの質により大きく変わるとする見方を「ニューカルチャー」と呼びました。そして、医学モデルに基づく従来の捉え方を見直すべきだと訴えました」( 長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』K

TWEET「今東光和尚の身を案ずる」

瀬戸内寂聴,池上彰『95歳まで生きるのは幸せですか?』PHP新書  出家のとき、今東光師から直接いただいた教えは、 「独りを慎みなさい」  ただそれだけです。 (中略) だれも見ていないと思っても、仏さまはすべてを見ていらっしゃいます。だから独りを慎んでおれというのが今先生の教えです。そのかわり、仏さまはいつも見守っていてくれますから、何も恐れるものはありません。 (中略) 私は仏さまの子となることで、決して揺るがぬ自信を手に入れることができました。余生を生きるのがとてもラクになり、毎日が楽しくなったのです。(24頁) 「独りを慎みなさい」とは、東光和尚の言葉としては、まぶしすぎて、どこかお加減でも悪いのか、と心配になります。 寂 聴  出家したとき、今東光先生は「頭剃らなくていいんだよ」と、おっしゃったんです。でも私は「髪を剃ります」って言いました。「私はいい加減な人間だから、形からちゃんと入らないと続きません」って。そして頭を丸めたんですよ。そしたら今度は「下半身はどうする?」と、おっしゃった。「断ちます」って言ったら、「無理に断たなくていいんだよ」って(笑)。 池 上  それは今東光さんらしいお言葉ですね。 寂 聴  「いえ、私は駄目な人間だから、断つものを断たないと続きません。だから断ちます」って言ったら、「ああ、そうかい」って。(135頁) 池上彰は、 「それは今東光さんらしいお言葉ですね」 といっているが、私としては、まだまだお加減が心配で、 「ああ、そうかい」 と、こともな気にいってのけたところに、和尚らしさが垣間見え、少し安心した。  文学者の生き方に禁則はない。しかし理解者は、少数にかぎられる。

瀬戸内寂聴「九十五歳。何がめでたい」

瀬戸内寂聴,池上彰『95歳まで生きるのは幸せですか?』PHP新書 「私たちはついつい、自分の命や人生を自分のもののように思ってしまいますが、それは傲慢というものです。命そのものがいただいたものであるのに加えて、人生もまた、何かによって生かされているのです」(54頁) 寂 聴  幸せじゃないんです。 池 上  ない? 寂 聴  九十五歳の私が言うんだから間違いないです。今の時代なら、八十八歳で死ねば、まあ、幸せでしょうね。 池 上   いや、だって九十五歳までいただいた命じゃないですか。 寂 聴   いただいたものは仕方がないんです。悪いことしたから生かされてるのね。罰なのよ、これは。 池 上   むしろ罰として? 以上は、瀬戸内寂聴の諧謔などではなく、本音であろう。なお、ブログのタイトルは、 ◆ 佐藤愛子『九十歳。何がめでたい」小学館文庫 から拝借した。やはり、佐藤愛子の 本音であろう。 128万部を超える大ベストセラーである。 また、 ◆ リンダ グラットン著,池村千秋訳『LIFE SHIFT(ライフシフト)- 人生100年時代の人生戦略」東洋経済新報社 の紹介があった。こちらも、42万部を超える大 ベストセラーである。『 LIFE SHIFT 2』も出版されている。異色の本を読むと、特異な本との出会いがある。

「瀬戸内寂聴『お骨、仏壇、お墓』について語る」

「お骨はどうしたらいい? 仏壇は? お墓は?」 瀬戸内寂聴,池上彰『95歳まで生きるのは幸せですか?』PHP新書 「そもそもお釈迦さまは死後の世界や霊魂について何も語りませんでした。ですから、もともとの仏教の教えには、葬式やお墓の決まりなどはありません。今でもそうですが、インドにはお墓をつくるという習慣もないのです。  だからといって今の日本の習慣を否定する気はありません。江戸時代以降、長きにわたって培われてきたのです。多くの人たちが思いを込め、共感を寄せてきたのですから、もちろん重い意味はあるのです。ただ、古いしきたりが、残された人たちにとって、あまりに負担に感じたり、受け入れがたいものであれば、縛られる必要はないと思います。  お墓も仏壇も、あなたの好きにすればいいのです。そこに亡くなった人を偲ぶ気持ちが込められていれば、したいようにすればいい。私は常々そうアドバイスしています。  少しルールを変えたぐらいで「たたりがある」などと言う人がいたら、それこそ仏教に反しています。お釈迦さまは、呪いやたたりといった超自然的な力は否定されました。証拠がないことをいいことに、恐怖で人の心を操るなんて、仏の道につかえる者のすることとは思えません」(67頁)  死後のお祀りごとについては、以上でじゅうぶんであろう。やはり、寂聴さんという後ろ盾があることは心強い。

TWEET「仏教界の頽廃」

 一連のオーム真理教事件(1995/03/20 地下鉄サリン事件、 1995/03/22  強制捜査、1995/05/16 麻原彰晃を逮捕)に、日本中の人の眼が注がれていたとき、瀬戸内寂聴は、「この事件は仏教界の頽廃に起因するものである」と、きっぱりと応えたのを記憶している。  その後仏教界は、改悛し、浄化されたのだろうか。 「葬式仏教」と揶揄され、人は いま、その「葬式仏教」からも遠ざかりつつある。コロナ禍が追い打ちをかけ、葬儀や法要は簡素化する一方である。 「現在はイオンが価格を明示した葬儀サービスを展開しています。ネットショップのアマゾンなどでは、檀家でなくても葬儀に駆けつけてくれる『お坊さん便』を申し込むことができます。  いずれも登場したときには仏教界から大きな反発がありましたが、歓迎する利用者の声はそれ以上に大きく、すでにサービスとして定着しています」(   瀬戸内寂聴,池上彰『95歳まで生きるのは幸せですか?』PHP新書  216頁)  新聞やテレビは見ないので、時流に遅れているのは承知しているが、ついに時代はここまできたのか、という感を抱いている。  お寺には御難の時代のように映るが、当然の成り行きであり、信頼を回復するには、自らが仏道修行に励み、檀家さんと「信仰」をともにするように 努めるほかないだろう。(547文字)

長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』KADOKAWA

◆ 長谷川和夫,猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった / 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』KADOKAWA  「この本は、これまで何百人、何千人もの患者さんを診てきた専門医であるボクが、また、『痴呆』から『認知症』への呼称変更に関する国の検討委員も務めたボクが、実際に認知症になって、いま、何を思い、どう感じているか、当事者となってわかったことをお伝えしたいと思ってつくりました。 (中略)  ボクは何だか、自分が認知症になってから、症状が進行している自分をもう一人の自分が見ているような気がするのです。こんなふうにいうと『おかしい』と思われるかもしれませんが、ほんとうです。『そこがほかの当事者と違うところ」『専門医ならでは』といってくださる方もいます。そんなボクが思っていること、生きていくうえで大切だと考えていることを語ってみたい、聴いていただきたい」(6-7頁)  「そういえば昔、聖マリアンナ医科大学(以下、聖マリアンナ医大)に勤めていたときに先輩から、「あなた自身が同じ病気にならないかぎり、あなたの研究は本物じゃない、認めない」といわれたことがありました。その先輩に向かって、いまなら「ボクも本物になりました」といえますね。(29頁) 「危険因子は加齢」  「認知症になる危険因子として最も大きなものが、年をとることです。年齢が上がるにつれて、認知症の有病率がぐんと高くなります。七十代前半では三%台だったのが、八十代後半になると四0%を超え、九十代以上では六0%を超えます」(60-61頁)  認知症は、決して 他人事(ひとごと)ではなく、自身の問題です。もし家族の誰かが認知症になれば、やはり、他人事では済まされません。  わずか数日の読書です。拾い読みでも、立ち読みでも構いません。実際に読まないまでも、せめて心に留めておいていただきたいと思っております。  人の尊厳に関わる問題です。  長谷川先生は、ご自身のことを「ボク」と表記されている。謙虚でひかえ目で優しく聞こえる。  なお、長谷川先生は、「認知症の診断の物差しとなる認知機能検査」である「長谷川式簡易知能評価スケール(長谷川式スケール)」の開発者である。世界ではじめての試みであった。現在は、改訂版「 長谷川式スケール」に受け継がれている。  刊行当初から、気になっていた本である。 次は、

河合隼雄「『神用語』を話す」

30 -「神用語(しんようご)」を話す 河合隼雄『「老いる」とはどういうことか』講談社 +α 文庫  「アイヌの人たちは、老人の言うことがだんだんとわかりにくくなると、老人が神の世界に近づいていくので、 「神用語(しんようご)」を話すようになり、そのために、一般の人間にはわからなくなるのだと考える、とのことである。  老人が何か言ったときに、「あっ、ぼけはじめたな」と受けとめるのと、「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」と思うのとでは、老人に接する態度が随分と変わってくることであろう。  「神用語」いう言葉を考えだしたアイヌの人たちの知恵の深さに、われわれも学ぶべきである」(83頁)  「言葉」にかぎらず、「行住坐臥] , 「立ち居振る舞い」 についても同様に考えれば、ずいぶんと受け止め方が変わってくる。  「尊厳」に関わる問題である。

「京都往還_墓参編」

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2022/05/30  21:30 小雨のそぼ降るなか出立した。 ◆「養老 SA(下り)」  車中泊。 2022/05/31 ◆「Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」  琵琶湖は、誕生したばかりのような明るさをたたえていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」  今回もまた観音さまに捕まった。身動きのできないままに、息を殺してじっとしていた。  御本堂と観音堂とをつなぐ廊下の壁面には、土門拳の4枚の「十一面観音像」の写真が掲げられている。真に迫るものであり、凄味さえ感じられる。 ◆「一休亭 彦根本店」 にて、「近江牛サーロインステーキ(塩)ハーフ」をいただく。清潔な店だった。  今回にかぎっては、少しはまともな食生活をしようと心がけた。 ◆「PIERI MORIYAMA」  びわ湖大橋東詰に位置する、ショッピングモールの一角にある、 ◇「守山湯本 水春」 にて入浴。 ◆「セブンイレブン 琵琶湖大橋西口店」  車中泊。 2022/06/01 ◆「知恩院」  新春には山本空外を知り、法然、山崎弁栄(やまざきべんねい)にふれた。その後 間もなく、岡潔、湯川秀樹の名を目にした。 空外上人、 岡潔博士は 弁栄上人に、また 湯川秀樹博士は 晩年、空外 上人に 帰依した。  こうして私の「知恩院」行きが決定した。   まず、「三門」を見上げて圧倒された。「阿弥陀堂」を参拝し、その後「御影堂」で、御回向の読経に身を任せていた。御導師様の 緋色の衣に純白のかぶりものは鮮やかだった。 同唱十念だけご一緒させていただいた。御回向は絶えることなく続いた。 「知恩院 三門」 「知恩院 御影堂」  山本空外上人と湯川秀樹博士のお墓は、背中合わせに並んでいた。しばらくの間 墓参に来られた形跡はなく、少し整えてきた。空外上人の墓石(ぼせき)に刻まれた「南無阿弥陀仏」の六字の名号 は、自書されたものである。 ◆「知恩院 和順会館」 ◇「花水庵」 にて、精進料理「花水」をいただく。また、 ◇「カフェ かりん」 にて、「知恩院ブレンド コーヒー」をいただいた。 ◆「知恩院」  再び、 「御影堂」へ読経を聞きに行った。有り難く、尊く、心地よかった。下手に意味など、知らぬが仏だと思っている。 ◆「八坂神社(祇園さん)」 「知恩院」から「清水寺」まで歩いた。 「八坂神社」では、「水神社